10 天使の浮上
ダシタは『イツミ』を使うにあたって、綿密な作戦計画を立てた。もちろん、大統領には「事後承諾」のつもりである。
ラカンの主要な都市のスラムに展開したテロ組織の部隊を、42時間で殲滅する。
特に重点的に叩かねばならないのは、民主解放戦線、ラカンの虎、正義の斧の3組織だ。この3つをツブせば、他の有象無象はラカン支隊だけでもやれるだろう。
あまりやり過ぎると後で大統領への説明に難儀するだろうし、『イツミ』の存在自体も目立たないようにしなければならない。場合によっては、目撃者を全て消すことも視野に入れる。
ダシタはこの計画を、直前まで副長官のラ・シランにも秘密にした。
一方で、ラカン支隊の各都市に展開する部隊の侵攻を厳命し、その侵攻開始時間まで細かく指定した。『イツミ』の動きを部隊の背後に隠し、連動させるためである。
連邦軍長官が直々に個別部隊の侵攻時間まで指定してくるというのは異例中の異例だったが、誰も疑問を口にはしなかった。
この苛烈な長官に迂闊なことを言うリスクを恐れたのと、これで全ての責任を連邦軍のトップが取ってくれるだろう、という安心感がラカン方面軍の幹部たちの思考を停止させることにもなった。
「あ・・・あまり過激なことをされますと、後で大統領や連邦議会に説明がつかなくなります。」
直前に作戦を聞かされた副長官のブリンクは慌ててブレーキをかけようとしたが、ガド・ロウズ長官はやや軽蔑したような冷ややかな一瞥をくれただけだった。
「誰も君に責任は問わん。マニュアルに沿って行動していればいい。」
ジラドは、軍の侵攻とともに始まった異常現象の中で、軍の背後の瓦礫の上に立つ奇妙に場違いな美しい少女の姿を見た。
あれは・・・?
紅い髪。黄金色の瞳。ジラドよりは2つ3つ年上だろうか。
白っぽいスーツを着てどこか神々しく、天使のようにさえ見えるその少女は、しかしその美しい風貌になんの感情も宿していないようであった。
少女の黄金の瞳が、ぼっ、と光る。そのたびに、バリケードや建物がねじれ上がるようにして浮上し、バラバラになって周囲に弾き飛ばされた。
レジスタンスの戦士たちは、その都度、遮るものを失って連邦軍部隊の射撃の的にされてしまう。
エスパー?
エスパー部隊が来ているのか?
いや——。とジラドは思った。あれはあの紅い髪の少女がやっている。それも、たぶんたった1人で——。
何者なんだ?
ジラドは、その天性の勘のようなもので、次に破壊される建物から一瞬早く別の建物に身を移しながら、軍の侵攻部隊の力を少しでも削ぐべく射撃を続けた。が、その不思議な少女には銃を向けない。
なぜかあの紅い髪の少女を撃って、こちらに注意を向けさせては危険なような気がしたのだ。
ダシタは内心イラついていた。
なんだ、この兵器は? たしかにポテンシャルは高い。通常のエスパーなぞ足元にも及ばない「超人」と言っていい能力を持ってはいる。
しかし、動かしにくい。抵抗値が高いのだ。これでは、よほど意思力の強い人間でなければ使いこなせないではないか。
なるほど。これを運用する連邦軍長官と副長官は、エスパーとしての戦績がなければならないはずだ。
ESP戦闘の経験のある、かつ精神力の強い者でなければ、動かせるシロモノではない。
何が「超兵器」だ。見た目がファンタスティックなだけじゃないか。
だが、そんなふうに軍の体制を批判的に見ているダシタは、ある奇妙な現象に気づいていなかった。
めくり上げたビルやバリケードの瓦礫はてんでにそこら中に散乱するのだが、不思議なことにその下敷きになって命を落とすような犠牲者が、子どもを含めて1人もいない——ということに・・・。
何回目かの退避と応射を繰り返すうち、ジラドはあの階段の少女を見つけた。その少女こそ、ジラドがこのスラムに戻ってきた理由でもある。名前も知らない。ただ、ビルの階段によく座っていて、目と目で挨拶をかわす程度でしかなかったが、ジラドにとっては何かこのスラムの希望のように見えていた存在だった。
ジラドが見つけた時、少女はめくり上げられたビルの瓦礫とともに弾き飛ばされたところだった。
路上に投げ出された少女は、まだ小さい男の子(たぶん弟だろう)をしっかりと抱きかかえている。すぐに起き上がって、銃撃から弟を庇うように背中を丸めた。
撃たせない!
