閑話19 海水浴の舞台裏[後編]
大地に手を引かれながら思う存分水泳を楽しんだナーイアスは、アプリコットと一緒に波打ち際へ座り、カメリアたちが遊ぶ姿を眺めていた。
「こんなに楽しい時間を過ごしたのは、初めてかもしれません。なんだか土地に縛られた存在という立場を、忘れてしまいそうです」
「そういえばナーイアス殿は、どうして祭壇から出られるようになったのじゃ?」
「それはもちろん、人から精気を受け取れるようになったからですよ。学園のある島は祭壇の影響下ですし、学生たちの精気であふれていますから、その気になれば外を出歩くことも可能です。騒ぎになるのでやりませんけどね」
「なるほど、納得なのじゃ。ここなら婿殿の精気を補給できるから、自由に動き回れるわけじゃな」
「祭壇から離れた場所は消耗も激しいのですが、それを補って余りある精気を受け取れますから」
地下に祭壇のある学園島は、全体が一種の聖域状態になっている。そのため、人の精気を糧にしながら外で活動することや、ある程度の力を行使することも可能だ。
しかしそれ以外の場所へ行くなら、国内かつ大量の水がある区域という、制約に縛られてしまう。加えて祭壇の影響下にない場所には、長時間留まることが出来ない。ただし大地が近くにいるなら話は別で、祭壇内と遜色ない活動が可能になる。
「全ては婿殿のおかげというわけじゃ」
「このように素敵な島をダイチさんたちに与えてくださり、感謝していますよ」
「親父殿の静養に役立てばと、温泉のある島を確保しておったのじゃが、まさかこんなことになるとは思わなんだのじゃ」
この島は温泉が湧いているという目玉があるものの、立地条件や面積という点が観光施設向きでなく、全く手つかずの状態で放置されていた。それをアプリコットが個人で買い上げ、人が暮らせるよう開発に着手。まだまだ手を入れられる部分は残っているが、生活していくには十分な状態に仕上がっている。
唯一の欠点は、定期航路から外れているので、交通の便が悪いことだ。それは小型艇で解決できるし、大地たちなら転移で自由に移動できるため、全く問題にならない。
「夜にも催しがあると言っていましたが、アプリコットはなにか知ってますか?」
「詳しいことは聞いておらぬが、暗い場所で何度も魔法の練習をするから、騒ぎにならんよう根回しを頼まれとるのじゃ」
「ということは、夜にしか出来ない魔法ということですね。なんだか楽しみになってきました」
「婿殿には異世界の〝げーむ〟という遊びで得た知識があるようじゃからな、我らの想像もできんことをやってくれそうで楽しみなのじゃ」
邪神と戦闘をする前、大地は自分の実力を見せるため、特級魔法を発動している。その余波で出来た巨大な水柱は、本島からも観測され大騒ぎになった。実は連絡便の運休が長引いたのも、それが原因だったのだ。
アプリコットが邪神のせいにしたため事なきを得たが、大地は後から怒られてしまう。その反省を活かし、今回は事前に相談を持ちかけていた。
ナーイアスとアプリコットがそんな話に花を咲かせていると、浮き輪で遊んでいたリナリアとスズランが海から戻ってくる。手を振りながら駆けてくるリナリアの髪が、太陽の光を受けてキラキラ輝く。
「婿殿と十分遊べたようじゃな、リナリア」
「お兄ちゃんと一緒に浮き輪につかまって、泳いだりしたの。すごく楽しかったの!」
「ナーイアス様とアプリコット様は、ご休憩中ですか?」
「えぇ、わたくしもダイチさんからたっぷり精気をいただきましたので、ここからみなさんの遊ぶ姿を見ていたところです」
アプリコットと並んで座ったリナリアは、隣に腰掛けたスズランの腕にギュッと抱きついた。吸血族の血を受け継いでいるアプリコットは、一般的な人魚族の十倍を超える寿命がある。そのせいで体の成長が遅く、まだ二次性徴を迎えていない。
