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騎士見習い

 リサフォンティーヌには才能があった。

「剣の握りは軽く。手首で振らずに腕全体で」

 最初の授業から、バルディスはその才能に驚かされた。

 幼い頃、カラキムジア王宮で、剣を学ぶ兄の隣で木剣を振り回していた当時からその片鱗はあったが、実際に基本から教えてみるとその才能は本物だった。なにより、反射神経が半端ではない。理屈ではなく、動物的勘で切っ先をかわす。ほんのわずかな隙に的確に入り込んでくる。教えたわけでもないのに、どこに入れば斬りつけられるか、どこを打てば剣を落とせるか、そんなものを本能的に知っている彼女に、バルディスは驚かされた。

【軽く剣の扱い方と護身術を教えてくれればいい】

 リサフォンティーヌの父であるドレイファス王メンフィスから依頼されたのは、その程度の軽い要望だった。王族のたしなみとしての護身術。

 それがどうだ。

 軽くどころか、このまま鍛えれば天才騎士になれる。バルディスは、「二年ほどゆるりと相手をしてくれればいい」という王の要望をすっかり忘れて、姫の成長に期待をした。姫は姫ですっかりバルディスを気に入り、本来週に三日ほどでよいと言われた剣の授業を、ほぼ毎日要求した。

 リサは、バルディスから乗馬も教わっていた。

 姫が馬に乗るなど必要もないはずであるが、それでも王族のたしなみだ。本当は、それ相応の年齢になれば、専任の教官がつくはずであったのだが、バルディスが馬に乗る姿を目にした彼女が、すぐに乗りたいと言い出したのだ。バルディスは、自分の前に彼女を座らせて、馬の御し方を教えはじめた。教えたのは馬だけではない。剣術以外の体術も彼女は覚えたがった。それはまるで、武人になるための学びのように思われた。バルディスは、護身術の一環として、求められるままにそれらを彼女に教えた。彼女はまるで水に飢えた植物のように、それを貪欲に吸収した。


 そんな日々が一年ほど続いたある日。

 バルディスは、軍を退職していたものの、常に復帰を望まれていた。王宮騎士の称号は永久称号だ。一旦叙任されれば、よほどのことがない限り剥奪されたりしない。例え軍を辞して在野に下っても、その称号は生き続ける。バルディスは、メンフィス王の側近、王宮騎士統括団長ビリアヌス・レイ・ソートの長男で、その剣の腕は父親以上といわれるほどの剣士。ドレイファス騎士の最高位、『ドレイファスの鷲』の称号を有する騎士である。姫の剣術指南でレイピア宮殿の専属騎士に採用されていたが、それでも、カラキムジア王宮の騎士達からは、教えを請う要請が度々来ていた。そのため、仕事が休みの休日には、カラキムジアの騎士堂などに出向いて剣の指南を行っていた。

 その日も、そんな休日だった。

 いつもと違ったのは、リサフォンティーヌが彼について行きたがったのだ。

 姫を連れて行くことに関して、もちろん侍従達は反対したが、姫の意向であれば反対もできない。

 レイピア宮殿のある湖水地方から、首都カラキムジアの王宮までは馬で二時間の道程だ。

 宮殿を出る時こそバルディスはリサの乗る馬の引き綱を握っていたが、それも本来必要のない配慮だ。リサは馬の扱いにも十分に慣れていた。というよりも、馬達がリサに良く懐いていると言った方が良いかも知れない。

 カラキムジアには、騎士達が集い鍛錬をする練武場が二箇所ある。その二箇所と、なじみの王宮騎士・騎士堂とで合計五時間ほど騎士達の鍛錬を見学する。リサは、バルディスが若い騎士達に稽古を付ける様を、黙って見つめていた。

 帰りは、湖水地方の景色を楽しみながら、ゆっくりと帰路につく。

 途中の湖の畔で二人は休憩をとった。湖を渡る初夏の爽やかな風が気持ちいい。

「この辺で休憩にしましょう。姫」

 素早く馬から飛び降りたバルディスは、幼い姫に片手を差し出す。

「ねぇ、バルディス」

「なんです?」

 馬を木にくくりつけながらバルディスが軽く応じた。

「私はいつ、騎士見習いになれるの?」

「は?」

 思いがけない問いに、バルディスは驚いて振り返った。

「練武場には、私と同じくらいの子供もいた。騎士見習いだと言っていた。私はいつ、騎士見習いになれるの?」

「姫。姫は騎士見習いになど」

「私はなれないの?どうして?」

「どうしてと言われましても……」

「女ではなれないの?」

「そんなことはありませんが……」

「ではなんで?」

「姫。姫は、キールの王となられるお方。騎士になる必要はありません。ですから、騎士見習いなどになる必要はないのです」

「王になったら、騎士になってはいけないの? 父上は、お若い時は、騎士であったと聞いています」

「いけないと申しますか……なる必要はありません」

「どうして?」

「姫のことは、我々がお守りいたしますし、今日、騎士堂に集っていたような騎士達が、王を支えるために臣下としてお仕えします。ですから、姫が騎士になる必要はないのです」

「では私は、王になるよりも騎士になりたい」

「え?」

「人に守られるなんて嫌だ。人に守られて自分が生き残るなんて私は嫌だ」

「姫。姫は王として人の上に立たれるお方です。そうしなくてはいけない人です。ですから……」

「私は騎士になりたい」

「姫。それはできません」

「いやだ。私は騎士になる」

 だだをこねるリサに、諭すようにバルディスは身をかがめた。

「では王にはなられないとおっしゃるのですか?」

 リサは少しのためらいもなく彼の顔を仰ぎ見て、

「王にもなる。自分で自分のことを守れる王になる。そうすれば騎士達は、私を守るためではなく、国民を守るために戦える」

「姫……しかし……」

「お願いです、バルディス。私を騎士見習いにして下さい」

「しかし、そのようなことが……リサフォンティーヌ姫は、ドレイファスの王女。そして、キールの王になるお方なのですから」

「では、別の名前ならよいのですね」

 リサはそう言って少し考えて、

「リース……私はリースという名にします。母上が時々、私のことをそう呼びました。あなたが男の子ならばよかったのに、と母上は時々おっしゃられました。ですから、リースという男の子になれば、バルディスの騎士見習いになれるでしょう?」

