始まりを見た少年と始まりを創れる少女
別所で投稿したものをそのまま持ってきました。一応、ライトノベルです。多分。ちょっと長いかもしれません。
俺は昔、世界の始まりを見たことがある。
それはいかにも当たり前な光景で、少し拍子抜けだった。それでも、俺はその光景に歓喜し、おおいに盛り上がった。それは俺が生まれてから六年経った日のことだ。周りには誰もいなかった。俺だけがその瞬間に垣間見れ、俺だけがその瞬間の虜になった。だが、この世界において、世界の始まりを見たことがある人は、何も俺だけではない。誰でも生きているだけでその瞬間には立ち会えるし、逆に、自ら世界を始めることも難しいことではないんだ。矛盾している表現だけど、まあ許して欲しい。
この考えは初めて世界の始まりを見た時から十年経つ今でも変わらない。当たり前だろう。変わるわけがない。変わるとしたらそれは、俺の価値観がよっぽどのことが起こってガラリと変わるか、もしくは俺が死ぬでもしたらだ。だったら、俺の考えは変わらない。そう簡単に変わるものじゃないからこその価値観な訳だし、俺が死ぬなんてもっての他だからだ。俺にはまだ、好きな漫画の連載再開という最高なニュースが待っている。こんなところで死んでみろ。幽霊か何かになってでも、この世に留まってやるからな。
何はともあれ、俺には俺の世界があり、俺以外の人達にはそれぞれの世界がある。それが例え血に染まる殺人鬼の世界でも――それが例えどうあがいても叶うはずのない夢を追い続ける世界でも――それが例え皮肉と捻くれに満ちた世界でも――一般の中の一介の高校二年生の俺では否定する方法がない。せっかく、神様とかいうクリスマス限定で俺を虐める厄介なじいさんがくれた大切な一生を、どんな形で終わらせようと、俺なんかが文句を言う権利はないからだ。
だが、こいつには――こいつだけには文句を言わせてほしい。
――朝の登校中、いきなり背後から俺を薬品付きハンカチで眠らせたこいつにだけは言わせてほしい。
今現在、俺はこいつと共に早朝の倉庫にいる。睡眠から目が覚めた俺は、一瞬にして自分の状態に驚愕した。椅子に座っていると思ったら、手が動かない。次に、足が動かない。最後に頭以外の体全体が動かないことがわかると、俺は目の前に腕を組んでいつも通り無表情で佇む彼女――井手茜を睨みつけた。井手は一向に動じない。動じないどころか、微動だにしない。口も何も動かさず、ただただ無機質に縛られて動かない俺をじっと見ていた。
十六年、誰にも何にも文句を言わずに漫画ばかり読み漁ってきた俺の人生。
一回くらい、文句を言ったっていい筈だ。こんな理不尽、普通に許される訳がない。ていうか今の俺――動かないどころか、所々怪我してないか? 右手の甲に違和感があるし、目もよく開けられない。視界がぼんやりとしている。どうやらこれは起きた直前だからぼやけているということではないらしい。
おいおいこのクラスメイト……まさか、早朝に気絶させただけじゃなく、怪我も負わせた上で拘束してるのか? 意味がわからないぞ。大体そんなに井手と面識はない筈だ。俺に起きている全ての事件の意味がわからない。わかろうにも、犯人である井手は喋ろうともしない。思い浮かぶ言葉は文句ばかりだった。
十六年、だ。
長く生きたとはいいづらいかもしれないが、俺的にはそこそこ長く生きたんじゃないかと思う。
そんな十六年の内、文句を言ったのはクリスマスの時の神様とやらにだけだ。
だから、今から俺に文句を言わせてくれ。なぁに、すぐに終わるさ。たった一言、叫びたいだけだからさ。
だから、俺に文句を言わせてくれ。
「お前は俺に何の用なんだ!」
