第3話 遅れてきたテンプレイベント
(※この物語に出てくる登場人物は、全員二十歳以上か年齢の概念がありません)
遠くから鐘の音が聞こえたような気がして目を開けると、知らない天井だった。もちろんアイリスの家に、引っ越してきたからなんだけど……
建物の角に位置するこの部屋は三方向に窓があり、日が昇る直前の今でもかなり明るい。おかげで二人の精霊を挟んだ向こうで眠る、スズランの顔もよく見える。もう少し遅くまで寝ていたら、陽の光を浴びてキラキラ光るスズランが見えたかな。
それにしても、このベッドはとても寝心地が良かった。スマホやゲームのコントローラーを持ってきて、一日中寝転んでたい。アイリスが厳選してくれただけあって、これは人をダメにするベッドってやつかも。
ニナの作ってくれるご飯は美味しいし、久しぶりに入ったお風呂はもう最高。幸いなことに誰にも乱入されなかったので、のんびり楽しむことができた。
使い魔は食事を取れないのに、どうして美味しい料理が作れるんだろうと思って聞いてみると、目で見たら味がわかるらしい。もっと濃い目とか、香辛料は控えめになんてリクエストも聞いてくれるみたいだし、これからの食事が楽しみだ。
普段は食べ物をあまり口にしないアイリスも、僕たちと一緒の食事には付き合ってくれることになった。かなり少食だけど、やっぱり一緒に囲む食卓はいい。ゆっくり食事を楽しみたい夜は、ワインと軽食にするんだって。あの容姿でワインを口にする姿は、すごく背徳的だったよ……
付き合いで飲ませてもらったら、口当たりが良くて美味しかった。元の世界にあったビールやチューハイは苦手だったけど、これなら僕も抵抗なく飲める。家の倉庫に樽が大量に並んでたけど、あれは全部ワインらしい。一体どこから仕入れたんだろう、卸の在庫ごと買っちゃったのかも。
シアは少し飲んだだけで顔を赤くして寝ちゃったし、僕だってお酒はあまり飲まないから、数年は買わなくてもすみそう。そういえばスズランは平気な顔をしてたな。もしかして酒豪とか底なしとかザル?
「おはようございます、マスター。朝からなにをお考えなのですか?」
「おはようスズラン、サクラ、ラムネ。えっと、朝ごはんは何かなって考えてたんだよ」
危ない、危ない。スズランには僕の考えてることがわかるんだろうか。大酒飲みって、なんかスズランのイメージとは違うし、変に連想するのはやめておこう。ちょっといつもの笑顔と違う気がするから……
◇◆◇
着替えをすませて一階へ移動していたら、踊り場の窓をミツバが拭いていた。こんなに朝早くなら掃除なんて、すごく働き者だなぁ。
「おはようミツバ。朝から大変だね、何か手伝おうか?」
「おはようございます、ミツバさん」
「あっ、おはよー、ダイチ、スズラン。手伝いは平気だから、朝ご飯食べてきなよ」
「そう? なにか手伝えることがあったら、遠慮なく言ってね」
「うん、ありがとー」
そのまま階段を降りていたら、上の方から「さぁ、ちゃっちゃと終わらせて今日もゴロゴロするぞー」という声が聞こえてきた。使い魔の中では、ミツバの自我が一番発達してるのかも。仕事ばかりしてたら気が滅入っちゃうだろうし、すごくいいことだと思う。
そのまま食堂の方に行くと、厨房から空腹を刺激する香りが漂ってくる。コンソメっぽい匂いだから、もしかしたらスープかな。
「おはようニナ。すごくいい匂いがするね」
「おはようございます、ニナさん」
「……あっ、おはよう、ございます。ダイチさん、スズランさん。……もうすぐ出来ますから、食事にしますか?」
「えっと、みんなが起きてからにするよ。食器を並べるのとか手伝うから、何かあったら言ってね」
「……はい、うれしいです」
すごくたまらない匂いがしてるけど、ここは我慢しないと。食事はみんな一緒のほうが、絶対に美味しい。それに、まずは顔を洗わないとダメだ。
そのまま食堂をあとにして、浴室の隣りにある脱衣場に行く。そこには畳んだタオルを棚にしまうイチカがいた。そういえば洗濯が彼女の担当だったな。
「おはようイチカ。色々任せぱなしで、ごめんね」
「おはようございます、イチカさん」
「おはようございます、ダイチ様、スズラン様。自我が芽生えてから、仕事をとても楽しく感じております。遠慮なさらず、どんどんお任せください」
「でも無理したらダメだからね、疲れたらちゃんと休んでよ」
「使い魔に対してそのようなご高配、誠にありがとうございます」
やっぱりイチカはちょっとお硬いな。ミツバがかなりフランクだから、足して二で割ったくらいが丁度いいかも。だけど同じ使い魔でも全然違う性格なのが面白い。
イチカが優等生の先輩で、ニナが同じクラスの図書委員、そしてミツバがクラブの後輩って感じかな。おっと、またみんなを学生に当てはめてるよ。学校に特別な思い入れは、ないと思うんだけど……
受け取ったタオルで洗った顔を拭きながら、僕はそんなことを考えていた。
◇◆◇
