第六話「二章目へ、だれから?」
「‥‥‥はぁ、判りました。面倒は避けたいですからね」
シノは、髪をかき上げならホッとしたように、ため息をつく。
まさに胸をなでおろしているようだ
コヨミの立場からして、拒否されるものとばかり考えていたが、そうでもないらしい。
「それで、具体的には何をすればいいんですか?」
「あーそうだな‥‥‥知識とか、技術とか、生きていくうえで有利になるようなことを学びたい」
「それで大人しく、ここに留まるのであれば、こちらで用意します。」
「ああ。ありがとう」
そう言い、少しの間静寂が流れる
コヨミは、それ以上何を言おうか、気詰まりな空気を脱するため頭を巡らせていた。
余り人と関わることが得意ではないため今までは避けてきたコヨミ。
だが、今は他に聞くことが山ほどあるはずだ、なのにすぐそれを思いつくことができない。
シノはコヨミのそんな様子を冷めた目で見ている
「‥‥‥いつまで居るんですか?さっさと出ていってください。」
「いやいや、ひどくない!?必要最低限の会話でハイおしまいってか!?まあ、グダグダしてる俺が悪いんだが‥‥というか、出て行ってその後どうすんだよ‥‥‥?」
コヨミはシノの言い草に、ツッコミをひとまず入れる。
シノの態度は、冷静沈着というより、無頓着と表現するのが正しそうだ
「ん?‥‥‥」
――自分が言ったセリフから何か忘れていることを思い出した。
そうだ。ホルンからシノにいろいろと聞くように言われた後、渡されたものがあったんだった
「あ、そうだった。お前に渡すものがあったんだ」
脇の置いていた鞄からホルンに渡された書簡を取り出す。
「これを、ホルンから、お前に見せろって」
「?‥‥‥ああ、頼んでおいたものの調書ですか」
「調書?」
その単語に少し引っ掛かりはしたものの、コヨミは思い出す。
ホルンがシノから頼まれた仕事は、俺のことを調べるというもの。
実際、起きてすぐに俺の体のことについて説明してもらった。
そこから導き出される答えは一つ‥‥‥
「ああ、俺を調べた結果のことか。で、どんなことが書いてあるんだ?」
「‥‥貴方には関係ないこと。」
そう言いながら、シノは封を切り、羊皮紙に書かれた内容を読みだす。
話しながら、文を頭に入れるのはコヨミには無理な芸当なので素直に感心していた。
‥‥それはそうと、書簡の中身は自分のことなので知りたい
――寝ている間に、何をされたのか分かったものじゃないからな。
「‥‥なにこれ。こんな人間がいたなんて‥‥‥」
「あー、ホルンが言ってた魔法に適性がないとかのことか?」
それとも、魔素への耐性なし、の方だろうか。
コヨミが呑気に考えている間、シノは冷や汗をかきながら動揺していた。
調書の内容はシノの予想を上回っていたらしい。
「‥‥‥貴方、なに?人間?それとも他の何か?」
「疑問符が多い質問だな‥‥‥お前らが言う人間が俺が知っているものと同義かは、解らない。だが、少なくとも俺は人間だと思っているよ。」
「‥‥‥何を思ってその質問を俺にしたんだ?理由を教えてほしい。」
少し捲し立てるようにコヨミは、問いに答えた。
こちらの世界に来てからコヨミは変わっている。
少なくとも、ここまで相手に興味を示し、理由を問うなど今まであり得なかった。
