第9話 一生の不覚
目を開けると、僕に覆いかぶさるようにして眠るナーイアスさんの顔が、間近に迫っていた。本来なら土地神も精霊たちと同じように、眠るという行為をしなくても大丈夫らしい。スキあらばウトウトしている、テラさんを除いてだが。
そんな彼女たちが眠るのは、力が弱まったときか心身ともにリラックスしたときだけ。寝息も穏やかだし、熟睡できてるのかな。この姿を見る限り、それだけ気を許してもらってる証のはず。
昨日の夜、悲しい顔をしてしまったナーイアスさんを元気づけようと、僕は思ったことを口にしてしまう。泣かせてしまったのは失敗だったけど、どうやら感極まっただけだったみたい。
胸に抱きしめながら頭を撫でていたら、ナーイアスさんはそのまま眠ってしまった。その状態で横になったから、顔を少しずらすだけでキスできそうな体勢だ。別にこの人とキスするのは嫌じゃないんだけど、なんか憚られるんだよね。自分でもよくわからないんだけど、なんでだろう?
余剰精気のこぼれ落ちる髪をそっと撫でると、ナーイアスさんは少しだけ身じろぎする。もしかして起こしちゃったかな。
「……目覚めのキスはまだでしょうか?」
「もう起きてるじゃないですか」
その期待に満ち満ちた声、さては寝たふりしてましたね?
僕がキスをためらうのは、絶対にこういった振る舞いが原因だ。
◇◆◇
「千載一遇のチャンスだったのに、まさか熟睡してしまうとは。このナーイアス、一生の不覚です」
「世界の歴史と等しい時間を生きてるのに、こんな些細なことを最大の汚点にしていいんですか?」
「些細とはなんですか! わたくしにとってダイチさんと身も心も結ばれるのが、どれほど重大なことなのか全く理解していませんね? そんな悲しいことをおっしゃるなら、天地開闢以来の出来事を一つ残らずお話しして、ダイチさんの存在がいかに貴重なのか、とことんお伝えしますよ」
「あっ、なんかすいません。僕が悪かったです」
そんな歴史を聞かされたら、いったい何日かかるかわからない。まさかあのナーイアスさんが、ここまで声を荒げるとは。その愛ちょっと重すぎます、対応を間違うとヤンデレ化しそう。
「マスターとナーイアス様、本当に仲が良いですね」
「見てると面白い」
「わたくしとしては、もっと深い仲になりたいのですけど……」
うーん。最初は軽く迫ってくる程度だったのに、最近はガチで求められてる気がするんだよなぁ……
もし自分の気持ちを持て余してるようなら、思いっきり発散してもらった方がいいかも。
「すいません、ナーイアスさん。皆さんはこの島に、どれくらい居ても大丈夫なんですか?」
「そうですね、他の三人は国を跨いでいますので、丸一日が限界でしょうか」
ということは、今日のお昼すぎには帰らないとダメってことか。
「わたくしの場合は国内ですので何日でも……と言いたいところですが、学園島の祭壇を不在にしたままというのはよろしくありませんので、夕方くらいにはお暇しようと思います」
「でしたらお弁当を持って、少しだけ遠出しませんか? ナーイアスさんと行ってみたい場所が、あるんです」
「それはダイチさんと二人だけで、デートということでしょうか?」
「えぇ、そのつもりです」
「行きます! 万難を排してでも行かせていただきます。たとえ聖域の効果が切れてこの身が消えてしまおうとも、悔いはありません」
さすがにそんな時は帰還してもらおう。デートに誘ったせいで土地神を彼岸へ旅立たせた、なんてことになった日には、こっちの悔いが残りまくる。
多分ナーイアスさんが体の結びつきばかり求めてくるのは、それ以外の付き合い方を知らないからだ。なにせずっと地下の祭壇ぐらしだったし、この島に来られるようになっても水場限定だった。一緒に散歩やお出かけをしたり、外でお弁当を食べたりといったデートを経験したら、落ち着いてくれるかもしれない。
肌を重ね合うのも嫌いではないけど、僕としてはこうした付き合い方のほうが、より深い部分で繋がるんじゃないかって思ってる。
とにかく着替えをすませて、ニナにお弁当を頼みに行こう。
◇◆◇
朝のうちに国へ戻ると言った三人を見送り、僕とナーイアスさんの初デートが始まった。腰にリボンをあしらったベルトをつけ、濃紺の半袖ワンピースに身を包んだナーイアスさんが、ステップを踏むように隣を歩いている。
「今日の服もよく似合ってますよ」
