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天上のダイアグラム  作者: R section
第7章 過去の証

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第118話 制御する律動

最近単調で説明チックな表現が増えていたので初心に帰って少し表現を新たにしてみました。


いきなり書き方が変わって驚く方も多いと思いますがご意見いただけると幸いです。

東京は、いつも通り動いていた。


山手線は遅れず、改札は流れ、コンビニの棚も埋まっている。誰もが日常を演じている。

それでも、街のどこかに薄い膜が張りついていた。湿気でも花粉でもない。息を吸うたびに、胸の奥がわずかに引っかかる。


車内で鳴るのは、会話ではなく通知音だった。画面に並ぶ見出しは、同じ型の言葉を繰り返す。


――確認中。

――精査。

――一部で混乱。


断言がない。否定もない。肯定もない。曖昧が積み重なるほど、人は余白に最悪を描き始める。

曖昧は、恐怖にとって最も扱いやすい燃料だ。火をつけなくても、熱だけが残っていく。


駅の階段で躓く人が増え、交差点で立ち止まる人が増えた。レジ前で商品を戻す。理由は財布ではなく、“念のため”だ。

そして会話の結びに、同じ問いが落ちる。


「……誰がやってるんだろ」


問いの形をした祈り。

不安は無形のままでは抱えきれない。人は無形を人にする。原因に顔を求める。


その波は東京だけのものではない。地方の小さな噂が、都市の巨大な沈黙と同期している。北も南も、同じ速度で呼吸が乱れる。

国全体の水面が、同じ手で揺らされているようだった。


―――MoRS本部 指令セクター


指令セクターは、静かではなかった。


むしろ常に音がある。ヘッドセット越しの短い報告、キーボードの連打、椅子のキャスターが床を擦る音、モニタの通知が鳴る直前で切られる電子音。

それらが低い層になって、空間全体を満たしている。


だが、混乱の音ではない。


「都内トレンド、拡散速度一・三倍」

「地方同調、東北ライン上昇」

「一次ソース未確認、二次以降の転写のみ」

「了解。タグを切り替え。流量、三段落とせ」


会話は文章ではなく命令だ。誰も声を荒らげない。

焦りはある。けれど焦りは、手順の中に押し込められていた。ここは“騒がしい”のではなく、“密度が高い”。


大佐はその中心――司令官席の前に立っていた。

眼鏡型HUDを掛けたまま、視界の端に情報を整列させる。表示は主張せず、必要な輪郭だけが刺さる。


彼の周囲だけ、逆に音が薄く感じられた。人員が無意識に半歩、距離を取っている。そこに入る言葉は、選ばれる。

大佐の言葉は、場の温度を決める。ひとつ間違えれば、国の熱が暴力に変わる。


「……全国で、温度が上がり始めました」


雪乃ではない。エイレーネだ。

声は近いのに遠い。情動の厚みを持ちながら、出力は整然としている。


大佐は即答した。


「上げるな。だが、鎮火もするな」


ここで必要なのは沈静ではない。爆発しない温度管理だ。

燃え上がれば私刑が走る。消せば反動が来る。残すべきは“火”ではなく“熱”。熱は裁きへ流し込める。


「了解。──EIRENE。接続確認。調律継続」


「よろしい。現状は?」


「都内の主要コミュニティは、臨界まであと一段。沈静化しすぎず、上げすぎず――調整完了」


「地方は」


「同調しています。札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡、那覇。拡散している“文型”が同じです。原因はまだ顔を持っていない」


大佐は短く言った。


「顔は、いずれ浮かび上がらせる」


そこへ通信窓が増えた。


『観測部、氷室です。集約しました』


声は平坦だった。現地の息遣いではない。

多数の断片を、表に落とし込んだ者の声。


『北から順に提示します。

 青森:紙媒体の見出しのみ、特定期間が一致しない。

 宮城:町内会の記録簿に、存在しない役職が追加されている。

 神奈川:学校沿革に“未実施の行事”が混入。

 愛知:市史編纂の引用元が、参照先だけ消失。

 大阪:商店街の古写真の説明文だけ改訂。

 福岡:駅前銅像の由来が一夜で別系統に接続。

 沖縄:地元紙のコラムに、筆者が書いた覚えのない一節が挿入』


氷室は、そこで区切った。評価しない。結論も言わない。ただ、揃ったものだけを揃えて置く。

“材料”を出す。判断は指揮官がする。


『共通項。

 一:改変対象は“大きな歴史”ではなく“生活に近い過去”。

 二:改変は局所に見せて、全国に同時に起きている。

 三:記録・記憶・証言のうち、最低一層が欠損する』


「……なるほど」


大佐が初めて感情らしい間を置いた。

氷室の提示は材料だ。ここから形を与えるのは、指揮官の仕事。


「狙いは、孤立を増やすことだ。気づいた者だけが狂って見える。

 そして多くが気づいた社会は“顔”を求め始める。──原因が人格化される瞬間が臨界点になる」


司令セクターの音が、わずかに薄く感じられた。周囲が、無意識に次の命令を待っている。

大佐は続けた。


「氷室。続けろ。署名はあるか」


『署名らしき反復は確認しています。ただし、判断材料として“匂い”の段階です。

 言い残しの文体が一様に丁寧。乱暴に壊さず、整える方向で改変されている』


大佐は頷いた。


「丁寧さは、人間の癖だ。やはり実働がいる」


その言葉に合わせるように、別の回線が割り込んだ。


『雪乃です』


音が変わる。司令部の整ったノイズではない。遠くの風と、足音と、呼吸が混ざる。

雪乃は、すでに“先”にいた。司令部が温度を管理している間に、雪乃は犯人の影を追っている。


『追跡は継続中。相手は“写らない”類型を維持している。

 ただし、接触した周辺の人員の視線誘導に癖があります』


「確保は急ぐな」


『承知しました。確保の前に、逃げ道を消します。証拠は二重化。

 記録に残らないなら、“残らないこと”を残します』


大佐は即座に返す。


「よし。こちらは国を燃やさない。雪乃は実働を逃がさない。

 ――そして確保の瞬間、公開裁きの導線を同時に出す。怒りの出口は“手続き”に固定する」


『了解』


雪乃の回線が一瞬だけ途切れ、すぐにまた繋がった。遠くの雑踏の気配だけが、現地が動いていることを示していた。


この国は、顔を欲しがっている。

だが顔を与える順番を間違えれば、怒りは裁きではなく暴力に向かう。

だからこそ――燃やさず、鎮火せず、熱だけを残して、出口を作る。


調律は、そのためにある。

次回は明日更新。つづきを追いやすくするため、**ブックマーク(しおり)**で目印していただけると助かります。


また、作品のご感想やご意見もお待ちしております。厳しいご意見でも構いません。

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