相手に意識を向けず、自分の中で完結する、そのスタイルが崩されている兆候が見え始めた。
――ただ、それだけだが。
「‥‥‥貴方には、関係ありません。私たちが知っていればいいだけの問題です」
「何言ってんだ?俺についての話なんだろ、教えてくれてもよくないか?」
実際、コヨミの意見は正当なものである。
いくら、予言があって相当な不審者であっても、知らないうちに自分の体を調べられる、なんてたまったものじゃない。
あまりにひどい言いようと、意思疎通の難しさからコヨミは思わず眉間にしわを寄せる。
「‥‥貴方に魔法適正や魔素への耐性がないことに驚いただけです。」
「はぁ‥‥もういい、そういうことにしとくから」
呆れを通り越して、会話と理解をコヨミは放棄する。
人間同士の対話なら次はもっとマシな場を設けたいものだ。
「それより、『この城で二カ月間生活してもらう』って言ってたよな。俺が最初いたあの森もその城の中ってことになるのか?」
「そうですよ。城はこの拡張された空間のことを指していますから、知らないんですか?」
「いや、知ってるわけねえだろ。そんなトンデモ技術‥‥‥」
シノは「当然のこと」とでも言いたげな、呆れた表情をする。
異世界の超技術かつ非科学的な物など、
当然コヨミは知るはずもなく理解もできないだろう。
だからこそ、学びたいと申し出たわけだが‥‥‥どうにも目の前の少女にはその意図が伝わっていないらしい。
「とにかく、だ。俺はどこで暮らしていけばいいんだ?生憎と一文無しだからなー‥‥こちらとしては野宿でも構わないんだが。」
心にもない気遣いと余裕を見せるコヨミ。
言葉に出すことは無いが、この世界は見てわかった通りの危険な世界だ。
そんな中野宿など、ごく一般的(元の世界で)な人間のコヨミにできるはずもない。
だがだからと言って、図々しく恥ずかしげもなく「助けてください!!」なんて頼み込むのは、コヨミのプライドが許さない。
死んでも御免というやつなのだろう。
「貴方、死にたいんですか?貴方のような弱者が野宿などすれば、有り金どころか、命まで取られますよ。」
「弱者‥‥か。ま、間違っちゃいないわな」
「はぁ‥‥住む部屋はこちらで用意します。面倒ですが、これも仕事ですから」
ため息をつきつつも、真剣な表情でこちらの要望に応えるシノ。
『仕事』と区切り私情を切り離して考える人間なのだろうか、それとも単にまじめなだけかもしれない。
嫌味を言い、一切として興味がない事柄でも、割り切って行動しているようにも見える。
もっとも、こちらでいくら推測しても、少女と出会って間もないコヨミには判りえない話だが。
「とにかく、これで話は終わりです」
と、そこらでシノは話を切り上げ、いきなり卓上にあったベルを鳴らす。
突然の奇行に驚きつつも、コヨミは一旦様子を見ることにした。
人間の慣れには驚かされるものだが、自分もそれに当てはまるとは、なんとも不思議な感覚だ。
数秒経つと、部屋の入口である扉が四回ノックされた
「遅かったですね。入ってください」
シノが扉の向こうにいるであろう、使用人か何かに声をかける
その了承を以って、食事を配膳するメイド恰好をした少女が中に入ってきた。
「朝食‥‥か?‥‥って今、ベルを鳴らしただけで使用人呼び寄せたのか!?
