第五話「揺らいだ空気と朝の匂い」
眠りから覚める。コヨミはその行為が大嫌いだ
昨晩、疲労し体力も尽きて本日はこれにて仕事完了。
一日を終えて、やっとの思いで寝られた。というところで、いつも悪夢に魘される。
ずっと、ずっと昔の夢が恐怖となって迫りくる
そんな地獄を逃げ切ったと思った瞬間に、
重い重い、まるで体中が水で覆われているような感覚で、朝日と共に目が覚める
そんなことが毎日毎朝続くものだから、コヨミは"目覚め"を忌むべきものだと思っていた。
少なくとも、今までは。
「――あ。起きた」
暖かいふかふかのベット。
本屋で漂うようなそんな独特の香りに、
いつも感じる不快な目覚めとは程遠い、すっきりとした気持ち。
そして、横から聞こえる声。
「‥‥‥は?」
耳元で囁かれたのは、寝起きの頭にすんなり入ってくるほど澄んでいて、曇りが一切ない少女の声だった。普段なら絶対にありえない状況。
――今隣に少女がいる。
そんなことを考えているうちに、ここが自分の部屋ではないことにコヨミは気が付く。
「知らない天井‥‥‥」
そんな定番のセリフを口に出す。
少しずつ、曇った目が晴れていき、コヨミは意識を失う前の出来事を思い出していった。
今、自分が置かれている現状。
そこにたどり着いたコヨミは、隣にいる少女に質問する。
「‥‥‥なあ?なんで、お前は隣で寝てるんだ‥‥?」
「え。眠かったからだけど。」
答えが答えになっていない返答をするホルン。
意味が判らない‥‥‥知らないやつと同じベットで寝るか普通?
――と、正常な思考で思うも、ここまでのとんでも展開で感覚がマヒしたコヨミは、理解を放棄し納得することにした。
「まあ、それはいいとして。お前は誰だ?」
「昨日、会ったでしょ。私は、ホルン、だよ。」
誰、という文字が、一瞬頭をよぎるもすぐに思い出す。
シノに着いていった先の変な小部屋で研究をしていた、蒼銀の髪の少女だ。
確かに眠る前、コヨミはこの少女に会っていた。
「悪い忘れていた。で、これはどういう状況なんだ?」
そう言いながら、少し重い体を持ち上げ、ベットから出ていこうとするコヨミ。
だが、何かに手を引っ張られて、うまく布団から抜け出せない。
「えーっと、‥‥‥手を放してくれ」
――ホルンが、俺の手を強く握って離さない。
コヨミは少し腕を動かし、逃げようとする。
だがホルンの手が、鋼鉄のように固くてびくともしない‥‥‥
そんな力んだ腕を振るわせ、少し動揺するコヨミに対し、ホルンは意を介さぬように話を続ける。
「昨日、あなたがここにきて、そのあと、白乃は私に全部まるなげして、部屋を去っていった。以上」
「なるほど‥‥‥てか、俺そんなに寝てたのか」
ホルンは端的に経緯を説明し、コヨミはそれに頷くしかなかった
理不尽に黙らされ気を失い、挙句の果てには完全放置。
シノはとても、助けてもらえる人物とは思えない。
「‥‥‥やっぱ頼れるのは自分だけだな」
「‥‥‥なに、独り言?」
「いやまあ、それもそうだな。言ってても仕方ないか」
一晩寝たからなのか、心は静まり返った水面のように落ち着いている。
だが、なぜか体が重い
手を握られていることを抜きにしても、体の中心に鈍い痛みが残っている。
コヨミはその理由を思い出した。
「でも、あいつは一発ぶんなぐってやる」
それと同時に、シノへの苛立ちが募っていく。
あの時何故、自分が実力行使を受けなければならなかったのか
そう、一瞬考えたが、こちらから蹴りにいったことも思い返すと
そこまで、不思議ではないかと納得する。
「‥‥‥とにかく、あなたの調べは付いた。」
「一見すると、この世界の人間みたい、だけど、どんな亜人にも、属さない型がある。それに魔力は使えないほどじゃないはずなのに、魔法への適正が、ほとんどない。」
魔法という非科学的な物の構造を、いまいち把握していないコヨミでも
思い当たる節があった。
街で見ただけではあるが、水を運ぶ用途で使われていたものや
先日体験した、口の周りを一瞬のうちにテープのような物で固めていた、あの事象のことだろう。