それ以外の何も考えられなかった。頭の中が白熱している。
ジラドは路上に飛び出し、銃を乱射しながら少女と軍の部隊の間に割って入った。今度は、真っ直ぐあの紅い髪の魔物を見据えている。
その魔物に向けてレーザー弾を撃ちまくった。
「逃げろ! オレが盾になる!」
不思議なことに、そんなジラドを貫く弾が1つもない。
ダシタは、急に意識が背後に引きずり込まれる感覚を覚えた。何者かの手がダシタの襟首を掴み、『イツミ』から引き剥がして、暗い部屋の中へと引き込んだような感じだった。
身体のコントロールが効かない! 何が起こった?
連邦軍の兵士たちが突然、バタバタと倒れ出した。死んだわけではない。意識を失っただけである。
銃撃が止み、あたりに奇妙な静けさが訪れた。
が、空気の圧力は半端ない。動いていないだけで、凄まじいエネルギーが空間に満ちている。
空中に浮かんだ紅い髪の魔物は、十字架に張り付けられたみたいに両手を広げた姿勢のまま、動きを止めている。
少女の姿をしたそれは、空間を埋め尽くしたエネルギーの中で、一種不思議な神々しさを纏っていた。
その体からは、想像を絶するエネルギーのESPが、目標もなく放電のようにして放たれ続けている。
銃に撃たれた人たちの中で、まだ生命の残っていた人たちの傷が、ウソのようにして跡形もなく治ってゆく。
何が起こっているのだ?
ジラドは呆然として、その神とも魔物ともつかぬ少女の姿をした何かを見ていた。
目の中に瞳が2つある。黄金の瞳だ。それが対極紋のようにぐるぐると回りながら、互いに何かを奪い合おうと争っているように見えた。
なぜ、オレの目はそんな細かいところまで見えるのだろう? と、ジラドが訝しんだ時、突然、頭の中に鈴を転がすような少女の声が響いた。
撃て!
わたしを撃て! 少年!
それはその声の質とは裏腹に、抗い難い決然とした響きを持っていた。
撃て! ジラド!
わたしが支配しているうちに、この邪悪なる魂をこの身体ごと撃て!
ジラドが躊躇うと、再び声が響いた。
撃て! 心配するな。身体が死んでも、わたしは滅びない。ただ、今ここに宿っている殺戮を繰り返す魂を葬り去るだけだ!
黄金の瞳は、いつの間にか1つになり、ジラドを真っ直ぐ見つめている。
ジラドは、魅せられたように引き金にかかった指を絞った。レーザー弾が紅い髪の少女の体に当たる。が、スーツには穴が開いても傷は一瞬で治ってしまう。
息もできないほどのESPエネルギーが空間を満たし続けている。
クソッタレ! なんだ、これは? 今、テレパシーを飛ばしているのは何なのだ?
今、この体を支配している「意識」はいったい何なのだ? こんなデータは、あのベースの資料にはなかっだぞ!
ダシタは身体のコントロールを取り戻そうと、必死に意識の集中を行なった。そうだ。ESPの訓練を思いだせ!
再び、紅い髪の少女の瞳が2つに分裂して回り始めた。
撃て! 撃ち続けろ! わたしに力を貸してくれ、少年!
鈴のような声が、切迫感を持ってジラドの頭の中で響く。
ジラドは、この少女の姿をした身体の中で、天使と悪魔が争っているのだと彼なりに理解した。
天使は彼の援護を必要としている——。
ジラドは少女の身体に向けて銃を撃ちまくった。援護射撃である。奇妙な言い方だが、ジラドの中ではそういう解釈になっている。
レーザー弾の傷はすぐに治ってゆく。紅い髪の少女の身体は、両手を広げた姿のまま微動だにしない。
ただ、ESPエネルギーだけが空間を歪めそうなほどに放出され続けた。
ジラドが考えたように、『イツミ』の身体の中では、そのコントロールを取り戻そうとダシタが懸命の努力を続けていた。暗い部屋から這い出ようと、全意識を集中してあがき続けていた。
何者だ、きさま! この身体は俺のものだ! 遺伝子変換はされていても俺のものだぞ! 返せ! 返せぇ! この、化け物め——!