ここまで来ると、超技術とか魔法とかよりもやっぱ常識を疑いたくなるな‥‥」
「耳障りでうるさいですよ。食事中です」
つくづく、腹立たしいと心の底からコヨミは思う。
もし目の前の少女が超偉い貴族でなければ、この場で顔に一発パンチをお見舞いしていただろう。
ただ、その場合怪我をするのはコヨミだけだが。
そういろいろと考えている間にも、シノは構わず食事を続ける。
「あの、俺が寝泊りする部屋の場所ぐらい教えてくれないか?」
「そこにいるメイドに聞いてください。私は食事を邪魔されたくありません。」
「お・ま・え・が!!勝手に今食べ始めたんだろ!!何被害者ずらしてんだ!!」
そうコヨミが文句を言うものの、すでに声は届いていないようだ。
「クッソ。聞いちゃいねえよこいつ。」
意に返さず、完全なる無視を決め込み、耳を閉ざすシノに思わず手が出そうになるも、自分にセーフティーをかけ思うだけにとどめた。
前回この行動をとって、どうなったのかコヨミは思い出せたようだ。
「はぁ‥‥えーっとそこのメイドさん。俺はこれからどうすればいいのか教えてくれない、か――‥‥‥」
そう言いかけ、コヨミは目の前のメイドに見覚えがあることに気が付く。
黒い長髪に、華奢な体格。それに加えて狐の耳――この館までコヨミを案内してくれたあの狐っ子だ。
「あ、あの時の狐っ子じゃないか‥‥!」
「君。今、気づいたの?‥‥じゃない。気づいたんですか?」
相も変わらず、敬語とタメ語を使い間違える狐っ子を見て、「別に楽な話し方でいいんだけどな」と内心でその礼儀正しさにまた呆れるコヨミ。
だが、今気にするべきなのはそこじゃない
「お前、ここのメイドさんだったんだな」
前コヨミが彼女に会った時は、質素な服装だったが、今はメイド服を綺麗に着こなしている。
そのせいか、コヨミは狐っ子――もとい、ヨウコがこの部屋に入ってきてもすぐには気づけなかった。
「正確には違いますが、おおよそはその通りです。」
「‥‥どういうことだ?」
「さして違いはありませんが、私はこの館で臨時として招集された使用人です。‥‥なので正式な採用は受けておりません。」
「へー臨時の使用人‥‥‥」
コヨミの脳内に、ものすごく失礼だが、納得のいく予想が一つ浮かんだ。
シノの性格は一文で表すならば『孤高かつ、他人へとことん無関心』といったところだろう。
それに加え、他者を遠ざけようとしているのか、不快なのか、ものすごく口が悪い。
いちいち嫌味を言うのも癖になっている。
そんな人物に仕え、同じ屋根の下で四六時中、人使いが荒い呼び出しを受ける‥‥‥なんてのは地獄そのものだ。
この環境で働きたいなんてもの好きは、そうそういない。
いくら金を積まれても続々と辞めていくだろう。
「そりゃ、大変だなー(笑)」
「‥‥‥二人とも、早く部屋から出て行ってくれますか?」
コヨミとヨウコが真横で話続けていたからか、痺れを切らしシノは二人に声をかける。
実際、無意識であるもののコヨミの声は、大部屋の中でこだまするほど騒がしく、大音量になっていたのだ。シノでなくとも苦情の一つも言いたくなる。
そんな自分を客観的に見て、ようやくそれに気が付き、コヨミは本来の話の流れに戻すことにした。
「あーシノ、悪かったな(棒)。‥‥じゃ、俺たちはここからお暇させてもらいますわ。」
コヨミはヨウコの背を少し強引に押し、部屋から去ることにした
この場に留まり続けても、シノとは会話にならない、そう判断したのだ。
だが、ヨウコは親切に礼儀正しく、コヨミが知りたいことに答えてくれる
あの無関心見下し加減最大級の対応に比べると、天と地ほどかけ離れた神対応だ。
異世界に来てから、初めてのまともなコミュニケーションが取れる相手。
コヨミはヨウコに今、全幅の信頼を置いていると言っていいだろう。
(あっちが、ああいう態度でいるんだ。感謝は多少あるが不快度でプラマイゼロにしても文句ないだろ。)
コヨミはうわごとを考えつつ、ヨウコと歩幅を合わせ廊下を進んでいく。