渾身の叫びは、倉庫中に響いた。響く響く。何回も「お前は俺に何の用なんだ!」という言葉が重なって聞こえた。井手は俺の叫びに両手で耳を防いだ。流石の冷徹女でも、これは効いたらしい。ざまあみろ、クラスメイト。
改めて見直すと大きな倉庫だった。見渡す限り、空間が広がっている。大きさは陸上のトラック走のトラック三つ分くらい。その空間の中に、茶色の段ボールが積み重なっている。しかしそれらは俺からは遠く、つまり今近距離にあるのは井手茜という存在だけだった。遠くの窓から日光が差し込み、錆がかかった淡い青色の床と壁に差し込む。
「何の用もないよ。ただあんたが単純に目に入っただけ」
俺はそこら辺に飛んでいるゴミか何かかとツッコミを入れたくなる感情を必死に抑える。こいつの一挙一動に注意していないといけない。井手は、いきなりクラスメイトを気絶させ、その次に監禁するという本来普通の高校生女子には不可能に近い犯罪をいとも簡単にやってのけた奴なんだ。だから、次に何をするか全く見当がつかない。だったら、ずっと見ているしかない。今の俺に、井手の行動の予測はついても、その行動を回避出来るかときかれれば、口を閉ざすしかないけれど。
すると井手は息を小さく吸い込み、それと同時にため息をついた。そのしぐさ一つ一つが軽くゆったりとしていて、クラスにいる時とは別人の印象を受ける。そんな彼女は、俺が座る――もしくは監禁されている目の前まで近づくと、もう一度、今度は今さっきよりも大きなため息をつき、俺の前髪を左手で掴む。他人に髪を掴まれ、そこから生まれる奇妙な感覚と、ゆっくりと広がるズキリとした痛みが、俺の頭皮を覆う。すると井手は、俺の目線の真正面に、ほぼ零距離といえる程近い場所まで自分のやけに整った顔を持っていき、やる気がないような表情で俺を見た。吐息がかかる距離だ。こんな訳のわからない展開の中じゃなかったら、井手のこの一連の動作だけで、小説の原稿用紙に換算すると五枚以上は使いたくなるくらいの興奮だっただろうになぁ。ま、今の状態じゃ、高校生男子の正常な反応も鈍るか。
「ったく、面倒極まりないわよこんなの。そもそもあなた、何で抵抗してこないの? 本当に……うざったいわ」
首を一回傾げて(いつもクールぶっているこの井手茜というクラスメイトがとったこの行動は、物凄く珍しく、かつ俺のテンションを上げる役目をしたのは言うまでもない)そう言うと、井手は突然俺の腹を思いっきり殴った。
「グッ……カハッ……」
いくら女子の拳と表現しても、実質は効き腕の右ストレート――零距離から放たれた躊躇のないその一撃は、俺の腹目がけて深くめり込んだら、それ相応の痛みが俺を襲う。しかもどうやら、井手は女子の中ではかなり腕力がある方らしかった。これは痛い。体全体が頭を下向きに折りたたまれるような感覚が全身を伝うと、胃の中の物という物を全て吐き出したくなる衝動に駆られる。思わず悲鳴がこぼれた俺を見てもまだ満足できなかったのか、井手はもう一度、拳による思い一撃を繰り出す。二撃目といってもやはり、痛いものは痛かった。なんだこれ。どうなってんだこれ。俺は今日の朝、普通に起きて、普通に朝食を食べて、普通にお天気アナウンサーの頬笑みを楽しんで眼福して、普通に行ってきますを言い、普通に歩いて登校していただけだぞ。それなのになぜ、いきなり監禁され、いきなり殴られなきゃいけないんだ? 意味不明どころか、意味をわかろうとする気にもならないぞ。
「あんたみたいな奴でも痛いって感じるんだ」
語尾から聞き取り判断するに、ようするにどうやらこいつは俺を以前まで同類と思っていたらしい。だが、犯罪行為まで行ったこの土壇場で、ゆっくりとその考えを覆したらしい。この段階での俺の疑問は次の三つだ。
