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「殿下、お嬢様、朝でございます」
リアルテ付きの侍女ラーラのいつもの声。
朝なのは知ってる。さっきから起きてたからね。
起きてても、起きられないから寝てただけ。
なんで起きられないかと言えば、僕を抱き枕代わりにしてるリアルテがいるから。
この国では珍しい黒髪黒瞳の婚約者は、実家でネグレクトに遭っていたから僕が引き取って一緒に住んでいる。
今新しい王子宮を建てているのも、こんな古い離宮に彼女を住まわせておくのは可哀想だと思ったから。
僕1人ならどうでも良かったんだけどね。
引き取った当初、リアルテはまだ6歳だった。
だから実家と違う場所でのお泊まりに慣れるまでは、と添い寝してあげてたんだけどね。どうにもそれが習慣になっちゃって。
リアルテの寝室はちゃんと別にあるのに、どうしてもそっちで眠るのは嫌だという。
まだ10歳にもならない子供だからと大目に見てきたけど、そろそろやめないとね。
そうしないと、リアルテのぬいぐるみで僕の寝室が占拠されちゃう。
それまで親からろくにものを与えられていなかったから気の毒に思ってぬいぐるみを1つ造ってあげた。
売ってないんだよね、ぬいぐるみ。
ぬいは得意じゃ無いけど人に作り方を教えて指示は出せる。1つあげたら気に入っちゃって、お針子メイドに無理言って作らせ始めた。お針子メイドも今までになかった品を作るのにやる気をだしちゃって、リアルテの望みのままに作るものだから数が増えた。
しかもね、リアルテは自分の寝室使わないから、ぬいぐるみ集団は僕の寝室に並ぶことになっちゃって。
もうね、僕の寝室がメルヘンチックになっちゃってる。
新しい王子宮にもちゃんと専用の部屋を作ったから、年齢的にもそろそろ1人で寝てくれるといいんだけど……それはそれで僕が寂しくなるかな。子離れしないとね。
それに、僕もお年頃なんで、ファンシーな部屋ってのは勘弁して欲しい。
抱き枕役もね今のように少し肌寒くなって来た季節ならいいけど、夏場は暑い。
エアコンないからね。
ヒートアイランド現象なんかもないから真夏でもそこまで暑くはならないとは言え、子供の体温で抱き付かれているとね。
リアルテ自身暑いと思うんだけど、彼女は僕を解放してくれない。
ホント、クーラー欲しいよ。
そう、クーラー、冷暖房のためのエアコン、扇風機、そういったものはこの世界には存在しない。
いつかは誰かが作るかもしれないけれど、それはまだまだ先の話であって、今現在は存在しない。
存在しないもの、それも便利な物を知って居るというのは不幸なことかもしれない。
そう、僕には第3王子として生まれる前の昔々の思い出がある。
何故かは知らない。
あるものはある。それ以上でも以下でも無い。
昔々の世界では異世界転生なんてものが娯楽物語の一部で流行していたけれど、僕の状況がそれに当て嵌まるのかどうか。
あの手の話だと創作物の世界に転生、なんてものもあったように覚えているけれど、今現在僕が存在している世界がなんらかの物語の中であるかどうかは不明。もしそうであったとしても、少なくとも僕はこんな小説もゲームも知らない。
もし仮に虚構の物語が実在世界として存在し得るとしても、そこに住まう者たちにとってはそこは紛れもない現実の世界であって、その世界に生まれ落ちた者たちが、ああ我らの世界は虚構なり、と妄想では無く確固たる証拠を以て語ることなどできるんだろうか。
僕の記憶の中にある昔々の世界そのものが虚構ではないと誰が保証する?