こんなことを考えても意味はない、どうせコヨミはシノに力で敵わないのだから
「えーっと、とりあえずまた案内をお願いしたいんだけど‥‥‥お前、名前はなんていうんだ?」
今まで、聞くタイミングも必要もなかったが、これからはこの目の前の少女にある程度助けられることになるだろう。
なのでコヨミは改めて案内を頼む狐の獣人に名前を聞くことにした。
「私の名前‥‥ですか?私はヨウコと申します。」
聞くとヨウコは素直に名前を明かした。
少しぎこちない切なげな笑顔をこちらに向けて、丁寧に答えてくれたのだ。
その信頼に応えるべく、コヨミも自己紹介をする
「俺の名前は、鷹城 コヨミ。これからどうぞよろしくな。」
「‥‥‥。はい、こちらこそよろしくお願いします」
互いの紹介も済み、ヨウコはコヨミに城の中全てを、自分が案内することについて説明した。
どうやら、シノから命令があったようだ。
部屋までの案内のみだと思っていたコヨミはシノの考えが読めず、困惑する。
‥‥だが、確かにここのことは遅かれ早かれ知りたかったのは事実だ。今はそのお言葉に甘えることにしよう。
「なあ?前にも言ったが、もっとくだけた話し方にしないのか?というか、ヨウコとは気軽に話したいし、敬語はやめてくれると助かる」
あの予言がある事や、この白髪が『人種』の中では特別なものということを知りはしたが、事実は異邦人かつ荒くれものであるのがコヨミだ。
不審者と言い換えてもいい。
そんな不確定な身分しか持ち合わせていない自分に、敬語を使う必要性はない。
ともう一度コヨミは促す。
「‥‥‥本当によろしいのですか。」
あまりにしつこかったからか、悩みつつヨウコはコヨミに聞き返す。
どうやら、自分の立場を相当低くみているようで迷っているようだ。
もっとも客観的に見て、身分や立場が怪しいものな自分の方が下、
そう考えているコヨミは「当然。」と決まった返答をし、それにヨウコはようやく頷く。
「‥‥判りました。いや、わかったよコヨミ。」
「‥‥‥こんな感じでどうかな?」
「ああ。いいと思うよ、ありがとうなヨウコさん。」
「‥‥なんで、そっちが敬称をつけて呼ぶの」
コヨミの言葉に反応し、ヨウコは少し微笑んだ。
会ってから初めて本心からの笑顔を見たな、とコヨミは内心少し高鳴る部分があった
単純な喜びではなく、疑問を覚えつつも、
「ははっ、悪い悪い、冗談だ。‥‥でも、普通に感謝してるからこそ、敬称で呼びたくなったってのはあるかもな。」
コヨミは少し笑いながら、茶化す感じで答えた。
だが、人の笑顔を久しぶりに見たコヨミは、どことなく満たされた様子だ
真剣さ半分、ふざけ半分というのが正しいかもしれない。
「‥‥‥コヨミは何で、『影狐』の私にこんなに優しく接してくれるの?人種なのに。」
敬語でなくなった途端、若干明るく話すようになったヨウコは、少し真剣にコヨミに問う。
「なぜ、自分に優しくしてくれるのか」と。
いきなり知らない『影狐』という単語がでてきたことはさておき、コヨミは単純に思っていることをそのまま伝える。
「種族差なんて俺には関係ない。優しくなんてしてないし、ただ気に入ったやつと話したくなっただけだよ。」
「‥‥‥君は、変な人だね。」
「言うほど変じゃないだろ。‥‥ていうか、助けてもらってるのこっちだし。俺がいつ優しくしたんだ?」
「‥‥‥君、野暮な人って言われたことない?」
「ああ、いや、あるけど‥‥‥」
そこで止めておけば、良い雰囲気で終われたというのに、気になったことは突っ込んで聞くというのがコヨミだ。
ヨウコはそれを少し笑い、コヨミが話を切り上げて、
「まあ、そんなことはいいんだよ。早く進もう」
「まあ、そうだね」
止まっていた足を二人は再び進め始める。
廊下は来た時同様長く続いているが、途中で曲がり下を見ると中庭が見え始めた。
初め館に来た時通った道から今まで、窓から差し込む光はあれど、外の様子はなぜか見えなかった。
