9 天使の顔をした悪魔
ダシタは考え続けている。
あれを使うにしても、超機密を守りながらどう戦うか? さらに「大統領の許可」は、どう取る?
72時間のタイムリミットと、その先に待ち受ける恐るべき結末も、ダシタを躊躇わせる要因ではあった。
そのリスクを回避するには、安全を見て48時間ほどのうちに完結して戻ってこられる作戦を用意しなければならないだろう。
若造の方にやらせるか?
いや・・・。やるとすれば、やはり自分が行かねばなるまい。ラ・シランのような甘い若造では、問題を大きくするだけになりかねん。大統領への「事後報告」も厄介になる。
ジラドは、再びあのスラム街に戻っていた。
ここにはもう、バリドゥもゴルビアもいない。『スロビア』のおやじは変わらず店に居て、ジラドが無事だったことを喜んでくれたが、ジラドは自分がバリドゥを見捨てて逃げたような形になったことを、ずっと気に病んでいた。
それでもここに戻ってきたのは、もう1人守りたい人がいるからなのだ。もっとも、ジラドはその少女の名前すら知らないのだが——。
この地方を中心に活動する民主解放戦線の戦士たちも、ベースを出て、それぞれの都市スラムに展開している。ジラドもまた、その中の1人だった。
ここにきて民主解放戦線は一歩踏み出し、都市の人権派市民と手を結んでスラムを防衛することを選んだのだ。
市民の側もまた、スラムに関心を持ってみて初めて、彼らがただのテロリストではないことを知った。
ラカンの都市周辺のスラムには、この星にある20近くの反政府勢力とスラムの住民、一部では都市の人権派住民も加わって、軍に対する共同防衛戦線のようなものが短期間のうちに出来上がって軍と睨み合う形になっていた。
そんな一触即発の空気の中で2週間ほどが過ぎた頃、軍が動いた。
中規模の地方都市でしかないここケイガルのスラムに、東のハザダヤの周辺スラムで何かとんでもないことが起こったらしい——という情報が入ってきたのは、よく晴れた日の午後だった。
何が起こったのか、については情報が錯綜している。
天地が裂けた、とか、魔物が現れた、とか、訳の分からない話がてんでに伝わってきた。
そして、最初の一報が入ってからほんの1時間も経たないうちに、仲間からの通信は途絶えてしまい、ほぼ同時刻にケイガルでも軍が動き出した。
何か、大きな作戦が動き出したようであるが、その実態がジラドたちには分からない。
この少し前、ハザダヤのスラムで座り込みや食糧支援をしていた「市民」が、突然バタバタと意識を失い出したのは、ハザン時間の正午を少し過ぎた頃だった。
炊き出しを受けていたスラムの住民たちも、同様にその場にうずくまったり倒れ込んだりしてゆく。
原因は分からない。
ガス、というわけでもなさそうだった。
「市民」の目が消えたスラムに、軍の部隊が侵攻を始めた。
侵攻が始まってすぐ、侵攻軍の部隊長は異様な光景を目にすることになる。いや、それを目撃したのは侵攻軍だけではない。
スラム側の戦士やにわか戦士となったスラムの住民たちこそ、恐怖とともにその異常現象を体験することになった。
最初、スラムの住民が協力して作り上げた抵抗のためのバリケードが、一瞬にして吹き飛んだ。
爆発——というのではない。
突風によって吹き散らされたように、しかし横方向への移動はなく、その場で浮き上がるようにしてバラバラになったのだ。
自然現象の動きではない。
ESP? エスパー部隊が出てきているのか?
しかし、これほどのバリケードをいっぺんに吹き飛ばすようなテレキネシスがいるという話は聞いたことがない。人間の能力をはるかに超えている。
剥き身になったスラム側の人々に、軍のレーザー弾が容赦なく襲いかかった。
最初の銃撃を免れた人たちは、バラバラと近くの建物の陰に逃げ込み、そこから銃で応戦する。
すると
今度はその建物がめくれ上がるようにして壊れてゆき、隠れていた戦士たちを軍のレーザー銃の前にさらけ出した。
身を隠した先々の建物や構造物が次々とめくれ上がってゆく中、遮蔽物を失った「戦士」たちはなす術もなく軍のレーザー弾の餌食となって斃れていった。
建物の中に居た一般人や子どもたちも瓦礫と一緒に路上に放り出され、見境なくレーザー弾の犠牲になってゆく。
そんな子どもたちに、さらに奥の建物に隠れるように片手を振った戦士が、頭を撃ち抜かれて崩れ落ちる。
それはもはや戦闘ではなく、虐殺でしかなかった。
そんなふうにして路上から次の建物に逃げ込んだまだ7〜8歳くらいの少年は、隙間から覗いた先の空中に不思議なものを見た。
軍の部隊の後ろ、破壊された建物などの粉塵がまだ治まらない空中に、1人の少女の姿があったのだ。
空中、のように見えた。何かの上に立っていたのかもしれないが——。
白っぽいスーツを着て、何かこの場を司っているように両手をわずかに開いた少女は、真紅の髪に黄金色の瞳を持っていた。
その瞳が少しく光っているように見える。
何か、もの凄いエネルギーの圧力を感じて、少年はその少女から目を離せなくなった。
きれいな人だ。天使のようだ——。
と少年は思った。
しかし、そのかわいいとさえ言える顔の表情はひどく冷たく、目の前で繰り広げられている殺戮に、何の感情も持っていないように見えた。
よく見ると、少女のまわりから白い光の小さな槍のようなものがいくつも生まれては前方に飛び出し、軍の兵士が撃つレーザー弾に混じって、抵抗するスラム側の戦士たちを撃ち抜いている。
少女の黄金色の瞳が、ぼっ、と光ると、ビルが1つめくれ上がるようにして破壊された。
あれは・・・、天使なんかじゃない。悪魔に違いない!
少年がそんなふうに思った時、少女の黄金色の瞳が少年を捉えたのが分かった。猛烈なエネルギーの圧力が少年を襲った。
その場が重力を失ったような感覚とともに、建物は少年を巻き込んで捻れながら持ち上がった。