「温泉へ入ったあとに頂いた服もそうですが、いつもと違う装いをするだけで、とても新鮮な気分になれますね」
「他の人にも何着か渡してますけど、そのうちバンダさんが作ってくれると思いますので、楽しみにしていて下さい」
四人の土地神は全員の体型がほぼ一緒なので、以前購入した水着のサイズを元に、普段着や寝間着を買い揃えておいた。それぞれ好きに選んでもらったけど、イグニスさんはスキニーパンツとカッターシャツといった、動きやすい服装を中心に。エアリアルさんは、レースの装飾がついたブラウスやフレアスカートを、いくつか選んでいる。
そしてテラさんはチュニックとワイドパンツだ。それを着てベッドでゴロゴロする姿が、ありありと瞼の裏に浮かぶ。今度バンダさんにお願いして、ジャージみたいな服を上下作ってもらおう。絶対に似合うはず。
「なんだか頂いてばかりで、申し訳ない気がします」
「ナーイアスさんたちからは、僕たちの知らない情報や知識を授けてもらっていますので、そのお礼とでも思っておいて下さい。しかもこうして家に来られるようになったからには、もう家族みたいなものですしね」
「家族ですか、素晴らしい響きです。では旦那様、子供は何人ほしいですか?」
「そうですね。男の子と女の子、二人は欲しいです」
「ふっ……ふふふふふ」
「あはははは」
お互いの顔を見つめながら、僕たちは揃って笑い声を上げる。
「こんなやり取り、とても楽しいです」
「こうやって気のおけない言葉を投げあえる関係が、僕は一番心地いいです」
僕の言葉を聞いて、ナーイアスさんが少しだけ考え込む。
そしてゆっくり口を開いた。
「私は焦っていたのかもしれません」
そのまま僕と話をしながら、ナーイアスさんは心の整理していく。どうやら会えない時間が多すぎて、自分の気持を空回りさせてたみたい。そして〝テラ〟という、僕と同じ〝大地〟の意味を持つ名前を贈ったことで、自分にない結びつきを彼女が得たと感じてしまう。
「これが嫉妬という感情なんですね」
「単に羨ましかったというだけで、そこまでネガティブなものとは、違うかもしれませんよ」
「とにかく、心のモヤモヤは晴れました。こうしてダイチさんとデートできて、良かったです」
「まだデートは始まったばかりなのに、締めの挨拶みたいなことは言わないで下さい」
「それもそうですね。では、目的地に向かって進みましょう!」
僕たちは手をつなぎ、坂道を元気に登っていく。そうやってしばらく歩いていると、島にある高台のてっぺんに到着した。
「ここがイルカ島を一望できる、僕おすすめの場所です」
いま僕たちが立っているのは、イルカの尻尾に当たる部分にできた、島の一番高い場所だ。芝生のように背の低い草が一面に生え、視界を遮る高い木は一本もない。海岸線からも離れているので、今までなら来ることの出来なかった場所のはず。
「こんな場所に立って景色を一望できるなんて、夢のようです。あそこに見えるのが温泉ですね、そしてあっちが海水浴をした場所。大きくなった神樹も、ここからだと全体を見ることが出来ますよ」
ナーイアスさんは島のあちこちを指差しながら、子供のようにはしゃぎだす。片方の手はつないだままなので、透き通るような青色の髪から余剰精気がキラキラ舞っている。こんなに喜んでもらえると、連れてきた僕も嬉しい。
「学園島は開発が進んでますから人工物が多いですけど、ここは手つかずの自然が数多く残ってるので、ナーイアスさんたちにとって過ごしやすい場所だと思います」
「ええ、とても気持ちが穏やかになれます。なによりダイチさんが隣にいるという、最高の環境ですから」
「そこにレジャーシートを広げますから、座ってお弁当を食べましょう」
「はいっ!」
僕に向けてくれた笑顔は、これまでで一番輝いていた。
お互いの口にサンドイッチを運んだりしつつお弁当を楽しみ、肩を寄せ合いながら座って色々な話をする。笑ったり拗ねたりしするナーイアスさんと、カップルでやりそうなことを思いつく限り次々実行していく。膝枕をしていたらそのまま眠ってしまい、一生の不覚が追加されたりしたけど……
そうした濃密な時間を過ごし、十分満足したナーイアスさんは、笑顔で学園島へ帰っていった。
次回は土地神たちの報告会。
「閑話23 それはそれ、これはこれ」をお送りします。
特級精霊スズランに関する考察を始めますが、果たしてその結論は……