閑話03 アイリス
アイリスはこんな子ですよという話。
「まったく何なのかしら、この肌にまとわりつくみたいに不快な感覚は……」
おかげで目が覚めてしまったじゃない。力の補充が必要になるのは、ずいぶん先のはずなのに。
同胞の不始末が原因で、吸血族が次々に殺された忌まわしい時代をなんとか生き延び、私はアーワイチの外れで暮らしている。林の中にあった屋敷へ移り住み、【支配】の力でこの土地と家の存在を、街の台帳から抹消した。
それからは生きていくのに必要な分だけ、街の住民から血を吸わせてもらい、ほとんどの時間を寝てすごすだけ。そういえば随分前に鬱陶しい来客があったわね。あれは思い出すだけで腹が立ってくる、もう忘れましょう。
使い魔を呼んで寝ている間のことを聞いたけど、不審人物が侵入するような異常はなかったらしい。だとしたら、いま感じているこの不快感は気のせいなのかしら。
原因がわからない以上、しばらく様子を見るしかなさそうね。
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予定外の目覚めを迎えてから、半月ほど経過した。使い魔を使って家の周りや敷地内を調べてみたけど、不快感の原因はわからずじまい。そして今日の朝には、【霧化】のスキルが消えてしまった。何らかの異常事態が発生していることは明らかよね。
人が頻繁に訪れるようになった事と合わせて、早めに手を打ったほうが良いかもしれない。ここの記録は抹消したつもりだったのだけど、まだどこかに残ってたのかしら。
最悪の場合、この屋敷を放棄するしか無いわね。住心地が良くてお気に入りなのだけど、手遅れになってからじゃ遅いもの。私としたことが、ほんと無様だわ。
「まったく、世の中ままならないわね」
今は二階の窓から、今日の来訪者たちを見ている。男が一人と女が二人だけど、いつも来ていた役人たちとは雰囲気が違う。ドアがノックされる音を無視して、もう少しだけ観察してみることにした。
そして二手に分かれたのを確認すると、私は玄関から表に出る。
「えっと、この家の人なのかな?」
なんだかちょっと頼りなさそうな男ね。でも開口一番子供扱いしなかったのは、褒めてあげるわ。ここに来た連中は「こんにちはお嬢ちゃん、ご両親はいらっしゃるかな」とか言うんだもの。下等種族のくせに、口の聞き方がなってないのよ。
どうやら間違って迷い込んできたのではなく、ギルドの依頼でここの調査に来たらしい。まあ、いつものことね。書類を置いて帰ってもらいましょう。
「懲りもせずまた来たのね。もう今日は帰ってもいいわよ」
【支配】のスキルは、相手と視線を合わせることで効果を発揮する。この男に暗示をかけたあとは、残りの二人に同じことをして、引っ越しの準備を始めないと。
……って、あら?
私の【支配】が効いてないみたい。おかしいわね、ちゃんと目線は合わせたし、まだスキルも消えていないのに。もしかすると最近の不調が影響しているのかも。あまりやりたくないのだけど、直接命令を流し込むしか無いかしら。
少し褒めただけで簡単に跪いた男に近づく。裏庭にいた女がなにか叫んでるようだけど、もう遅いわ。
そして首筋に歯を立てた瞬間、私の中に今まで感じたことのない力が流れ込んできた。お腹の奥がカッと熱くなり、何かが弾けそうになる。必死に抑え込んでみたけど、熱の塊みたいなものが、どんどん大きくなってしまう。
そして目の前が真っ白に染まったあと、私は意識を失ってしまった――
◇◆◇
目を覚ますと、屋敷のリビングで寝かされていた。さっきの感覚は一体なんだったのかしら。なんだか頭の中が焼け付くみたいに、鮮烈な衝撃だったわ。そして少しだけ舌先で触れた男の血は、今までとはまったく別の存在だった。
私はこれまで力を補充するために、ほんの少しずつしか血を吸っていない。どれだけ容姿が整っていても、穢れを知らない乙女だったとしても、彼らからもらう血はただの薬と同じ。そんな味気のない血なんて、必要以上に摂取する必要は感じないもの。でも彼の血は全身に力がめぐり、体がしびれるような舌触りがした。
彼の血が欲しい、舌の上でゆっくり転がしながら味わいたい。異世界人である彼をここで逃したら、私はこの先ずっと後悔するに決まってる。なんとか一緒に暮らしたいけど、どうやって誘ったらいいかしら。
そうだわ、下僕ということにしてしまえばいいのよ。そうすれば主従関係という結びつきが出来る、我ながら名案ね。
不調の原因だった魔道具を見つけてくれたオルテンシアも優秀なエルフだし、彼女と話すのはとても楽しいの。彼女に対しては、つい思ったことを口にしてしまうけど、友達ってこんな感じなのかしら。
始祖様の眷属になったとき、それまでの記憶を失っている。だから私がまだヒトだった頃、どんな環境で育ったのか覚えていない。そして純血で一番年下の私は、同族ともあまり交流がなかった。色々経験不足だけど、これから学んでいきましょう。
それに特級精霊のスズランは、とても不思議な存在よね。私たち吸血族は精霊を持てないけど、彼女みたいな子は欲しいわ。
そうと決まれば、なんとかきっかけを作らないと。そしてダイチの血をもらって力が戻ったら、一緒に活動しないか誘ってみましょう。
◇◆◇
ダイチから吸わせてもらった血は、想像以上だった。最初の失敗を繰り返さないよう経路を閉じていたのに、そこをこじ開けるように力が流れ込んでくるなんて……
おかげで足腰が立たなくなるという、恥ずかしい姿を見せてしまったわ。心の中で笑われてなければいいのだけど。
でも私の力は大きく上昇している。それは五番目のスキルが発現したこともそうだし、屋敷ごと影に取り込めたこともその証ね。
吸血族はその世代によって発現スキルが変わっていく。第一世代の純血である私たちは四片になれるし、その眷属は三片で止まってしまう。それに【飛翔】のスキルは、始祖様以外で発現した人はいない。
ダイチの血は本当にすごいわ。例え同胞といえども絶対に渡してなるものですか。この屋敷で快適な暮らしを体験させて、離れられなくしてあげるから覚悟なさい。
「そうと決まればさっそく行動開始ね! しまってあった依代を持ってきて」
使い魔に命令すると、大小二体の人形を持ってきた。それに血を一滴ずつ垂らすと、光りながら人の姿へと変わっていく。そして最初の使い魔より少し背が低い者が一人、さらに小柄な使い魔が一人、依代から生み出される。今の私が持っている力なら、三体同時に使役しても全然平気。
「まずは屋敷中の掃除ね、お風呂は念入りにやっておくのよ。家具も揃えないとダメだけど、使い道のない宝石を売れば大丈夫でしょう。それから食料も必要になるし、ワインとかも買っておいた方がいいかしら」
誰かと一緒に暮らすなんて初めてだけど、とても楽しみだわ。眷属を作らなかった私が、こんな生活をしようと思うなんて、世の中なにが起きるかわからないものね。
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そういえばその日つけていた下着にシミがついていたのは、どうしてなのかしら。粗相をした覚えなんて、ないのだけど――
そっち方面の知識は皆無でした(笑)
(まぁ、見た目[身長146cm]相応ってことで)
次回の更新で、新しい精霊の力が判明します。
お楽しみに!




