第4話 遠い夏の日の思い出
ウーサンにある海底迷宮は、洞窟型のダンジョンだ。壁は土や岩がむき出しになった構造で、水たまりもあちこちにある。洞窟全体が青っぽく見えて神秘的なのは、所々に埋まってる青白い石が放つ光の影響かな。
湿度がかなり高そうだけど、外より気温が低いから不快感はそれほどでもない。
「ぬかるみに気をつけながら立ち回らないと、ちょっと危ないね」
「倒れそうになったら俺様に抱きついてもいいぜ、ご主人さま」
「水気が多いのは欠点だけど、狭くて薄暗い感じが素晴らしいわ」
「影になってる場所もあちこちにあるし、転移はしやすそうだな」
入り口こそ地上にあるものの、奥の方は位置的に島の外になる。文字通り海の底に広がる迷宮ってわけだ。もしノヴァさんが迷宮の壁を斬ったりすると、海水が流れ込んでくるのかな。迷宮が水没なんてシャレにならないし、やろうとしたら全力で止めよう。
「スズランは歩きにくくない?」
「新しく買っていただいた靴があるので大丈夫です、マスター」
「少しコツがいるのだけど、浮く力をうまく調整すれば、水たまりなんて恐るるに足りないわよ」
「そんな器用なこと、一体いつできるようになったの?」
「愚問ね、下僕。山で過ごしていた時に決まってるでしょ。高貴なこの私が、ただ本を読んでいただけなんて思ってたら、大間違いよ」
自信ありげな顔でスタスタ歩いていったアイリスが、地面にできた水たまりへ突っ込んでいく。しかし足の下に波紋が広がるだけで、靴は全く濡れていない。凄いよアイリス、まるでアメンボみたいだ! 手のひらを太陽に透かしてみたくなる。
「凄いですね、アイリス様」
「あなたも自分の能力を、もっと有効活用なさい」
これを無意識レベルでやってるんだから、アイリスって本当に力の使い方が上手い。その器用さがあるから、実物と寸分たがわない幻影を、動かすことができるんだろう。
「みんなー、奥の方にモンスターがいるよ」
「俺様がちょっくら偵察してきてやる」
おっと、のんびり話してる暇はないみたいだ。今日はなるべく奥の方まで行って稼ぐ予定だし、サクサク進んでいかないと。
「ご飯の時間だよ、アスフィー」
『いっぱい食べる』
顕現してもらったアスフィーを鞘から抜き、カメリアの後を追って走る。余裕ができたら海水浴も行きたいし、気合を入れて頑張ろう。
◇◆◇
この迷宮はカエルや貝など、水にまつわるモンスターが多い。ブルー・フロッグなんか舌を伸ばして攻撃してきたし、帆立貝みたいなフラット・クラムは水を飛ばしてくる。遠距離攻撃してくるモンスターが多いので、なかなか厄介な迷宮だ。
「動いてる物体をお構いなしに攻撃するあたり、知能は高くないわね」
「アイリスの幻影に引っかかってくれるから、すごく戦いやすいよ」
「感謝の気持は言葉でなく、血で支払いなさい」
シアによると石とか投げてモンスターの気を引くのは、この迷宮だと定番の戦法らしい。クロウに飛び回ってもらうのも手なんだけど、アイリスが面白がって色々なものを幻影で動かしてる。僕の姿を使ってモンスターを挑発するのは、やめてもらったけどね!