「おい、ここはガキの遊びに来る場所じゃねぇぞ!」
朝ごはんを食べたあと、アイリスの探索者登録をしようとギルドへ来たら、入った途端にイベントが発生。なんか顔が赤くて息が臭いし、完全な酔っ払いだよ、この人。酒は飲んでも飲まれるなって、習わなかったのかな。この世界にそんな標語はないか。
「あら、たかが二片のあなたが、五片の私によくそんな口が聞けたわね」
「ク……五片だと!?」
見せつけるように掲げたアイリスの左手には、花びらマークが五枚刻まれている。それを見た周りの野次馬たちからも、アイリスの正体を探るような声が聞こえきた。やっぱり五片を持ってる人って、かなり少ないんだろう。
「……けっ! ならそっちのガキはなんだ、無片じゃねぇか。女ばかり侍らせやがって、いいご身分だな、おい!」
あっ、まずい。怒りの矛先がこっちに向いてしまった。正直いってかなり怖いんだけど、ここで逃げるわけにはいかないよな。このパーティーでは唯一の男なんだし、こんな時くらいしっかりしないと。
「なにが気に入らないのかよくわからないけど、酔っ払って絡んでこないでもらえませんか?」
「オレは素面だ! 無片のくせに偉そうに言ってんじゃねぇ! だいたいここは、お前のような才能なしが来る場所じゃねぇんだよ」
酔っ払いがこのセリフを言うのって、どの世界でも変わらないんだなぁ。バイト先のネットカフェで深夜ヘルプしたときも、終電を逃した酔っぱらいが同じこと言ってたっけ。どんな顔をしてたとかは、この世界に来た影響で全部忘れちゃったけどさ。
「無片が探索ギルドに来ちゃダメって決まりは、なかったと思うけど?」
「ガキがいちいち口ごたえすんな。そこの女どもを置いてくなら許してやるから、とっとと帰って母親のおっぱいでも吸ってな」
僕は吸う側じゃなくて、吸われる方なんだよ! おっぱいじゃなくて血だけど。目の前で怒鳴ってる人も、歳はそんなに変わらないと思う。童顔だからある意味仕方ないとは思ってるけど、それでも人にガキと連呼されるのは、ちょっと納得がいかない。
「見た目やスキルだけで判断してると、痛い目を見るよ?」
「粋がってんじゃねぇぞ、このクソガキ。女を置いてとっとと失ろ、そう言ってんだよっ!」
こぶしを上げて殴りかかってきたので、腕を盾にしてガードする。痛みは子供の駄々っ子パンチくらいなんだけど、衝撃だけは軽減できない。体勢が崩れそうになるけど我慢だ、ここが男の見せ所。
初めてサクラの物理耐性を全開にして攻撃を受けてみたけど、受け方が悪かったら脳を揺さぶられて失神したりしそう。耐性スキルだと力が強くなるわけじゃないしね。
あとは関節技も弱点になるかもしれない。先日まで泊まってた[静かな湖畔]を切り盛りしてるおばさんは、暴れる客を絞め落としたりしてたし、あの手の攻撃も気をつけよう。
「なんだ、このガキ!? なんで平然としてやがるんだ」
痛くはないけど倒れそうだよ! 必死に踏ん張ってるだけだから! 少しよろけちゃったけどさ……
「……気に入らねぇ、何もかも気に入らねぇ。死ねやゴラァ!!」
ちょ!? ガチギレってやつですか?
この人にどんなスキルが発現してるか知らないけど、人族なら剣や盾を使うスキルがあるし、武器を取り出す前になんとかしないと。
力任せに繰り出されるパンチを、なんとかガードしたり避けたりつつ、人のいない方へ移動する。
「てめぇ逃げてんじゃねぇ、大人しく沈みやがれッ!」
「お前いい加減やりすぎだ」
「職員が騒ぎ出してるから、そのへんにしとかないとマズイぞ」
同じパーティーの人なのかな? それならこうなる前に止めてほしかったんだけど。それに僕は逃げてるわけじゃない、あるものを利用させてもらおうと思ってるだけだ。
「へへっ、追い詰めたぜ。覚悟しな、クソガキ」
腕をグルングルン回しながら走ってきたけど、酔ってるからかまっすぐ進めてない。それでもさっきよりスピードのあるパンチを、僕はしゃがんでかわす。
――メキョッ!!
うわー、すごく生々しい音がした。恐る恐る見上げてみると、石の柱に当たったこぶしが、変な方向に曲がっている。相手の顔は真っ白になって、脂汗がダラダラ流れはじめた。
「これに懲りたら変に絡んでくるのはやめてね」
「……うっ、ぎゃぁぁぁァァーーーッ! 痛いてぇー、痛てぇよぉー。おがーぢゃぁーん!!」
えー!? さんざん僕のことを子供扱いしたくせに、そこで母親に泣きつくのってどうなの? ギルドにいる人たち、みんな笑ってるよ。右腕を押さえながらのたうち回ってるけど、自業自得だからね。
ギルド職員も駆けつけてきたし、あとの処置は任せよう。
この世界の成人年齢は種族によって大きく異なります。
(例えばドワーフ族だと、樽酒を飲み干せるようになったら、みたいなw)
ちなみに
・主人公:20歳
・スズラン:見た目20歳
・オルテンシア:48歳
・アイリス:300歳超
・使い魔たち:年齢=依代
です。




