プロローグ
国王陛下の一番年若い寵姫が身籠もったのは春の少し前。
晴れた日でも、外でのお茶をするのが少し肌寒いぐらいの季節。
「複雑な顔ですね、殿下」
ご懐妊したことで晴れて妃となられたアイシル妃の言葉に僕は自分の顔を撫でる。
顔に出さないようにしていたけど、どうやら心情を見事に見抜かれたみたい。
アイシル妃は一番歳が近く、サバサバしたところのある人であり、僕を煙たがらない珍しい人だ。
僕は第3王子という立場上、腹違いの兄・王太子の母親である王后殿下から受けが悪い。兄当人とはそんなでもないんだけどね。長兄は可愛げの無い弟だと言いながらも僕を構ってくれた。さすがに最近は互いに忙しいのもあってあんまり会ってないけど。
僕には玉座なんてお高いくせに国で一番座り心地の悪い椅子に対する野望なんて微塵も無いんだけど、こういうのはさ、当人がいくら主張したところで信憑性がないんだよ。
向こうが信じるかどうかはどうにもならない。
馬を水場に連れて行けても、水を飲むかどうかは馬任せって奴。できることはやってる。後は向こう次第。
やっと9歳になった子供を相手になにを警戒してんだ、とか思わないでもないけど、権力ってのは恐いからね。王座ともなれば僕の常識じゃ過剰に思えるぐらい警戒されても仕方無い部分もあるよ。
それに僕個人がどう思ってるかとは無関係に、僕を神輿にしようって連中が多少なりともいるんだよね。困ったもんだ。
僕に出来るのは、ただただ頭を低くしてるだけ。
そのうち王太子である長兄が即位すれば、王后殿下の僕に対する敵意も消えてくれるでしょ……たぶん。
「すみません、ご懐妊は間違い無くお目出度いことですのでお祝い申し上げるんですが、どうにも兄弟が多いとね」
僕には多くの兄弟がいる。
いや、男は僕を含めて3人。後は女だらけ。
飢饉だ疫病だ、戦争だと貴族は人口を減らし、取り分け男児が少ないと来た。しかもどういうわけか出生率も男子は少ないんだよね。
国王であるパパンとしては王侯貴族を増やすべしという国家戦略の元に複数の女性を娶って子作りに励む日々。
僕に言わせれば、そういう大義名分を振り翳して欲望のままに女性と関係を持ってるだけ。
だから、アイシル妃の懐妊自体は慶事と思っても、あの父親がまたやったのかと思うと、ちょっと複雑なわけだ。
それはアイシル妃には一切関係の無い話であって、そんな思いが顔に出る辺り僕も修行が足らないんだろうね。
「可愛がってやってくださいね」
「それはもちろん。これでも妹たちには甘いんですよ」
向こうがどう思っているかはともかく、妹たちの頼みは極力きいてやっている。
ただ、向こうが僕とお近づきになるのを警戒しているだけだ。
国王の次に権力を持つ王后殿下に疎まれているからね。係わりを持ってとばっちりを受けたくない、と姉妹たちだけでなくその母親たちが僕とは距離を置くようにしている。
次兄の場合は母君が上手く立ち回っているからそれほどでもないらしいけれど、僕は後ろ盾もなにもないからね。
自力で頑張るしかなく、積極的に周囲と親しくしようという気がないものだから兄弟間ではかなり浮いた存在になってる。
特に困ってないから放置してんだけどね。
「お祝いというのもなんですが、少しばかり菓子を持って来ましたから、良ければお召し上がりください」
菓子、甘味というのは高価な物だ。
もちろん、王妃ともなれば口にする機会はある。それでも何人もいる妃の1人となればそういう嗜好品の類は実家や後ろ盾次第のところがある。
僕の知る限り、アイリス妃の後ろ盾は強くない。
実家は元侯爵家、現在は子爵だったはずだ。先代王の御代で失態を演じて降格させられたとか。
大々的に減封もされたから経済状況もさほどは良くない。
気軽に甘味を口にできるほど裕福ではなかったと思う。
それに、僕が持って来たのはまだ王都で売り出されたばかりのものだ。女性には人気が高い。
ただ妊娠中だと味覚も変わるそうだから、口に合えばいいのだけど。
本当は赤ん坊が産まれたら色々と贈り物もしたいんだけどね、たぶん、形の残る物を贈ってしまうと王后殿下からアイシル妃が睨まれかねない。……でも弟妹増えるのは嬉しいから、贈っちゃうかな。
取り敢えず、今日のところは消え物をチョイスした。
「ありがとうございます。……噂で聞いたのですが、殿下は砂糖を手に入れるツテをお持ちとか?」
ツテというか、表に名は出してまえんが実は砂糖市場を牛耳ってます、なんてことは言わない方がいいんだろうな、きっと。
うん、そんなつもりなかったんだけどね、砂糖を製造から販売、なんならその前の元の植物の栽培から手掛けてたら、いつの間にか砂糖市場を独占してた。
高級品だけあって元の流通量が少なかったからね、さくっと行けた。
普段は距離を置く姉妹たちも現金なもので、砂糖が欲しくなると僕の離宮に人を寄越す。
侍女だったりメイドだったりね。姉妹当人が来ることはないよ。
まあ、妹たちはまだ小さいから、正確には姉妹たちに付いてる大人たちの面の皮が厚いんだろうけど。
「そうですね、多少なら融通利きますよ」
僕が砂糖シンジケートのボスです、思わず言いそうになるのをぐっと我慢。
アイシル妃は呆れともなんともつかぬ吐息をして、
「第3王子殿下は、その、底が知れないですね」
そんな複雑な顔をされても困るんですけど。
「? そうですか?」
「まだお若いのに、色んな事業にも手を出されてるとか」
「3番目の軽い王子ですから、平民商人たちにとっては取引しやすい相手なんでしょう。それに、将来、領地を繁栄させるための練習ですよ」
数少ない男子でありながら、立場が非常に弱い王子。
そのせいで、様々な渾名を付けられてるんだよなあ。
率先して僕の悪評撒く人もいるしさ。
世間的には、僕は大変な浪費家で、落ちこぼれで、王太子の座を狙う酷い弟で、自分の離宮で我が儘放題にしてる、と実に要素盛り沢山な悪役らしい。
一々打ち消すのも面倒だから放ってるけど、時々鬱陶しいと思わないでもない。
そもそも、先年まで離宮には専属の使用人すら殆どいなかったんだけど、どう我が儘を言えば良かったんだろう?