どこかの幼稚園児じゃないんだから、お尻をフリフリしながらモンスターを煽ったりしないで欲しい。だけどシアやカメリアに受けてたのは、どうしてだろう。スズランも止めてくれなかったし……
「ここのモンスターって体が柔らかいから、普通の剣だと斬りにくいね」
「ご主人さまの魔剣は大きすぎて使えねえしな」
「力をうまく逃されて、アスフィーでも斬り落とせないことがあったよ」
『安定して斬るなら、剣速必要』
「わかったよ、アスフィー。パワーよりスピードを意識してみる」
表面が殻とか鱗なら簡単に斬れるけど、柔軟性のある体組織だと切り落とす前に弾いてしまう。なんでも斬れるけどコンニャクが苦手って設定、今ならよくわかる。この迷宮だとメイスみたいな、鈍器が有効かもしれない。ノヴァさんは持ってなかったけど、魔鎚とかあるのかな。トールハンマーみたいなやつ。
「みんな止まってくれ。わずかにだが異臭がする。この先に原因となるモンスターがいるはずだ」
「もしかして、前にシアが言ってた臭い液体を吐き出すモンスター?」
「ああ、そのとおりだ。こんな場所に出てくることはまずありえないから、彷徨う者の可能性が高い。十分注意して進もう」
「ボクたちでも倒せそう?」
「実際に遭遇してみないとわからないが、粘液攻撃は結界で防げるはずだ。まあ私たちなら、攻撃を受ける前に炎で焼くか、凍らせることも可能だろう」
どこかで嗅いだことがあると思ったら、あれだ。うっかり野菜を腐らせちゃった時の臭いと似てる。一人暮らしを始めた当初、使いきれなかった分を忘れて盛大にやらかした。異世界に来て、あの遠い夏の日を思い出すとは……
「俺様が先行してやろうか?」
「いや、先手を取りたいから敵に警戒されないほうがいい。私が先頭を行こう」
シアを先頭にして慎重に洞窟を進んでいくと、徐々に臭いがきつくなってきた。ラムネの持ってる操風では悪臭を防げないし、慣れるまで我慢するしかない。
「おい、部屋の前に人が倒れてやがるぞ。あのおっぱいはギルドにいた人魚族じゃねえか?」
「もしかして実習のコースを間違えて迷い込んじゃった?」
「学生が襲われたんだったら大変だよ。僕たちなら敵と鉢合わせしてもなんとかなるだろうし、とにかく急いで助けに行こう」
慌てて部屋の方へ向かうと通路に一人、そして入口の横に二人の女性が倒れている。三人の体には濁ったクリーム色の粘液がべったり付着し、それが強烈な臭いを放っていた。モンスターはどこかに移動したのか、近くにはいないようだ。
「マスター、あちらにも人がいます。カクタスと名乗っていた男性のようですが、出血がひどいです」
「リョク、傷の手当をお願いしていい?」
「私の方で彼の容態を見てみよう」
「カメリアとクロウは周囲の警戒をお願い」
「まかせて、ダイチ」
「おっぱいを大切にできないやつは、俺様が懲らしめてやるぜ」
「幸い三人とも息はあるようよ。このまま帰すのは可哀想だし、屋敷で汚れを落としてあげるわ」
「ありがとう、アイリス。女の子たちを影の部分に運ぶよ」
粘液まみれになってる女の子を、そっと持ち上げて影の部分へ寝かせていく。さすがに臭いとかベタベタなんか、気にしてる場合じゃない。男に運ばれるのは嫌かもしれないけど、緊急時だから許してね。
三人の女生徒を運び終えてからシアのところに行くと、難しい顔をして手当を続けていた。
「かなり強い力で締め付けられたのだろう、彼の左腕はズタズタだった……」
「これって治療は難しいの?」
「星を四つまで上げたリョクにできることが、この世界では最高峰の治療になる。精霊のスキルに頼り切りなぶん、ダイチのいた世界にあったような技術は発達してないんだ」
複雑骨折くらいならなんとかなるけど、部位欠損までいくと無理ってことのようだ。そもそも地球の医療技術でも、機械に巻き込まれたような状態の腕を、元に戻すのは不可能だった。左腕が不自由なまま、エルフ族の長い人生を送るのは可哀想すぎる。なにか治療法はないか、エトワールさんに相談してみよう。
今の僕は粘液まみれだから、申し訳なさそうに浮かんでるリョクの頭を、撫でてあげることができない。もしこのまま放置していたら、失血死してた可能性がある。リョクが精一杯頑張ってくれたから、命をつなぐことができたんだよ。
「おいダイチ! もう一人の姿がどこにも見あたらないぞ」
「えっ? もう一人ってどいうことなの、クロウ」
「よく思い出してみろ。ギルドでこいつらを見た時、五人でグループを組んでただろ」
「あっ!? そういえば女の子が三人しかいなかった!」
あと一人はどこにいった?
うまく逃げて助けを呼びに行ったとかなら良いんだけど、少なくとも僕たちはここに来るまで、誰かとすれ違ったりしてない。脇道は路面が悪くて、逃げ回るには不利なはず。そもそも人に出会う可能性の低い、細い通路に行くだろうか? それに彼らを襲ったモンスターが、近くにいないのは変だ。
「出血の具合からしても、襲われてからそう時間は経っていないはずだ。獲物を生きたまま縄張りに運ぶ習性を持ったモンスターもいる。探してみる必要があるな」
「おっぱいが行方不明となれば、放っておけねえ。俺様が探してきてやる。見つかったらご主人さまに知らせるから、お前らはここで待機してろ」
粘液で汚れてない男子生徒はカメリアに影まで運んでもらい、アイリスと一旦別れることにした。クロウは別の部屋へと続いている、粘液の跡を頼りに探しに行ってくれた。
獲物として連れ去られたのなら、縄張りへ着く前に発見して救出しないと。
ここからは時間との勝負だ。
ここから主人公たちの長い一日が始まります……