そのため、コヨミは今現在自分が建物の三階にいたことに気づいていなかったのだ。
空間がねじ曲がったかのように長く、外から見たよりも遥かに広く巨大な館の構造から一気に外が見え、コヨミの中から閉塞感が消えた。
「にっしても、この館っていまいち構造が解らないんだよなー。明らかに外観より広いし‥‥‥」
朝日が差し込む庭に生えた草木を眺めつつ、そうつぶやく。
閉塞的かつ、まるで迷宮のような館の内部。
一般人であるコヨミの感覚からして、困惑するのは当然だ。
「まあ、わかりにくいよね。この館、ガブリエル様が空間ごと拡張しているから」
「空間ごと拡張!?、ってかガブリエルって誰だよ!?」
「君も会ったんじゃないの?魔導書庫にいたでしょ?」
「‥‥もしかして、ホルンのことか?」
「そうだよ。ガブリエル・ホルン様。あの人は空界属性の精霊術が扱えるんだよ」
ホルンにはいわゆるファーストネームがあったらしい。
いや、どちらが苗字かはわからないが。
少なくとも元の世界では、ガブリエルの部分が名前に当たるのだろう。
それに加えて、ホルンが扱う『精霊術』という単語が今しがた飛び出てきた。
漫画などの知識でなんとなくの推測は付くが、魔法と同じ類のものだろうか。
"空界属性"というのが何かは解らないが、説明からして"空間"に関係するものなのだろうとコヨミはひとまず納得する。
「あいつの名前、ホルンだけじゃなかったのか。」
「やっぱり君にもあの人、名乗らなかったんだ。あの人、自分を"ガブリエル"だとは言わないから。」
「へー、呼ばれたくないんじゃないか?」
「そうかもね」
二人はそんな風にたわいのない会話をしつつ、数十分間歩き続けていた。
だが、そこでヨウコはある違和感を覚える。
「おかしい‥‥‥」
「何が?」
「さっきも言った通り、この館はガブリエル様が拡張しているから、かなり広くはなっているんだよ。‥‥でも、さ。私たち少し前から同じところを歩き続けていない?」
ヨウコに言われ、コヨミはあたりを見回す。
渡り廊下から下を覗くと、中庭があり、そこに生えた木々に朝日が差し込んでいた。
先ほどと全く変わらない風景だ。
そこで空を見上げてみると、太陽の位置も雲さえも動いていないように見える。
――確かにおかしい。
「だが、そんなことあり得るのか?同じ所ぐるぐる周回って、一度しか曲がってないのに?」
「あんまり、心当たりはないね。‥‥思いつくものも、そう簡単なものじゃないし」
ヨウコは少し含みのある言い方で、そういった後二人は立ち止まる。
このまま進み続けても、また同じ場所を歩き続けるだけだと、なんとなく気づいたからだ。
だが、確信はない
そうコヨミが思案していると――突如目の前に光の玉が現れる。
「え、なんだ、これ」
「どうしたの?」
ヨウコはコヨミの動揺した表情と声を聞いても、訳が分からないといった様子だ。
目の前に浮かんだ光の玉は、あたりの空気を歪ませ、淀ませていた。
中心部には暗く、どこまでも続かのように見える闇が"在る"。
この世の物とは思えない四次元的で異様な物体、それを見た凡人なコヨミには『理解』など頭が追い付かなかった。
「これ、見えてるか、お前にも?」
「‥‥どれのこと?」
おぼつかない思考の中で、ヨウコに目の前に在るものについてコヨミは問う。
だが、欲していたような答えは返ってこず、ヨウコには"それ"が見えていないようだった。
「何なんだ‥‥‥これ」
頭が正常に働かず、動揺が収まらない。
だが、それが、失敗だった。
ここで、これから離れていれば、コヨミの人生はまた変わっていたのかもしれない。
後にコヨミは後悔する。
‥‥数秒気が逸れ、甲高い耳鳴りがしコヨミは頭を手で押さえた
その瞬間だった、――辺り一面が光で包まれる。
「は!?」
「どうしたの――」
光は形を崩し、拡散した。
目もまともに開けない眩しさに、コヨミは咄嗟に顔を手で覆う。
耳に音がこもり、何も聞こえない。
――一体、何が起こったんだ?
