恋人との無人島旅行というイベントへの出会い③
この無人島にいるのは化け物か、それとも人外か。
その鋭い視線の主を見てみると大きな虎がいた。
最初は化け物や妖怪の類かと思ったが、実体はきちんとある。
「虎…化け物虎だ!」
全長は7m程あるように見え、筋肉質な虎が目の前に現れた。
守は咄嗟に私の前に立つ。
「早く走れ!瀬奈!」
そう言って私を逃がそうとしてくれている。
でも彼氏を…見殺しにはできない。私は走れなかった。
恐怖で足がすくんでいるのもあったけれど、それ以上に、守を一人置いてなんて行けなかった。
「何してるんだ、瀬奈!」
守が振り返りざま、怒鳴るように叫ぶ。
その声の向こうで、虎が一歩、ぬっと前に出る。
そのたった一歩だけで、空気が変わった。湿った土の匂いの中に、獣の生臭さが混じる。
——もう、走って逃げるのは無理だ。
「……こっち、来て」
私は守の腕を引いて、すぐ近くの木の陰に隠れるように身を寄せた。心臓が喉元までせり上がってくる。
「馬鹿! こんな木の陰に隠れたくらいじゃ!...今のうちに逃げないと、あいつ…」
「でも一人じゃ…無理だよ、逃げられない」
虎はまだこちらを見ている。黄色い眼が、じっと、見下ろすように光っていた。
その場から動かない。けれど、気配が濃く、重い。私たちの一挙手一投足を測っているようだった。
守はしばらく唇を噛んでいたが、ふっと息を吐き、バッグの中を探り出す。
取り出したのは、折りたたみ傘。
「これじゃ頼りないけど…無いよりマシだ」
そう言って、ばっ、と開く。金属の音に反応したのか、虎がわずかに顔をしかめた。
「瀬奈、ゆっくり後ろに下がれ。目は逸らすな。背中を見せるなよ」
声は震えていたけど、彼の目は真っすぐだった。
私はうなずいて、守の背にぴたりとくっついたまま、後ずさりを始めた。
一歩。二歩。落ち葉がざり、と鳴るたびに、虎の耳がぴくりと動く。
木と木の間を抜けて、私たちは森の奥へと少しずつ後退していった。
虎は動かない。ただ、じっとこちらを睨んでいる。威嚇か、それとも様子見か…。
ふと、森の向こうから風が吹いた。
虎の鼻孔がわずかに動いた。何かの匂いを感じ取ったのか、目を細め、そして——
振り返ると同時に、踵を返して去っていった。
しばらく、私たちは動けなかった。足が震えて、膝が崩れそうになる。
「…行った、の?」
私の声はかすれていた。守も、折りたたみ傘を持ったまま、その場にへたり込む。
「…ああ、多分。興味なくしたか、面倒くさくなったか…人の匂いを感じたか」
安堵よりも、しばらくは恐怖の余韻の方が勝っていた。
でも私は、守の手をぎゅっと握った。温かくて、少し汗ばんでいた。
「ごめん、勝手に逃げられなかった……」
「俺だって、瀬奈一人にしないって決めてた」
顔を見合わせて、ようやく少しだけ笑えた。
森はまだ深く、遠くに鳥の鳴き声が微かに聞こえていた。
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