母娘の身長が逆転した頃から、リナリアはスキンシップが伴う行為を、ためらうようになってしまう。母の体質については、十分理解していたつもりでいた。でも体格の差が大きくなるにつれ、自分ばかり成長して申し訳ない気になったから……
そこに現れたのがスズランだ。人魚族に近い青みがかった銀髪、そして自分を包み込んでくれた大きくて柔らかい彼女に、姉という存在を重ねてしまった。
そして大地とつながりを持ったことを契機に、二人の妹として振る舞っていこうと決意。スズラン自身も最初は戸惑っていたが、今ではすっかり妹のように可愛がっている。優しい笑みを浮かべながら、リナリアの頭を撫でている姿を見れば、実の姉妹と感じる者も多いだろう。
「体を動かすのは慣れましたか? リナリア」
「うん、もう大丈夫なの、お姉ちゃん。だからメロンちゃんも、遠慮なくスキルを発動してほしいの」
その言葉を聞いて、メロンがリナリアの胸に飛び込んでいく。すると他の精霊たちも、一斉に甘えだした。
「やーん、みんなくすぐったいの」
「リナリアの泳ぎがとても速くなっていて、驚いたのじゃ」
「やっとお母さんに追いつけるようになったの」
「こうして子供が成長していく姿を見るのは、嬉しいものじゃな」
百歳を超えるアプリコットは五片のスキルを持ち、それぞれの熟練度もかなり高い。その気になれば歌姫として、センターを張れる実力があったりするのだ。もちろん十八歳までという年齢制限を、自ら破るつもりはないが……
そして一番実力を伸ばしているものが、下半身を魚の姿に変える【水泳】スキルである。学園の生徒たちを水の事故から守るため、鍛錬を怠らなかったのだから当然の結果と言えよう。
「スズランの生み出す精霊は、本当にすごいですね。見て下さい、カメリアが水の上を走ってますよ」
「やっぱりカメリアちゃんはカッコイイの!」
「あの動きは獣人族を超えとるな、学園の実技教員に欲しいくらいじゃ」
海の方に飛んでいったフライングディスクを、全速力で走っていたカメリアが水上でキャッチ。片方の足が沈む前に、もう片方の足を前に出せば水上を走れる理論を実践していた。
そして捕獲した獲物を見せつけるように手を振りながら、海の中へ沈んでいく。
「マスターもカメリア様も、とても楽しそうです」
「ダイチさんのそばにいる子たちは、みな幸せそうに笑いますね」
「ナーイアス殿もその一人じゃな」
「もちろんそうです。あの人はわたくしに忘れられない思い出を、次々与えてくださいますから……」
大地を見つめるナーイアスの目は、とても眩しいものを見るように細められている。スズランはそんな彼女の姿を、聖母のような微笑みを浮かべて見守るのだった。
◇◆◇
明るい街中ならともかく、この世界の住人は暗くなってから外に出る者は少ない。事前に詳しい話を聞いていなかったプラムは、夜の海岸へ行こうと誘われ少し怖くなっていた。
しかし大地が作り出した花火の魔法を見て、そんな気持ちは吹き飛んでしまう。
「こんな魔法を作れるなんて凄いね、カクタスくん」
「ああ。ダイチ君は魔法に関して、天才的なセンスを持っているね」
「でも、あんなに連射して大丈夫なのかな?」
魔法に慣れてきた大地は、調子に乗って花火の乱れ打ちをやっている。上空にいくつも丸い花が咲き、辺りにパンパンと乾いた音が鳴り響く。これだけ連射しても煙で視界が悪くなったりしないのは、魔法で作る花火のいいところだ。
「彼やオルテンシアさんが作る、〝あるふぁべっと〟という魔紋は、マナの消費がかなり少ないらしい。それにミカンちゃんといったかな、あの精霊も相当な力を秘めてるんだと思うよ」
「確かスズランさんが生んだ精霊だっけ?」
「彼女が精霊を生み出すことが出来る存在なんて、いまだに信じられないよ。リナリア君と並んでる姿なんて、姉妹にしか見えないからね」
