1 存在しない子ども
『イツミ』シリーズ第5段 [THE WAR] に登場した老参謀、ジラド・ザキ・シャグリの少年時代。
ジラドは少年の頃、一度イツミを目撃していた・・・。
少年は7〜8歳だろうか。ボロボロの服を着て、ちぎれたサンダルを器用にシーラン製の紐で縛って履いている。
黒く汚れた顔に目だけを光らせて、ゴミの山の中を歩きながら目ぼしい物はないかと探し回っていた。
ゴミ処理用の機械が轟音を立てて動き回っているすぐ傍だ。
危なっかしいったらない。巻き込まれたら、他のゴミと一緒に粉々に粉砕されて「有機物」として分別されてしまうだろう。
が、少年は一向に気にする様子はない。何か特別な感覚でもあるのか、泳ぐように機械の間を回ってゴミを漁っている。
少年に名前はない。
が、スラムの中の他の少年たちからは、便宜的に「ジラド」と呼ばれていた。現地のスラングで「ゴミ屋」という意味がある。
実際、少年は誰も近づかないゴミ処理自動機械のすぐ傍まで行ってゴミを漁ってくる姿がよく目撃されていた。
そんな少年を気遣う大人もいない。
ここでは、誰も彼もが今を生きてゆくだけで精一杯だった。
少年は、まだ使えそうなロボットや機械の部品を見つけると、それを拾ってスラム街の外れにある本物のゴミ屋=リサイクル業者のところに持って行き、わずかな金に換えてはその日の食料にありつく——という暮らしをしていた。
このリサイクル業者のおやじだけが、少年を「ジラド」という名前で呼んでくれた。もっとも、自分の職業を表すスラングがこの少年の「符牒」に使われていることを面白がっていただけかもしれないが。
ジラドは無口だった。
母親はジラドが5歳の時に、有害ゴミを踏み抜いた足の傷がもとで死んだ。この街に医療は存在しない。
「お父さんは遠くに働きに行ってて、いつか迎えに帰ってくるから」と母親は言っていたが、それは2人が生きていくための「希望」として必要な嘘であった。
母親は難民キャンプでレイプされ、そのまま少年を産んだのだった。
「坊や」とだけ母親は少年を呼んでいたから、少年には名前がない。便宜的に呼ばれる「ジラド」という符牒が名前の代わりだった。
当然、少年にIDはない。
どこにも「存在しない」子どもなのだ。
ここには、そんな子どもたちが大勢いた。ジラドもまた、そんな子どもたちの1人に過ぎない。
「ジラド、金になる仕事をやるか?」
ある日、リサイクル業者のおやじがそんな言葉をジラドにかけた。
「ん・・・。」
ジラドは目だけを上げて、小さくうなずいた。
それがどういう仕事か、についてジラドは頓着しなかった。金がなければ、ここでは飢えて死ぬほかないのだ。
「こいつを、ここに書いてある場所に届けてほしいんだ。」
ジラドは字がほとんど読めない。簡単なラカン語のスペルは母親から教えられてはいたが、多くを覚える前に母親は死んでしまった。
リサイクル屋のおやじもそれを知っているから、渡された紙片には絵地図が描いてあった。どうやらスラム街の反対側にある古いビルらしい。
渡された荷物は、養生布でぐるぐる巻きにされた小さな物だったが、意外に重さがあった。
何かの機械のようだ。
「向こうに着いたら、『スロビア』から来たと言ってバリドゥという男に渡せ。他の誰にも渡してはダメだ。できるな?」
おやじはジラドの目を覗き込むようにして言った。
「いつものゴミ袋に入れて行け。途中、誰とも口をきくな。まあ、おまえなら誰ともしゃべらんと思うがな——。上手くいったら、20クローダやる。」
ジラドは目を輝かせて、今度は大きくうなずいた。
それだけあれば、1週間は食える。
古ビルはほとんど廃墟のような佇まいの雑居ビルだったが、それでもスラムの中ではそれなりに生活できているようなヤツが入っているところの1つだった。
入り口の階段に座っていた同じくらいの年恰好の女の子が、胡散臭そうな目でジラドを見る。
ジラドはそれを無視して階段を上り、2階の廊下の扉を数えながら歩いて、指定された部屋のドアを指定された数だけノックした。
扉の覗き窓が開いて、男の目だけがジラドを眺め下ろした。
「誰だ?」
「スロビアから来た。バリドゥさんに届けるものを持ってきた。」
ジラドが呟くような声で言うと、覗き窓がパタンと閉じて、それからドアが用心深く開いて若い男が顔を出した。
無精髭みたいな顎髭をたくわえた目つきの鋭い男だ。男はじろじろとジラドを見てから、廊下の先まで目をやって、誰もいなさそうなのを確認すると低い声でジラドに言った。
「俺がバリドゥだ。渡すものってのは、何だ?」
ジラドはいつもゴミを集めて入れる袋から、例のぐるぐる巻きの荷物を取り出して男に渡した。
男はその包みの一部をむしるように開いて中の物を確認すると、急に嬉しそうな色を目に浮かべた。
「よし。確かに受け取った。もう帰れ。誰にも言うな。わかってるな?」
だが、ジラドはすぐには帰らず、ポケットの中から絵地図を引っ張り出して、それも男に向かって黙って差し出した。
男はそれを受け取ると、少し驚いたような表情を見せ、それから目が少しだけ優しくなった。
「おまえ・・・、賢い子だな。」
男はそれだけを言うと、ジラドの目の前でドアをバタンと閉めた。鍵のかかる音を待っていたようにしてジラドも踵を返し、階段に向かった。
出口の階段で、あの少女がやっぱり睨めあげるようにしてジラドを見た。