一つは――至って普通な高校生である俺と、クールなキャラだった癖に楽々と犯罪を起こすような井手と、どこら辺が同類なのかという疑問。
一つは――何を判断材料として、自分がさっきまで持っていた考えを変えたのかという疑問。
そしてもう一つは――これだけ俺をいたぶっておいて、何か意味があったのならまだしも何の意味がないとは一体全体どういうことなのかという疑問だ。俺はどれを一番最初に聞くか決め、大きな声で口にした。
「お前は何で俺を殴ったんだ!」
「ん? ああ、それはね、あなたが私と同類だと思ったからだよ」
全身全霊の俺の問いかけが、全く意味を持たない返答を井手は発した。無機質にこちらを見つめる井手に、返答を偽っているというような概念は持ち合わせてはいないだろう。無邪気な顔と表現してもいいかもしれない。因みに現在も井手の拳は振りかぶられている。俺が疑問を発したから、仕方がなく行動を止めて、俺の質問に答えてくれているらしい。ということはつまり、俺との会話が終了した場合、迷わずその拳がまた俺の腹を直撃する未来は目に見えていたので、なんとかして会話のキャッチボールを続けなければならない。なんだか、仕方がないので、もう一度聞いてみることにした。今度は、ゆっくりかつコンパクトに。
「何でお前、俺を殴ったの?」
「それはね、あなたが私と同類だと思ったからだよ」
「スゲェやさっきの繰り返グフゥ!」
そう言うと、また井手は俺の腹へと拳を直行させた。思わず息が吐き出されてしまう。そして、また井手は拳を振りかぶった。痛みをこらえながら、俺は必至で次の質問を考える。なんだか、会話のドッジボールをしている気分だった。とりあえず、同類ということの意味を聞こう。そう思って話しかけようとした瞬間、俺の真正面から井手は離れ、今いる場所から少し離れたところの床に置いてある何かを取った。横から見ると真ん中がくぼんだ形状になっており、先端と握る場所の後ろが丸い。握る場所には少し茶色い錆みたいな赤みがかかっており、滑り止めの役割をしているかと思われる。そして、全体的に白いそれの先端には、過去に赤いペンキが飛沫をあげたような跡が残っていた。あー……あの赤いのってもしかしてもしかすると、どっかの動物の血かな?
「早く学校行かなきゃ駄目だね。高校生らしく、真面目にキッチリと」
「ひぃっ」
井手が手にしたそれは、バットだった。思わず悲鳴が零れる。そりゃそうだろう。監禁して殴ったクラスメイトがバットを持っていたら、とる行動としては一つしかない。こいつは、バットで俺を殴打するつもりだ。
「だから記憶を失ってちょうだいな。いい具合に振りおろせば、いい具合に記憶なくすでしょ」
「お前はエスパーか何かか!」
思わず出たツッコミもスルーし、井手は両手で持ったバットを振り下ろす。見上げる目前に赤い先端が迫り、一直線に俺へと向かっていた。やばい。こいつ、マジだ。本気で俺を殴って記憶をなくそうとしているらしい。ていうかこの速さだと、俺、冗談抜きで死ぬんじゃないか? いくら女子と言ってもあそこまでの腕力持ってる奴だし。ああ、ここで俺は死ぬのか。享年十六歳。いやはや、いい人生だったよ、全く……って、
「こんな展開納得できる訳ねーだろーが!」
さっきよりも大きな声で叫んだ俺は、バットを振り下ろす井手をまっすぐみた。突然の俺の叫びに、体をビクリと怯ませる井手。バットを一旦両手ごと下ろし、怪訝な顔をして俺を見た。
「……ビックリするから叫ぶのやめてよ」
「お前の行動の方がビックリするっての!」
「ふふん、まぁね」
「誇らしげに胸を張るな!」
その笑顔が怖いんだよ!
張ってもそんなにねぇんだったら張るなや!
