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天上のダイアグラム  作者: R section
第1章 人知の外

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第10話 再観測

言語による悪意の拡散は未然に終了した。


あれほどまでに高まった抑圧に対する不満であっても


日常で起きた非日常と言葉そのものを曖昧にする記憶がその悪意を飽和した。


そんな適当な。と思う人も少なくなった。


しかし、人間というのは意外と単純な部分もある。



――6月10日22:40|MoRS国内本拠点『幽世かくりよ 指令セクター』


薄明のような青白い光が、ホログラムの縁をゆらめかせていた。


大佐の自室はMoRSに関する事象を取り扱う際は基本的に外からのいかなる干渉を拒絶する拠点に変わる。


5.5畳の小さな自室は地下にとてつもない大きさの改造を施されており、自室ごと区画移動を行うことができる。


その際に自室のホログラムダミーが代わりに元あった場所へ配置される。


そうしてMoRSの活動は一切外部に怪しまれずに進行することができる。


地下に拡張された区画の中心部、指令セクターと銘打たれた区画。


その中心に投影されたのは、心斎橋商店街跡地──


先日の一件で、紙に「しずめ」と記した、あの少女の映像。


「……解析対象は、映像中央の少女。年齢は13〜15歳、非登録個体。身元は不明。

 構成員による現地確認では、周囲からの視認も困難な“心理的残像性”が指摘されています」


「存在感が薄いというより、積極的に“認識されにくい”性質か……」


世界には稀に・天才としか言えない特出した能力を発揮する人がいる。


すべてが論理的に説明できないわけではないが、一部論理的に説明しようがない能力もある。


「大佐の仰る通り、非論理型です。」


しかし、ファンタジーで言う超能力のように、火を出したり電気を操作したり

そういったことではない。


この少女の場合は、何故か他の生物から見つけられにくいという能力だ。


大佐は椅子に深く腰を下ろし、静かにモニターを見つめる。


雪乃は横に立ち、端末から直接解析情報を投影していた。


「ミームの影響下にありながら、明確な精神崩壊は見られない。

 ただし、特異な行動がいくつか確認されています」


非論理型の特異体質に該当する者の殆どが、社会的に孤立する傾向にあるが

その直接的な原因となるのが特異な行動である。


雪乃が指先をスワイプすると


商店街の片隅にしゃがみ込み、少女が小さな紙にペンを走らせる映像が再生された。


そこには、簡素で意味不明な図形とともに──《しずめ》という平仮名が、確かに書かれていた。


「彼女は“受信者”ではありません。むしろ、自ら“再構築”しているように見える」


無意識に不安を演出する単語であることに違いはない。


事実、“しずめ”という単語は例の一件で拡散した精神感染語群の原点であった。


「……自発的なミーム投射、ということか?」


「いえ、もっと複雑です。ミームそのものを“加工”し、無意識下で情報伝播の方向を変えています。まるで、意図せずして“拡声器”のように作用している」


「感染者ではなく……媒体か」


大佐の声が低く響いた。


「この“しずめ”というワード。感染源不明、文脈不明、情報ソースの特定不可。

 それにも関わらず、一定の範囲内で自律的に複製・拡散され、思考誘導、行動障 害、集団反応にまで波及する。我々が定義する“低構造型ミーム”の中でも、異常に安定していた」


「その安定を保つための“鍵”が、あの少女だということか」


「ええ。彼女の“情報処理構造”には、意図的な“割り込み”が存在している可能性が高いです。それは、通常の神経伝達モデルでは説明がつかないもの。まるで、別のレイヤーで情報を選択・改変しているような挙動です」


大佐は静かに腕を組む。


映像の中、少女は黙って紙を折り、壁に貼り付けてからその場を離れていく。


ただの子供のように見えて、そこには一切の“迷い”がなかった。


「雪乃、仮説としてこの少女は“敵”により意図的に選ばれた可能性はあるか?」


「……あります。ただし、確定ではありません。

 今の段階では、“偶発的な適合”という可能性も排除できません」


この少女は、簡単に言えば第三者から“しずめ”を拡散しろと言われていないが

“しずめ”を拡散するように設定されている可能性がある。


「どちらにせよ、“使われた”可能性があるなら、観測は続けるべきだ」


「了解しました、大佐。この子がなぜ“しずめ”を記し、なぜ周囲の情報環境に影響を与えたのか……全力で、観測します」


少女の最後の映像が、ゆっくりと闇にフェードアウトしていく。


その余韻の中に、大佐の声が静かに落ちる。


「これが“敵”の投じた最初の石だとすれば、我々は、いまその波紋の中心に立っているのかもしれんな」


"他人に意思を植え付ける"


それができる存在がいるかもしれない。


否、できる存在であり、それを悪意の伝達に使用する者がいる。


それは人類を脅かすに足る巨悪だ。


それを理解できる大佐はとてつもない恐怖を感じていた。

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