「ッつ」
少しすると、強い光を放った発光体はその勢いを落としていった
コヨミは瞑っていた目を開き、周りを見て状況を確認する。
「‥‥‥どうなってんだ。」
そうつぶやくしかできない異常な光景。
拡散されたであろう光はその色を変え、辺りの建物を赤く染めていた。
先ほどまでは、陽光が差したのどかな風景が広がっていたというのに、それが非現実なものにすり替わる。
コヨミの脳内は、にわかに信じ固い現実を受け止め切れてはいなかった。
「おい‥‥‥」
コヨミは、隣にいたヨウコにこの状況について尋ねようとする。
ただ、声をかけただけでしかないが、今のコヨミにできる精一杯がこれだった。
そこで、コヨミに違和感が生まれる。
混乱の中で思い出す。
ヨウコに、あの光の球体は見えていなかった
コヨミは、突然目に飛び込んできた光に驚き、混乱し動揺していたが見えていないのなら、それは起こりえない。
この状況で、ここまで取り乱した様子のコヨミに、すぐ話しかけてこないのは不自然だ。
そう思ったコヨミは、見ずに声をかけていたその体を傾け、ヨウコの方に視線を移す。
「は」
一音だけ声が自然と漏れた。
驚いて、声も出ないなんて眉唾もの。実際そんな場に居合わせたなら、今のコヨミのようになるだろう。
何も『動けず』、何も『しゃべれず』唾をのむのも容易じゃない
――ただ、ただ、目の前の光景を受け入れることしかできないのだ。
そこには、口を開けたままピクリとも動かない、ヨウコの姿があった。
「な、え。」
コヨミは息を呑む。
人間がゾーンに入ったとき、"すべてが遅く見えるようになる"
そんな現象を聞いたことはあったが、これはそれとは絶対的に違う。
完全に止まっていた。
一切微動だにせず、体温すら感じない。
無機物ともまた違う、
まるでそこに何もないみたく、触れているのに、コヨミだけが世界から切り離されているような、そんな感覚を覚えた。
「お、い‥‥‥何か返事、しろよ」
目の前で手を振ってみても反応しない。
コヨミはその場から、動くことができなくなっていた
その時、
「《世界樹より、人種002へ智神―――からの神託を伝え‥‥‥》」
「‥‥なんだ?」
中庭の上空から声が聞こえる。
耳がまだ正常に働いていないいため、よく聞き取れなかったようだ。
柵に手を掛け、コヨミは声がしたほうの空を見上げる
――空には、"人"のようなものが浮かんでいた。
「なんだ、あれ」
魔法のようなものがあるこの世界。
それをある程度受け入れていたとしても、尚異様な姿だ。
神々しくもあり、畏怖すらも感じる雲から差し込む光が、人間大の体躯を照らし覆っている。
白と水色が入り交ざった服のような、布切れのような物を体に纏うその見た目は、コヨミに直感的に"人ならざる者"だと感じさせた。
「《繰り返し伝達。世界樹より、人種002へ智神―――からの神託を伝える。世界の書から『神の試練 1』が発注されました。『試練 1』は、突破が確認されなかった場合、速やかに"スタート"へ戻り、逆行が執行されます。――完全放棄までの猶予はあと五回です。》」
意図が分からない、言葉の数々が聞こえてくる。
コヨミは無意識のうちに、今聞こえたことを覚えていく。
世界樹や神、試練、それらは、常人のコヨミに理解できるはずもなかった。
「は‥‥‥、何が、どうなって‥‥‥」
コヨミがそうつぶやくと、空に浮かんでいた人型実体はゆっくりとこちらに近づいてくる。
その事態に脳内では動揺し、逃げようと考えるが、コヨミの体は願っても動かず"それ"と対面してしまった。
――瞳と瞳が重なるほどの距離で、息もできない。
一ミリでも動けば、髪が触れ合う、だからこそコヨミは動けなかった。
彼女は、じっとこちらを興味深そうに見つめた後、スッとコヨミの体をすり抜ける。
「ぐ‥‥‥え」
ぶつかりそうで咄嗟に腕を構えたが、彼女は光の粒子になり消えてしまった。
数分の間に数々の異常現象を目の当たりにしてしまったコヨミは、その場で茫然と立ち尽くす。