「……今、猛烈に殺意が発生したんだけど、あなたが原因かしら?」
「いやいや、そんなことはねーよ、はい、ないです、はい」
「……ふぅ。なんだかなぁ、これ。面倒極まりないわよ」
一度は熊をも殺せそうな視線で俺を見た井手だっただが、ため息をつくと、途端にやる気をなくしたようにその場にへたりと座り込んだ。正座で、バットを未だに持ちながら。椅子に座る俺の顔を見上げる。
「単刀直入に聞くわ。これで間違ってたら私が笑い者だけど、記憶消せばいいから何でも聞かせて貰うわ。頭いいわね私。流石私」
勝手かつほぼ実現して欲しくない結論に至った井出は、ここでようやくバットを井出の後方ーーつまり俺の前方へと投げ捨てる。カラン、とした音をたてて、バットは遥か遠くへと離れた。
そして、井手は俺にこう聞いた。
「あなたって、世界の始まりを創れるわよね?」
その言葉を聞いたと同時に俺は思った。
あ、ヤベェやこいつ。
「私は世界を創れるのよ」
井手は椅子に縛られたままの俺を見てこう言った。
真面目な顔だった。
大真面目な顔だった。
クラスの中ではクールな生徒会長として知られる井手が、よくもまあこんな世迷い言を吐いたもんだ。
「……何よその残念な物を見るような目は。私の瞳に映るあなたの顔でも見ちゃったの?」
「俺の視線がピンポイント過ぎるだろ!」
お前の目なんて見てねーよ!
しかも残念な物って!
人の顔を残念な物呼ばわりするなや!
「明らかにお前の話しを聞いたからだろうが!何だ「私は世界が創れるのよ」て!完全に中二病じゃねーかよ!」
「そんな風に言った覚えはないわ。正しくは「わたくしは世界が創れるザマス」よ」
「要らん所でボケるなや!」
つまんねーんだよその小ボケようこらぁ!
とっとと本題に移りやがれ!
「はぁ。はいはいわかりましたわかりましたよ。説明させてもらいますよ。全くもう……しょうがないんだからっ」
心をよんでるとしか思えない井手は、いきなり口調が変わったかと思うと、はいはい呟きながら井手は制服を脱ぎ始めた。
……いや何で?
何でやねんっ!
「おいおいおいおいおいおいおいぃ!」
「おいおいうるさいよっ。甥っ子なのかな?!」
「おいおい言う奴が全員甥っ子だったらリアクション芸人は全員甥っ子になるわ! って待て俺ツッコむ所はそこじゃない!」
こう言っている間にも井手は制服を脱ぎ続けている。脱ぐと直ぐさまぞんざいに後ろへ投げ捨てる。そして遂にカッターシャツまで辿り付くと、上半身から手が離れ、膝が見える寸前程度に短くされたスカートに手をかけた。
だーかーらーちょっと待ってくれ何だこれ!
①監禁される
②普通に登校
③クラスメートが脱ぎ始める
④監禁した相手に殴られる
⑤監禁した相手が「私は世界を創れるのよ」と言う
さあ①~⑤を正しい順に並べてみろや!不可能だろうが!
「②、①、④、⑤、③だよねー」
「やっぱり心読んでるよねホント何者なのお前! うわっ、た、頼むから脱ぐな! その下はお前……お前ぇ!」
「うん? ちゃんとはいてるけど、ズボン。上もこれ以上脱ぐ気はないし」
「え……」
スカートをパサリと革靴まで下ろした井手は、きちんと青色の短パンをはいていた。少しかがみ、スカートを後ろに放り投げた井手はそれ以上脱ぐ気配はなかった。
……まあね、流石に素肌まで見れるとは思ってなかったけどね、もう少し……なんかこう……
「脱いで欲しかったの?」
「はい! って違う!」
ヤバイ! つい心の声が出ちまった!