シミュレーション仮説なんてものもあったな。
そう考えると、この世界が何らかの物語であるかどうかなど些細な話であって、そこに生まれた僕は僕として生きて行くしかないという至極当たり前な話に帰結する。
もしこの世界が誰かによって造られた創作物であり、そのことを知って居る転生者などがいるのなら是非とも会って話を聞きたいものだ。
そうすればこの先の世界でなにが起こるのかが分かるかもしれない。その知識があればあらゆる災害を避けられはせずとも備えはできる。
川が氾濫するというのなら河川工事を急がせることも、周辺住人を避難させることもできる。戦争が起きる日が分かっているなら、逆算してその芽を摘むことだってできるかもしれない。
世界の流れを知っていると言うことは、多くの人を救える可能性があるということだ。
さすがに隕石が落ちて人類が滅亡する、などという話ならどう備えたところでなんの意味もないけれどね。
リアルテがもぞもぞと動く。
ゆっくりと僕を見上げて、
「おはようございます、レリクスさま」
と笑顔で挨拶してくれた。
うん、天使かな。
保護した頃はリアルテは余り表情を浮かべなかった。
人形姫、なんて呼ばれ方してた。その名の通り、口数少なく表情乏しかった。顔立ちは整っているから、まさに人形のようだった。
あんまり人前に出てないはずなのに、誰がそんな名を付けたのか。
大体、あの頃のリアルテがリアクション薄かったのは、実家でまともに世話をされなかったからだ。
継母と義妹は彼女に辛く当たり、父親であるリンドバウム公爵は彼女に興味がなかった。
リアルテが特異な魔法に目覚めてからは扱いは更に悪くなったらしい。父親に至っては実の娘を、なんら罪を犯したわけでもない娘を薄気味悪がり遠ざけた。夫人や次女による冷遇を知りながら放置した。
こんな可愛い子供を、よくそんなことができたものだと今思い出しても腹が立つ。
まあ、リンドバウム公爵家は現在は借金まみれで名ばかりの公爵家となり、周囲からは嘲笑されている。人前に出ても恥をかくだけだから、さぞや屈辱に塗れて生きてることだろう。表立っては言えないえけど、公爵家の実権は僕が握ってる。
生きて行けるだけの生活費は出してやってるけど、公爵としては完全に物笑いの種だ。
義妹については情けを掛けても良かったけれど、リアルテに聞いたら、
「あの子はわたしと姉妹であることは嫌だそうです。ですから、わたしもそう思うこにしました」
リアルテの名誉のために言っておくけど、リアルテは今現在も親や妹に対して悪感情を持ってはいないよ。係わりたくはないと思っているかもしれないけれど、それは彼女の境遇を思えば至極当然のことであり、彼女がリンドバウム公爵家の面々を救ってやる理由なんてものはありはしない。
リアルテを肉親と認めなかったのは彼らなんだから。
リンドバウム公爵家を完全に潰していないのは、その爵位はいずれリアルテのものになることが決まっているからだ。
成人した後、リアルテは女公爵になる。
僕もそのうち公爵になるから、リアルテは自身が公爵でありながら同時に公爵夫人でもあるという例を見ない立場になる予定。
リアルテは公爵位なんて欲しくないようだけれどね、誰かが治めないと領民が困る。
よそから人を連れて来るのは揉め事の元だ。現当主が王弟であるからね、代わりと言っても難しいんだよ。
リアルテは現当主の実子であることは間違い無いのだから、彼女が爵位を継ぐのが一番混乱が少ない。実際の統治は優秀な代官を雇えば良い。僕も協力する。
リアルテの権力のためではなく領地と領民のためのことだよ。
しかし、あれだね。
カメラがないのが残念でならないよ。
こうして笑ってる姿や、日々の成長を是非記録に残したかった。
カメラかあ。
日光写真なら、不可能ではなかったような。いや、感光液の成分どうだったかな。クエン酸が必要だったはずだ。
15世紀頃には出来たんじゃないかという話もあったけど、はっきりしてるのは19世紀以降だったはず。さすがに作ったことないから記憶が曖昧だ。
どっちにしても、白黒は嫌だよね。フルカラーじゃないと。