そんな彼女は見たくなかったけど
「げっ」
テスト二日目の帰り。現在俺は終点の平安駅にいる。どうやら、寝過ごしてしまったらしい。直ぐさま俺は隣で座っているクラスメートに話しをしようとする。勿論話題は『何故俺を起こさなかったのか』だ。
が、しかし。
「……クゥ」
「…………」
隣に座っていたこいつも、俺と同じ様に寝ていた。いや、同じ様にではないな。俺とは違い、こいつは口を開けて、そこからよだれをダラリと垂れした状態で寝ていた。正直ひいた。うん……まあ、昨日も徹夜って言ってたからなぁこいつ……条件は同じだからしかたないか……仕方ないのか……?
とにもかくにもまずこいつを起こさない限り、俺はこの席から出られない。「アキラ、起きろ。終点だ」と言いながらそいつの体を揺らす。その繰り返しが五回を越えてきた頃から、アキラが唸り始めた。ゆっくりと目を開けた。
「うー……あれ、ここどこ?」
「平安だよ」
「今日のテストに出たっけ……」
「時代かよ」
「書けなかった……」
「マジかよお前。まあ置いといて、ここは平安駅だ。平安時代じゃない」
「うー……って乗りすごしてんじゃん!何で起こしてくれなかったんだよ!」
「うるせーよ。俺も寝てたからおあいこだ」
「う……うう……テスト勉強……」
少し涙目になりながら、アキラは体を浮かした。二人掛けの椅子から立ち上がり、俺も同時に立つ。
「けどなぁ……眠いなぁ……まだ寝たいなぁ……」
「早く出ろよお前」
「…………」
「おい、聞いてんのか?」
瞼を擦りながら未だに動くのを渋っているアキラを急かす。しかしアキラは俺の言葉を聞かず、ある一点だけを見ていた。終点なので扉が開いたまま十分間駅に止まったままの電車の、開いた扉の向こう。
「……どうした?」
俺が聞くと、アキラは駅のホームの椅子に座る、一人の女子高生を指さした。遠目だがギリギリ確認出来たその姿は、俺がおぼろげながら――それでもしっかり脳裏に焼き付いていた姿だった。短く整えた艶がある黒髪。キリッとした目。
その姿を確認した途端、俺は唖然とした。まさか……そんな、まさかこんなところで彼女の姿を見ることになるなんて……有り得ないだろ……。
そんな風に呆然とする俺を横目に軽く見た後、アキラは隣でボソッとこう呟いた。
「あれ、神崎じゃないか? ほら、タカが小学生の頃好きだった、あの神崎」
「…………」
神崎美香。俺の初恋の相手だ。
当時、小学六年生。周りが遊んでいた時、俺は親から半強制的に受けさせられる中学受験の勉強を必死に励んでいた。アキラとは、勉強が息詰まった時、一緒に遊んでいた仲だ。確か、あの時にはタケシもいたな。親も、「アキラちゃんとタケシちゃんならいいわよ。早く帰ってくるのよ、タカちゃん」と言って、あの二人との遊びだけは許して貰っていた。因みにタケシとは俺が私立の中学に入学したと同時に連絡が断たれた。そんなもんだろう、小学生の友情なんて。
そんな俺が恋に落ちたのは十月。教室で席が隣になった彼女は、俺に積極的に話しかけてくれた。次第に彼女のことが気になっていき、その恋に気付いたのが三月。受験もとうの昔に終わっていて、結果に安心した俺は、彼女に告白しようとした。
その時の相談相手がアキラだ。タケシは神崎に一回告白し、フラれた過去があるので遠慮したのはまた別の話し。
神崎に告白したいと俺が言うと、アキラは嫌な目をして渋りながらも、俺の告白を手伝おうとしてくれた。
結果は、残念なものだった。
俺は、彼女に告白出来なかったのだ。
彼女は卒業を後一周間に控えた日、交通事故で全治三ヶ月の渋滞を負った。当然告白など出来る訳もなく、うやむやなまま卒業。一人空席の中、俺達は校舎を去ったのだった。
あの時告白出来なかった彼女が、電車のホームで黄昏れている。気品が漂い、彼女がいる空間だけ輝いているようにも見える。彼女は、小学生の時よりも美人になっていた。
「……なあ、タカ」
唖然としたままでいると、アキラが俺に声をかけた。
「今でも、神崎に告白したいと思うか?」
アキラの問い掛けに一瞬考えた俺だったが、即座に答えた。
「いや、いい。もう過去の話しだ……うん……」
「その割りには未練がましく頭を抱えるタカだけどな」
アキラはポツリと呟くと、二人掛けの椅子から離れた。俺も離れ、ガシャンという音と共にアキラが椅子を反対側に倒す。そこにもう一度座り直した俺は、右側にある窓を見つめながら遠くの空を眺めていた。
やがて音が鳴り、電車のドアが閉められた。電車が発車する。途中、止まったり発車したりの繰り返しをした電車は、平安から三駅離れている狩山駅に到着した。俺達が毎朝通っている駅だ。当然、俺達は降りる。
階段を上がろうと、改札口に目を向けた瞬間、信じられない光景が目に入った。
入ってしまったというのが正しいかもしれない。
階段を見る直前。俺達が乗っていた車両より後方の車両から、神崎が出てきた。
「アハハハ! もう、タケシったらウケるー!」
笑いながら――手を繋ぎながら――神崎は出てきた。
俺から見て神崎の右にいる男は、俺が古くに見知った顔だった。嫌だ。そんなの、信じたくない。愕然とするどころの騒ぎじゃない。俺は足から力が抜けそうになったのを、辛うじて堪えた。心と体が震えるのを感じながら、俺はそいつをもう一度見る。
信じたくない。信じたくはなかったが、神崎の隣で高らかに笑うそいつは、小学生の時よりも格段に身長が伸びたタケシだった。
「んだよミカー! お前こそ俺の髪触ろうとすんなよ……って……え……」
神崎の隣で、神崎と同じ様に笑いながら電車から降りたタケシはようやく俺とアキラの姿に気付いた。
「よ……よう」
「お……おお」
気まずいながらも手を軽く上げるタケシ。俺もぎくしゃくしながらも、返事をする。
お前……フラれたんじゃないのか……?