「心の声なんてさっきからずっと読んでるけどね。……はぁ。ったく、面倒極まりないわよ」
かったるそうな雰囲気にまた戻すと、普段は隠れているふとももを見せたまま、薄着で俺を見た。薄着なのに胸部がピックアップされないところから分析する限り、やはり井手は胸が小さいのだろう。
「……へぇ。死にたいんだ、あんた」
「すいませんでした!」
「ったく、面倒極まりないわよホント。世界を創る為にはああやってキャラ変えながら二、三枚服脱がなきゃならないの。ねえ、知ってる? 巨乳って隠せるのよ? ブラジャーをわざと小さくすることで、抑えることが可能になるの。わかった?わかったら土下座でもしてもらおうかしら」
「土下座したくても出来ない場合はどうすればいいんですか!」
「死ね」
「死ねって!」
ニタァ、と不気味に笑いながら、それでも崩れない井手の美顔と素晴らしい胸の大きさは俺に恐怖を与えた。
「……よしとしましょうか」
少し口調の端を吊り上げた井手は、満足したのか椅子から離れると、俺の目の先の遠い所まで歩く。倉庫の真ん中まで行くと立ち止まり、俺の方を向くと、右の掌を天井にかざしたまま腕を伸ばした。
「…………」
突然、掌から目で見える透明な小さな立方体から現れた。空中に浮かび、どんどん上がっていく。音もたてずに天井にぶつかると、立方体は破裂した。ガラスのように破片が地面に散らばる……かと思うと、無数の小さな破片はそれぞれが意志を持ったかのように浮遊し、飛び、天井全体に――均等に散らばった。
そして、突如一つ一つが光り出した。
日光に混じった光りの粒は、倉庫の地面にまで一直線に伸び、均等に開けたまま、その状態を維持する。相変わらず音はない。不思議と眩しいことはなく、神々しいくらい綺麗な光景を、口を開けたまま俺は見ていた。俺の足にも光りがかかっている。あったかっ。原材料はなんなんだろう。いやーそれにしても素晴らしいパフォーマンスだなーアハハー。
「言っとくけど、手品とかマジックとか――そういう類いじゃないから」
倉庫の真ん中で、井手は両手を組んだままその光景を見守っている。
伸びた光りの線は横に膨らみ始め、俺や井手をも包みこみ始める。
そして――光りは俺の視線を完全に塞いだ。「害はないわよ」という井手。言葉の通り、俺の目は瞬き一つする必要がなかった。
「私がこの力に気付いたのは幼稚園の時。私は私が認識する存在だけを留めておける空間を創り出せる。要らないものは、廃除する。面倒極まりないけど」
倉庫の中には、倉庫のほとんどを占めていたダンボールがなくなっていた。自然、倉庫には井手と井手の服装と俺と、俺を縛りつけるものが残っていた。
それと……何故か遠くにバットも。
「つまり私は、私の――私による――私だけの世界を創れるのよ」
井出は笑っていた。声をあげずに、笑っていた。
自分が作りだしたこの状況を――満足したかのように。
「創れる空間の範囲は今はこの倉庫くらいが限界だけど、歳を重ねるごとに広がってるわ。幼稚園の時は、掌から出る立方体すら浮かばせられなかったし。だからこの力は『始まり』なの。私の夢への始まりを創りだせる、大切な――力」
「夢?」
「そう。高校を卒業したら、すぐに世界をまわるつもり。四十歳を過ぎたら、私が好きな人と好きな物だけを残して――私の世界を創る」
俺の反応を見ると、井出はゆっくりと俺の頭を掴む。井出が掴んだまま、椅子と、俺を縛り付ける全てのものが消えた。俺は頭を掴まれて無理矢理立たされる。屈辱だった。これとない程に。
フフン、と井出は笑うと、話しを続ける。内心、俺は井出の話しを信じていた。信じるしかない。こんな――周りの物が突然消えるような状況――見たことも聞いたこともないからだ。
「力に気付くと同時に、私と同じ力を持つ人――つまり仲間ね。仲間を判別することも出来るようになったのよ。近付かなくても感覚でわかるの」
「……話しからすると、お前以外にもそんな馬鹿げた力って奴がいるみたいないい分なんだけども」
「いるわよ。そこら中にいっぱい」
井出は簡単に答えた。世界は広いなー。こんなん出来る奴らがいっぱいいるのかー。
「……あんた、信じてないでしょ」
「信じてるよ」
心を読む云々の話しはもう言わないことにした俺。
「そんな真っ直ぐ見ながら「信じてるよ」なんて言われたら少しトキメイちゃうじゃない……なんて言ったら?」
「最後の一言がなかったらヤバかったっ!」
「そう――正直なのね、あなた……って言いたいところなんだけど、あなた、嘘ついてない?」
「嘘?」
そう言うと井手は俺を睨んできた。嘘って言われて思い浮かぶのは……隣の家の大学生の家の前に落ちていた下着を拾って保管していたことを、誰にも言わなかったことぐらいなんだけど……。
「犯罪じゃないのそれ。まあ面倒極まりないからどうでもいいわ。私が言いたいのはそれじゃない」
井手は、俺の目の前に近づき、頭をもう一度掴んでギシギシと握り始める。普通に痛い。俺の耳元に口を近付けると、温かい吐息とともにこう呟いた。
「あなたには、普通の仲間より巨大な力を感じたの。どういうことか教えてもらえるかしら?あなた……普通の人間じゃないんでしょ?」
何のことだかわからないことを井手は指摘した。
「嘘おっしゃい」
意味がわからないことを井手は言った。
「嘘よね」
お前が好きだっ!