――何が、なんだか意味が解らない‥‥‥。
頭の中は混乱と畏怖、恐怖で埋め尽くされ、ぐちゃぐちゃになっていた。
「‥‥え、君、いつの間に移動したの?」
その声でフッと我に返る。
コヨミの頭にかかっていた動揺という名の霧が晴れ、ヨウコの方に目を向けた。
――動いている。そう、しっかりと。
先ほど、時が止まったように何をしても反応しなかったヨウコは、声を出し瞬きをし、体を動かしている。
"戻った"、その事実にコヨミは安堵する。
「お前、覚えてないのか。てか、見えてなかったんだよな、あれ」
「え、なんのこと?」
そう言われても、といった顔でヨウコはきょとんと首をかしげる。
あの、神だか何だか言っていた人物をヨウコは見ていなかったらしい
というか、見えなかったのだろう。
コヨミは、何が何だかわからないままも、ありありと鮮明に記憶に焼き付いた光景を思い返す。
――"あれ"は一体何だったんだ。
「‥‥‥。」
「‥‥それで、どうするの?また歩き続けてみる?」
少しの沈黙の後、ヨウコはそう言って、廊下の向こう側を指さす。
コヨミはすっかり忘れていたが、二人は謎のループする道に囚われていたのだ。
(それどころじゃなかったんだけどな‥‥)
心の中でそうつぶやきつつも、目の前にある問題を解決するため、
コヨミとヨウコは再び歩き続けることにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「‥‥なあ?この階段下りられると思うか?」
少し歩き続け、たまに目に入っていた階段の前で止まる。
まさしく、無限に続く廊下のようなものに囚われているのだから、階段を下りてしまえば解決するのではないか。
そうコヨミは考えたのだ。
まだ、何も試していない現状なのでやる価値はあるだろう。
「‥‥‥解らないけど、このままこの階で歩き続けても解決はしないと思う。」
「そうだよな‥‥‥」
「‥‥‥」
「私が、先に行って確かめてみるよ。」
言葉に詰まり、コヨミが思案していると怯えていると汲み取られたのか、そうヨウコから提案される。実際このまま何もしないと前に進むことはできない。
かといって、先ほど異常な光景を目の当たりにしたコヨミには、危険を顧みず自ら率先して進むのも容易いことではなかった。
"ただ階段を下りてみるだけ"であるというのに、コヨミの足は竦む。
「ああ、悪い。よろしく頼むよ」
コヨミがそう答えると、ヨウコは恐る恐る階段を跨いだ。
コヨミとはまた別の理由で、いやな予感がしたのかもしれない
「なにこれ‥‥‥」
足を踏み入れた瞬間、何か、見えない壁のようなものに阻まれた。
コヨミが試しに蹴ってみるもびくともしない、それどころか蹴った衝撃がこちらに帰ってくる。
「いやー‥‥‥マジか。」
薄々、二人が感じていた通りの、予感が的中してしまった。
これでは、階段で先には進めそうもないだろう。
「‥‥あー、」
「どうするの?知ってる限りでは、もう一つ道。あるにはあると思うけど‥‥」
冷静さを失い、表面上装うことしかできなかったコヨミの頭は、徐々に正常さを取り戻していく。
それに伴い、目の前の問題に意識を向けることができた。
ヨウコの言い方からして、もう一つ同じような道があるのだろう。
たとえ可能性は低いにしろ、それは彼女も解っているはずだ
無理だとしても、何か別の方法を試す他ないのだから、そちらに進むしかない。
それを足りない要領でコヨミはようやく理解し、ヨウコの問いに答える。
「そうだな。ダメもとでも、行って試すしかないだろうな。案内してくれ」
「わかった、ついて来て。」
ヨウコ提案の元、二人はもう一つの館から出る道がある方へ向かうことにした。
繰り返されていく廊下。
それに加え、あの突然現れた者が言った『試練』や"神"といった単語。
――果たして、コヨミたちは事態を無事、脱することができるのだろうか‥‥‥。