「姫……」

「お願いです。私に、もっと剣を教えて下さい」

「姫。よいですか。騎士というのは過酷な職業です。剣を握ったら、例え生還の難しい戦場にさえも、飛び込んでいかねばなりません。剣は、自分を守ってくれると同時に、人を殺す道具なのです。それを仕事とすると言うことは、並大抵の覚悟では出来ません」

「やります。私、やります」

「姫」

 バルディスは、弱り切った、と言う顔でため息をついた。

「騎士達は、毎日、朝から晩まで剣の鍛錬をしています。今日ご覧になったでしょう? 彼らはあのように、毎日毎日剣を振るっています。それが姫に出来ますか……」

「できる。う〜ん。講義があるから、朝から晩までは無理だけど……講義が始まる前と、講義が終わってからなら出来る! だから、だから!」

「姫。わがままを言わないで下さい」

「バルディス!お願いです。お願いだから私を弟子にして下さい」

「できません」

「では私は、ここで死にます」

「ひ、姫!いつの間にそれを!」

 彼女が握っていたのは、懐刀だった。そのナイフを、自身の首元に当てる。

 彼女の瞳は真剣だった。真っ直ぐにバルディスの目を見据えている。

「わかりました。わかりましたから」

 あまりに真剣な彼女の視線に、ついにバルディスが根負けした。

「本当?」

「はい。ですが条件があります」

「はい」

「我々騎士達は、毎日鍛錬をします。特に朝練は大事です。騎士見習い達は、毎日素振りの稽古などをしています。朝と晩、毎日です。昼間ももちろん鍛錬です。もし姫が本当に騎士見習いになりたいのなら、それを毎日繰り返さなくてはいけません。できますか?」

「できます」

 姫は真剣な顔で即答した。困ったものだとバルディスは苦笑を浮かべた。

「どのくらいやればいいのですか?」

「え……いや……そうですね」

 姫はナイフを持つ手を下ろして、バルディスに迫った。思いつきで言ったことなので、バルディスは内心焦った。

「毎日出来たら。毎日。毎日続けて一年間。本当に出来たら」

「そうしたら本当に弟子にしてくれるのね? 本当よ? 本当だからね。約束して」

 リサはそう言って、小さな小指を差し出した。

「わかりました」

 バルディスもその手を握った。

 いくらなんでも絶対に無理だ。彼はそう思っていた。いくら騎士になりたいという意志があったとしても、いくら本当に思っていても、そんなことが続くはずもない。確かに見習い騎士の少年達はそれをこなしているが、それは騎士になるために仕方なくやっていること。それが仕事だからやっていることだ。一週間は続くだろう。もしかすると一ヶ月は続くかも知れない。でも、きっと無理だ。一年も続かせるなど不可能だ。彼女には、他にやらねばならないこともいっぱいあるはずだ。それだけを仕事にしている騎士にだって辛い鍛錬を、その忙しい生活の中でやり抜くことは不可能なはずだ。

「バルディスも朝練をしていますか?」

「もちろんしています。姫がなさるというのなら、私が監督します。ですが朝練は完全に自由意志で行うものです。お仕事でお忙しかったり、お勉強でお疲れの時などはなさらなくても構いませんし、それに、やめたくなったらいつでもやめられます。私にわざわざ許可をとることもありませんから、やめたくなったら出てこなくても構いません」

「どこでやっています?」

「私は大抵、裏のマリフェスの丘まで走って、そこで朝練をしていますが……」

「では私もそこに行きます」

「わかりました。では、朝四時に、裏庭に降りてきて下さい。そこからマリフェスの丘まで走って、そこで朝練をしましょう」

「わかりました」

 返事をするリサにもう一度バルディスは言いかけた。

「ですが、姫は……」

「わかっています。ちゃんと毎日行きます。ちゃんと」

「わかりました」

 頑固な姫に、苦笑いを浮かべながら、バルディスはもう一度、姫と指切りをした。


 バルディスは、きっとすぐに続かなくなるだとうと思っていた。何しろ、姫は毎日忙しい。

 朝九時から夕方四時まで、みっちりと講義が入っているのだ。語学、歴史、地理学などの一般教養に加えて、政治・経済に関する学問、王となるべきものの帝王学、音楽・美術などの教養、ダンスなどの社交会用の貴族教養などなど……身につけないといけないことはたくさんある。そのための講義が、昼間はみっちり組まれているのだ。夕食後にも、昼の講義の復習や予習、テーブルマナーなど貴族のたしなみとしての教養を学ぶ講義があり、自由の時間などほとんどない。もちろん、体育全般、特に武術に関してはバルディスが担当し、毎日二時間は、剣術、体術、馬術のいずれかの教科が組み込まれている。

 バルディスの課した朝練・夕練は、その合間をみて行われていた。朝四時から六時まで二時間朝練。その後、乗馬の練習をしたりもする。夕方は、四時に講義が終わればすぐ。夕食の七時までに二時間練習をする。

 しかし。バルディスの期待に反して、姫は毎日その練習に出てきた。

 毎日毎日。雨の日も。風の日も。一日も休むことなく。 

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