「そりゃそうだ。俺は昨日まで"魔法"なんてのは架空の物だと思ってたわけで、
使ったことなんて一度もないからな」
「違う。そうだとしても、適性がない、のはおかしい。それに、魔素への耐性も皆無。明らかに、生物として破綻してる」
「なるほど‥‥‥」
魔素とは、漫画などでよく見かける単語だ。
ある作品では、空気中に漂っている物でまたある作品では、魔物が放っている物。
多種多様ではあるが、多くの作品では架空上の元素や粒子といった設定がとられている
現実である以上、当てになるかは解らないが少なくとも予想は付く。
「そんな破綻した生物が、なんでまだ生きているんでしょーか?」
「うーん。そこまでは、解らない。もとりあえず、仕事はやった。今から、研究の続きを、やる」
そう言うと、ホルンは握っていた手を離し、離れたところにある机に向かっていった。
机の上には、設計図のようなものが置いてあり、何かの作業の途中だったようだ。
コヨミはその様子を目で追いつつ、辺りを見回す
よく考えると、昨日コヨミが倒れた場所とはずいぶんかけ離れた部屋。
大きな図書館というか、それに研究所が合わさったような場所。
機材類や本が空中に浮かんでいて、訳の分からない巨大な装置なども見える。
「おい、ちょっと待てよ。ここは一体どこなんだ?」
「‥‥‥ここは、私の魔導書庫、研究部屋。もう研究に戻るから、邪魔しないで。」
ホルンはそう告げると、椅子に座り、筆を進め始めた。
コヨミは言われた通り邪魔をしない、なんてことはできなかった。
何故なら、これからどう動けばいいのか皆目見当がつかないからだ
昨日、二人から聞かされた話によると、少なくともコヨミはシノにとって、重要かつ厄介な人物ということらしい。あの様子からして、勝手に館から出ていこうものなら、力でねじ伏せられて、即刻連れ戻されることになるだろう。
よって、これからどう動くべきなのかホルンに尋ねなければならない。
「邪魔しないは無理だ。だが、簡潔に話すよ。」
「俺はこれからどうすればいい」
「‥‥‥知らない。でも、扉から出た先を、真っすぐ、歩いたら‥‥シノの部屋がある。そこに行って‥‥‥これを‥‥見せたら‥‥説明してくれる、と思うよ。」
作業を続けながら、何だかんだ聞かれたことに答えてくれるホルン。
その説明が終わり、"これ"と言ってコヨミに差し出したのは丸まった書簡。
紐で結んであり、赤い封蝋がしてある。
コヨミはそれを自分の鞄に入れて、言われた通り部屋を出た後まっすぐ行った先、シノの部屋に向かうことにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
部屋を出ると、岩がこすれるような音がした後、バッタンと勢いよく扉が閉まる。
何かの仕組みが作動したのかもしれない
「こっちで合ってるよな‥‥‥」
そう言いつつも、ホルンに言われた通りに進んでいるのだから間違えようはない。
見慣れない建物だからこそ来る不安なのだろう
真っすぐ、最短距離で歩き約三分
他の扉とは明らかに違う、白い扉の部屋。
ここが、シノの部屋だろうとコヨミは確信する。
扉を四回ノックし、声をかける
「白乃ー?ホルンに言われてきたんだけど、いるかー?」
ちゃっかりと呼び捨てで呼んでみるが、暴虐の姫に敬称をつけるのも癪。
そう思いコヨミは、呼びやすい方法をやり返しと言わんばかりに使うことにする。
呼んでから数十秒。
中からの応答はなく、代わりに慌ただしい物音が聞こえてきた。
そこから少しすると、その音は止み、足音が早々とこちらに近づいてくる。
それに心なしか扉の前で「ッチ」と舌打ちが聞こえたと思う
「‥‥‥朝早くから、何の用‥‥貴方でしたか」
「何だよ、その如何にも嫌そうな顔は。」
不機嫌そうにコヨミの顔を見ているシノは、すぐに視線をずらし体の向きを変える。
「‥‥場所を移しましょう。ついて来てください」
「またかよ」
スタスタと早足で、シノは廊下を進みどこかへと向かい始める。