4歳ぐらいまでは必要最低限の使用人、それ以降は必要とされる人数すらいない。
放って置かれたわけだ。
専属侍従はいたけど歳だったからね。通いだったし。
気楽で良かったよ。強がりじゃないよ。僕は自分のことは自分でできたからね。
「最強の生物ドラゴンをペットにしている。森の魔物を調伏して、伝説の妖精族を従者にしている人は殿下ぐらいです」
アイシル妃は僕の従者として後ろに控えているアルティーネをちらりと見やる。
アルティーネは褐色肌に白い長髪をした15、6の美少女で、それだけでも人目を惹くのだけれど、誰しも眼を止めるのは彼女の長い耳だろう。
彼女はダークエルフであり、その存在は半ば伝説とされている。
目撃情報の少なさから森に棲まう妖精とすら言われるレアな種族。
「それは誇張と間違いがごちゃ混ぜになってますから」
ドラゴンは僕のペットじゃなく、婚約者であるリアルテのペット。
森の魔物、森に住んでいた主というか、土地神のようなものは別に調伏してない。彼らと交流したのは偶発的な出来事であってなんら僕の手柄じゃないし、その土地神を信仰するアルティーネたちが従者として派遣されたのは、僕が約束の供物を忘れたりしないようにとの監視役だ。
巨猪を信仰するダークエルフ、白い大蛇を崇拝するエルフ。
見た目が美形というだけでも目立つのに、伝説的種族であるからホント目立って仕方ない。
腕も立つから護衛としては申し分ないんだけどね。
アルティーネは僕らの会話にも表情を動かさず黙って立ってる。人によっては彼女が深くものを考えているように見えるらしいけどね、今晩のおかずと、どの酒を飲もうかとか、帰って寝たいとかしか考えてないから。
美少女の中身、ぐうたらおっさんみたいなものだからね。時々厳しい顔になるのはさ、欠伸を噛み殺してるだけだから。
「砂糖はどうされます?」
アルティーネたちのことは考えないようにして話を戻した。
「では、少しお願いできますか? 領地での贈答品にしたいので」
「返礼品ですか?」
王妃となり、子供を産むとなればお家にとっても喜ばしいことに違いない。今は没落していても、これを機に復権の目もある。
領地に住まう有力者たちも挙ってお祝いを贈って来ていることだろう。
返礼として砂糖というのは悪くない。返礼品や香典返しの定番、みたいな常識はこの世界じゃないけどね。高級品だから贈答品として人気は高いんだ。
「それもありますが、友人たちへのお祝いでもあるんです」
「なにか慶事が?」
「何人かの知り合いが子供を授かったんです」
「そうですか、それはお目出度いですね」
と言いながら疑問符を浮かべる。
そりゃ、アイシル妃は若いんだから友人たちも同年代なんだろうと思うよ。なら結婚してるだろうし、妊娠することもおかしくない。
でも、なんかタイミングがね。
「もしかして、将来の側近狙いですか?」
「ええ、みんなわたしの子に仕えさせたいって」
貴人に子が生まれた場合の話、その貴人に近しい者たちも子を作ることがある。
幼いときから貴人の子に仕えさせ、将来の友人兼側近とするためだ。
場合によっては乳母候補もそういう近しい者たち、信頼できる者たちから選ばれる。
そうなると、1つの家から乳母と乳兄弟を輩出できるわけだ。
身元の確りした、信頼できる側近は得難いものだ。なにをするにも常に側に控え、人生の転機には相談相手ともなる。
アイシル妃の場合は、アイシル妃に肖って自分の子の将来を確かなものにしたい、という者もいるんだろう。
まあ、僕には乳兄弟いないけどね。
側近も5つ年上のリチャードだけ。
こういうのはさ、母親の実家とかが影響力持つわけよ。僕のところはそういうの期待できなかったから。
困ってないからいいけど。
「では、知り合いの業者をご紹介しましょう。僕の名を出せば、適正価格で必要量を揃えてくれます」
いくらかかるかは数量次第だね。
そこまでは責任持てん。必要量を確保できるだけでも中々難しいことだからね。
「ありがとうございます。皆、喜びます」
どうぞ、お気になさらず。
砂糖取引の利益は、ちゃんと僕の懐へ届きますから。
「ご出産は秋頃ですか?」
「晩秋か初冬でしょうか。殿下の離宮の完成とどちらが先になるでしょうね」
「離宮は来年までずれ込むかもしれませんから、こちらの朗報が先でしょう。
おっと、家屋と比べちゃ失礼でしたね。すみません」
僕は今住まいを新築している。
国王であるパパンから貯め込んだ財を少しは吐き出せと言われたこともあって、去年から造ってる。
来年には完成予定だけど、どうなるかな。
それから少し世間話をしてから、僕はアイシル妃の宮を離れた。