ふいに。
少女の体が、ぐらっ、と揺れ、地面に落下した。あたりを圧していたESPエネルギーが急に弱まった。
少年よ。よくやってくれた——。
鈴のような声が、ジラドの頭の中に響いた。
ジラドは、瓦礫に背をもたせかけて力なく座っている紅い髪の少女に駆け寄った。黄金の瞳は1つになっていて、優しげにジラドを見ている。
少し安堵の微笑みを浮かべたその顔は・・・・溶けかかっていた。
ジラドは狼狽えた。
オレは・・・、撃ってよかったのか?
「心配しなくていい。わたしの本体はここにはなくて、不死だから。」
紅い髪の少女は、今度は溶けかかった唇を動かして、肉声でジラドに話しかけた。
「この身体が残忍な魂を封印したまま、ここで溶けて滅びるだけ。」
少女は少し微笑んだ。輝きを失った紅い髪が抜け、耳が片方ずり落ちた。
「ありがとう。これ以上、殺戮をさせないでくれて——。」
こほっ、と小さく咳をすると、少女の鼻から血が流れ落ちた。
「ジラド、お願いがあるの。この身体が溶けてしまったら、骨も残らないように、何も残さずに焼いてしまってほしいの。その灰の中から、わたしは甦えることができるから——。
甦って、いつかあなたに会いに行くって、約束する・・・から・・・・」
こほ、こほ、と小さく2つ咳をしてから、少女は文字どおり首から崩れ落ちた。
あたり中から音が消えたような時間の中で、ジラドは震えながらかつて少女の姿をしていた天使の亡骸を見ていた。
ひどく悲しかった。
「約束・・・だからね・・・。」
小声でそれだけを呟くと、レーザーの出力を最大にしてジラドは静かに引き金を引いた。
* * * * *
エピローグ
ラカンにおける連邦軍と反政府勢力の戦闘は、ハザダヤとケイガル以外ではあまり激しいものにはならず、連邦軍はわずか3日で新長官ラ・シランの命令により動きを停止した。
連邦大統領によって長官職を解任されたガド・ロウズは、その日のうちに自殺した、ということだった。
紅い髪の少女を目撃した——という人は、子どもを含めた数人ほどいたが、ほとんどの人はその記憶を持っていなかったし、軍も政府もまともに取り合うことはなかった。
ただケイガルの戦場跡にひどく焼け焦げた瓦礫があっただけで、そんな少女がいた痕跡も何も残ってはいなかったのだから。
ジラドは少年更生院に収容された後、ザキ・シャグリ夫妻の里子として引き取られ、学校にも行かせてもらった。名前はそのままジラドと名乗った。
自分にそんな未来があるなんて考えたこともなかったジラドは、この幸運も天使の御加護なのだろうか、などと思ったりした。
養父のツテで連邦軍に入隊し、前歴が前歴だけに出世はできなかったが、多くの部下に慕われる優れた現場指揮官として、ラカン支隊では知らない者のいない名物隊長になってゆく。
ジラドは少年更生院を出てから、何度か、紅い髪をした超エスパー少女のウワサを耳にした。
世間ではただの都市伝説と思われているようだったが、ジラドにとっては少し違う『風の便り』であった。
(ああ、本当に甦ったんだな)と、少し嬉しく、約束どおり会いに来てくれないことが少し寂しくもあった。
そんなジラドが、あの紅い髪の少女に再会するのは、スラム市街戦のこの時からまだ50年以上も先のことになる。
[ 天使の顔をした悪魔 ] 完
最後までお付き合い、ありがとうございました。
[ THE WAR ]を書いたときには、この物語はまだ何も形を現してはいませんでした。
あのお話の中で『イツミ』が言った「テロリストは全て殺す」と考えていた長官とその事件のエピソードを書こうとしたら、ジラドの物語になっていきました。
いくつもの物語を書いてきて気がついたのですが、私は『悪』と呼ばれる人たちのある種の哀しみと、その救いを描こうとしているような気もします。
「イツミ」シリーズの中でも、「銀のドラゴン」シリーズの中でも「窓際のヒーロー」の中でも・・・。それは共通してあるような・・・・