この流れに慣れたのかコヨミは少女の後をついていき、目的の部屋であろう所に着いた。
入り組んだこの館には、多くの部屋があり、その数だけ扉がある。
ホルンの部屋の扉も、他のものよりかは幾分か大きかったが、これは今まで見たどの扉よりも巨大だ。
人生でここまでの物を見たのは初めてかもしれないな、とコヨミは思う。
「‥‥‥外観で見たよりも、この館はデカいのか?こんな部屋、収まりきらないだろ普通。」
「いちいち驚かないでください。世間知らずも甚だしいですよ」
どこまでも見下したような目で、コヨミに吐き捨てるように嫌味を言う。
それに何か意図が込められているのでは、と初めはコヨミも考えていたが、そうではなくシノの"これは"純粋なまでの悪意。
一見すると汚れ切った貴族のような立ち居振る舞いだ。
だが、どこか寂しげで何もかもがつまらないとでも言いたげな心の内が、その目の奥には見える。
――コヨミは、人とというものを心の底から嫌悪している。
どんなに良い人物でも、いつかは裏切ると考えているのだ。
だからこそ、昨日まで人を避けて生きてきた。
不慮の厄介ごとに巻き込まれ、他人に頼らざる終えない状況になったからこそ関わっているだけ。
だが、その実コヨミは人をよく見ている。
分析し続けて、わずかな『人の善性』という可能性にすがり続けてきた。
そのため、誰であろうと一目見るだけで、その人物の人間性と、今抱いている感情が大体解るようになってしまったのだ。
それは体に纏わりついたオーラのように、感覚で理解できるもの。
コヨミは最近、それを見ないようにしていた。
――だが、ふと魔が差す。
この少女は何を思って今生きているのか、ここまで悪態をついて自分に何を思っているのか、と。
そう考え、真剣に相手を見てみることにした。
するとそこに有ったのは、
――ただの静寂。
暗闇の中、ただ風の音だけが木霊するようなそんな形のオーラを彼女は纏っていた。
一糸乱れず有るその陰には、どこか諦めているような感情も感じ取れる。
全てが切り離されている。まさに孤高で虚構。
何もない、今までシノが発した感情ある悪態も全てはそう演じている
あるように錯覚しようとしているだけ。
あるいは、切り離そうとしているのだ。
ただただ、白く何の色もない
こんな人間は初めて見たと、コヨミは思う。
「‥‥‥こいつなら。」
「何、ぶつぶつ言ってるんですか。早く席に着きなさい」
そう促されコヨミは中に入る。
中は食堂のようだ、縦に長いテーブルに横に並んだ多くの椅子。
その奥には巨大な青いランタンのようなものが、空中に浮いている
それは、くるくると回転し続けて粒子状の物を吸収していた。何かの動力に変えるように。
とにかくコヨミはシノが指で指した、向かいの椅子に座る。
「‥‥‥で、俺はこれからどう動けばいい」
――ひとまず思ったことも、こいつのことも後回し。
今は、自分がこの世界で生き残ることに思考を絞る必要がある、とコヨミは判断した。
シノはコヨミの言動に少し驚いた後、冷静にこれからのことについて話す
「‥‥少しはマシになったようで良かったです、これで話を進められます」
「‥‥‥貴方には、誰にも知られず、とりあえずは二カ月間。この城でこれから生活してもらいます。」
コヨミの問いに対して簡潔に、シノは要望を超えた命令を下す。
だが、コヨミはそれに反対することはできない
昨日、追加の情報としてこの世界には、元居た世界での並の人間では、到底太刀打ちできないであろう『魔法』の存在をはっきりと理解できた。
それなのにコヨミはこの世界の常識も文化も、一部しか知らない。
そんな現状で、一文無しかつ武力を持たないコヨミはすぐに死ぬだろう
何も抵抗できず昨日、気絶させられたのがいい証拠という物。
――だから、この提案はチャンスでもある。
「解った。だが、一つこちらからの頼みを聞いてもらいたい」
「‥‥‥何でしょう」
一瞬間を開け、コヨミは今できる最善を取る、そのための要望をこちらからも伝えることにした。
「――俺に、生き残るための術を教えてくれ。」