「あの……カクタスくんはやっぱり、あんな大人な感じの人が好き?」
「あれほど完璧な女性と付き合ってる自分の姿なんて、なんだか想像ができないよ。それに今は、振り向いてもらいたい人がいるんだ」
「あっ……そう、なんだ……」
淡い光に照らされたプラムの顔が、少し寂しそうな表情に変わる。もしかすると彼が気になってる人は、同じエルフ族のオルテンシアではないか。そう考えてしまった彼女は、胸の奥にチクリと痛みが走った。花火に集中していたカクタスは、そんな彼女の変化に気づかない。
「プラム君はどうなんだい? やっぱりダイチ君みたいな人に、惹かれたりするものかい?」
「すごく優しくて人当たりもいいし、リナリアちゃんが好きになるのも、当然かなって思う。だけど私も今は気になる人がいるんだ……」
「そっ、そうだったのか。もしかして今日誘ったのは、迷惑だったりしてないかな」
「そんなことないよ! みんなと遊ぶことが出来てすごく楽しかったし、こんな素敵な光景をカクタス君と見られたんだもん」
いつもの控えめな話し方とは違う口調に、カクタスは少し驚いてしまう。そしてお互いの視線が絡み合い、二人は慌てて目をそらす。甘酸っぱい雰囲気を敏感に感じ取ったカトレアが、他のメンバーを連れてその場からそっと離れていった。
「「あの」」
「……あー、んんっ。プラム君からどうぞ」
「えっと……今日はどうして私を誘ってくれたの? いつも一緒にいる子や、他の歌姫もみんないたのに」
「ここにいる人たちは、みんな特殊な力を持ってるから、信用の出来ない人を連れてきたくなかったのが、理由の一つだね」
「他には?」
「実習授業の時に犯した失敗で、みんなの態度がよそよそしくなってしまったんだ。そんな中、プラム君だけが以前と同じように話をしてくれた。私はそれがとても嬉しかったんだよ」
「だってカクタスくんは私たちのことを、ちゃんと考えてくれていたし。それにあの時も、私を逃がそうとして怪我を……」
花嫁事件の時にカクタスのグループが規定のコースを外れ、他の探索者に助けられたことは全生徒が知っている。中にはモンスターが迷宮外に出てきたのは、カクタスが原因だという者までいた。そして尊大な態度が鳴りを潜め、授業態度も真面目になったカクタスを見て、取り巻きだった女性たちは距離をとるようになってしまう。
そんな彼に今までと変わらない態度で接してくれたのが、リナリアとプラムの二人だ。その影響もあって、学園内での立場も徐々に回復している。
「私はプラム君の存在に救われた。あのとき君を逃がすことが出来て、本当に良かったと思っている。もし同じようなことがあれば、君だけは全力で守り抜く」
「……あの、それって」
「私が振り向いて欲しい相手、それはキミだよプラム君」
カクタスは真剣な眼差しでプラムを見つめた。そしてプラムも頬を真っ赤に染めながら、目を逸らすことなくカクタスを見つめ返す。
ここでしか見られない幻想的な光景をバックに、お互いの距離が縮まっていく。そんな二人を祝福するように、ひときわ大きな花火が打ち上がる。
そして大輪の花に照らされたシルエットは、一つに重なり合っていた。
この日から二人は交際を始め、プラムは卒業と歌姫引退を期に、人魚の涙をカクタスに捧げる。しかしカクタスは他の人魚族を娶らず、プラム一人に愛情を向け続けたという……
―――――・―――――・―――――
海水浴から数日後、学園長室に一人のエルフ族が入ってくる。
「わざわざ[賢聖]が訪ねてくるなど、一体どういうことなのじゃ、ユーフォルビア殿」
「我が国に歌姫を派遣して欲しい」
――新たな事件の始まりであった。
めでたく結ばれた二人ですが、彼の父に思わぬ効果を発揮します(笑)
次回から始まる神樹編をお楽しみに!