「嘘だといいけど、それが本当だったら嬉しいわね」
「マジで!」
「……だって、本当に私が好きなら、言いたくないことでも言ってくれるでしょ」
ドキドキする提案だった。うーむ、どうしよっかなー……井手かー……もう少し大きい方が俺は好みなんだけど……と思っていると、井手は俺の頭から手を離し、ある物へと手を延ばした。
――バットだった。
「さあ、早く白状しなさい」
そう言うと、井手は持ったバットを振りかざし始めた。
あーそういうことかそういう展開ですかー。
「……ったく、やってらんねーよ、こんなの」
俺は逃げるように走った。
いや、違うな。そうじゃない。井手――お前はなんだかしらんけど心が読めるんだろ?
だったら大丈夫だ。
――俺の中のルールには、反してない。
「お前と同じように、俺にも制限がある」
俺の力の制限は――力のことを決して誰にも『喋らない』こと。だから、何をされても口を割れなかった。
けれど、心をよめるお前になら説明出来る。
「読心術よ、こんなの。たいしたことないわ」
「それにしたってスゲーよ」
俺はそう言いながら、倉庫の出入り口まで歩いた。それ以上行こうとすると、見えない壁に阻まれる。井手の力が作用しているんだろう。
――だったら。
――ここから、俺が脱出出来たらどうなる?
――沢山あったダンボールが、また倉庫の中に戻ったらどうなる?
「悪ぃな、井手」
「何が?」
「この『世界』……壊すぜ」
俺が右手をかざすと、パリィンと大きな音が再び起こった。
直後、ダンボールが、俺を縛っていた椅子やらと共に出現した。
「あ……あなた……あなたは、私の逆ってことなの!?」
この数分の内で始めて声を荒げた井手は、心の中で説明しようとする俺を完全に無視して、一人でブツブツ呟き始める。
「私と逆で……世界を壊せる人間……他の人より感じる力が強いということは……あんたもしかして、もう地球という世界全体に干渉出来るくらい力が強くなってんじゃないの!?」
「まあ……否定はしないでおく」
「そんな……何で!」
綺麗な黒髪を振りながら、信じられないとでも言いたげに主語がない疑問を俺にぶつけてきた。
「あんた、世界を壊せる力を持ってるんでしょう!? なのに何で、普通に普通の高校生として暮らしてるの!? 何かしようと思ったことはないの!? だって、世界を消せるのよ! 神に近いじゃないの! こんなふざけた世界を壊そうと思ったことはないの!? つまんないじゃないこんな世界! 面倒極まりないことばかりよ! なのに何で!?」
「無いな……って言ったら嘘になる」
俺だって自分で自分が嫌になったことは山ほどある。うざったい親や先生――点数がとれないテスト――彼女が出来ない人生――何をやっても上手くいかない世界――
だけど。
本当に世界を壊そうと思ったことはない。
――何故ならば。
「俺は、世界の始まりを見たことがあるからだ」
「世界の始まり? 私の力ってこと?」
「ふざけんな。あんな『普通』の力――世界の始まりなんかじゃない」
「普通!? 私の力が普通!? それは調子乗りすぎよ! 確かに世界を壊せる力は素晴らしいわ! でも、そんな一方通行な力なんて……」
「俺のも普通だ――こう言ったら、お前はどうする?」
「ど、どうするって……あなた、正気なの?」
心底信じられないと言いたいかのように、井手は口を閉ざした。
そんな井手に、俺は言う。
「こんなん普通だよ。核爆弾とか世界中に発射すれば世界は壊れるし、地震だって隕石だって、おんなじことが起こる。やろうと思えば、誰にだって地球は壊せるんだ」
昔は俺も、井手と同じ様に世界を創り変えようと思っていた。そりゃそうだ。小学生の時に世界を壊せるなんて過ぎた力を持ってたら、少しのキッカケで使いたくなる。ただ、世界を壊した時、俺自身がどうなるかわかったもんじゃないから実行しなかっただけだ。
もし世界を壊せたら?