問いたくなる衝動を寸出の所で抑えた。見たくなかった。こんなの、見たくなかった。こんな場面を見るくらいなら、スカイダイビングでもした方がまだましだ。同じ様に心と体が震えるが、嫌悪感の無さでいったら断然スカイダイビングの方がいい。
唖然とする俺とタケシの二人に対して、神崎はキョトンと「ねえ、誰この二人」とタケシに聞き、アキラはアキラで真っ直ぐに神崎一人を見ていた。どうやら神崎は俺達二人を覚えていないらしい。所詮俺の存在なんてそんなもんさ。
「お前……どうして……?」
自分でも知らない内に俺はタケシに聞いていた。久しぶりの再会なのに、口から出るのはこんな言葉しかない俺を哀れに思う。握りこぶしから汗が流れた。
「いや……中学一年の時告られて……え……でも……お前、お前は……」
タケシはしどろもどろに答えた。
ん?
何でタケシがしどろもどろに?
……。
……ああ。
そうか、そうだった。
思い出した。
そうだった。そうだな、気持ちはわかる。俺も似たようなもんだ。
とうの昔に発車してしまった電車の前、神崎が平安駅のホームで佇んでいたのはタケシを待つ為だったのか。だから気品が溢れていたのか。納得だよ、この野郎。
まあ、今のタケシも俺と似たような境遇だ。そう思うと、少しだけ心が軽くなる。
やがて、神崎の質問に答える余裕もないタケシが、俺とアキラにこう言った。
「お前ら……いつから付き合い始めたんだ……?」
――電車の中。よだれを垂らして寝ていた。正直、ひいた。
――神崎に告白したいというと、アキラは嫌な顔をして渋々手伝ってくれた。
俺とアキラに向かって、タケシは聞いた。
俺は即答してやった。
「高校生になった時だ。中学からエスカレーター式であがれる高校の入学式に、アキラがいたんだ」
思わず声をかけたのを今でも覚えている。帰る途中の校舎の裏。近くに来た俺を迎えた彼女は、「タカと一緒に過ごしたいんだっての」と笑いながら言い、「幼稚園の時から好きだったタカとね」と続けた。
彼女とタケシは近所に住んでいて、昔から一緒に遊んでいた、所謂幼なじみだった。
小学生の卒業式の二週間前、だ。
神崎にフラれたタケシは、アキラを好きになった。そして、俺に相談してきた。結果は惨敗。結果が出ただけまだマシだろうと思った。卒業式の日、俺は神崎のことを好きだという事実をタケシに言った。タケシは、じゃあ俺とお前は同類だ、と笑いながら言ってくれた。
俺達四人は、何の思い出話しもせずに二手に別れて帰った。気まずかったことが一番の理由だというのは言うまでもない。
「タカ」
「なんだ、アキラ」
「今、タカが好きなのは誰?」
俺はまた、即答した。
「アキラだ」
「……ありがと」
タケシの隣には、俺が好きだった神崎がいる。
俺の隣には、タケシが好きだったアキラがいる。
でもそれは、過去の話しだ。
タケシの隣には、神崎がいる。
俺の隣には、アキラがいる。
アキラの隣にいる神崎なんて、見たくなかった――
そんな彼女なんて見たくなかったけど、僕の隣にはアキラが居る。
それでいいだろ。それでいいに決まってるさ。
西尾維新先生の作品に感銘を受けて書いた作品です。