誰にでも上手くいくわけではないこの世界。美人の生徒会長という立ち位置の井手だって、それなりに苦しむこの世界。
そんな世界を本当に壊せたら?
俺は真剣に悩んだ。俺にはそんな絵空事を実行出来る力があった。制限のせいで誰にも相談出来ないのも含めて、俺は一人孤独に悩むことになった。
俺が手をかざして少し考えれば、目の前の全ての物が一瞬にして消えてなくなる。
神様にでもなった気分だった。今思い返せば無茶苦茶恥ずかしい記憶だけど。
そんな俺が変わったのは――ある出来事がキッカケだった。
小学生の時。季節は夏。
一人で下校していたら、俺はとんでもない光景を見てしまった。
いつも通る路地裏で。
野良犬が、一つの命を産もうとしていた。
思わず立ち止まり、見入ってしまった。
数分だろうか。苦しむ犬をずっと見ていた。父親が居ないのを気にしてたら、遠くから野良犬が近づいてきた。父親野良犬は、大きな葉っぱを何処からか持ってきた。近くに公園があったから、そこから持って来たんだろう。
その葉っぱを、母親野良犬の上にくわえたままかざした。日傘代わりにしたんだろう。その姿は、なんともかいがいしかった。
それを俺は見続けた。当時、人の出産シーンも見たことなかった俺だ。野良犬がとる全ての行動が新鮮で、目を奪われた。
そして、野良犬が、野良犬を産んだ。奇跡の瞬間だった。俺は、野良犬の前で拍手喝采を送ろうかと思った。
だけど、それで終わりじゃなかった。
母親野良犬が、力尽きて死んでしまった。所詮野良犬だ。痩せ細っていて、もう限界だったのだろう。
俺は、すぐにその場から逃げ出した。
一つの命を生み出すのには、一つの命がなくなるくらい辛いことをしなければならない。
この世界には、億を越える沢山の命がある。
それら一つ一つに、こんなにも偉大な物語が関わっている。
命は一つの世界。
世界は沢山の命。
俺は、その時間違いなく世界の始まりを見た。
「あんなの見て、軽々と壊せる訳ないだろ」
心を読んだらしい井手は、俺を見ながら何事か俯いていた。ここからじゃよく聞こえないが、大方信じられないとでも言っているのだろう。
「……まあいいさ。頼むから、この世界のままにしてくれよ」
井手は何も言わなかった。俺の話を聞いて何を思ったかは知らないが、間違った考えを正して欲しい。
井出の夢は、間違っている。
それでも、井出がもし世界を創ったら、俺はそれを俺の力を使って壊してやる。
だってそうだろ。
自分の好きな人しか居ない世の中じゃ、世界の始まりを少ししか見ることができなくなるだろ。
「まあ、もしこれで、井手が力とか関係なしに世界を壊そうとしたならば、俺にそれを防ぐ手立てはなくなるけど……それはないわな」
さて、と。腕時計は八時三十分を示していた。完全に遅刻だな、これ。
「ていうかここはどこなんだよ」
……。
周りを見渡しても田んぼしかなかった。どこの田舎ですかここは。
……まあ、いいや。
今日も、精一杯普通に生きるとしよう。
こんな力を持っていても、受け入れてくれる大きな世界に感謝しつつ。
こんな力を持っていても、普通に生きれる小さな世界に感謝して。
俺の――俺による――世界の為の一生を、大切にしよう。