第9話 14月1日
前回の反省を生かして月が十分高くなったあと、オルテンシアさんの小屋を訪ねることにした。僕はあんまり気にしないけど、また無意識に人を襲ったなんてことになれば、あの人の心が傷ついてしまう。
前に来たときより森の中は歩きにくくなったけど、導きの魔道具と地球より明るい月光のおかげで、なんの問題もなくたどり着けた。
「こんばんはオルテンシアさん、大地です。入ってもいいですか?」
『問題ない、入ってきたまえ』
ドアをノックして声をかけると、すぐ答えが返ってくる。中に入ってオルテンシアさんを見ると、何かの薬を調合している最中だった。僕の方を見て微笑んでくれた顔は、やっぱり妖精みたいにきれいだ。
ずっと寝ていたら、もっとやつれたり体が動かなくなったりしそうだけど、しっかり立ち上がって出迎えてくれる。きっとこの人の作る薬が、それだけ凄いってことなんだろう。
「そういえば君の精霊が見えないようだけど、一体どうしたんだい?」
「えっと、そのことでオルテンシアさんに紹介したい人がいるんですが、呼んでも構いませんか?」
「まっ、まさかこの場所を誰かに教えてしまったのか!?」
「いえ違うんです、ここの事は誰にも話したりしてません。それにスズランはいつも僕のそばにいてくれます。ただ、ちょっと普通の状態じゃないので、驚かないでくれると嬉しいんですが……」
この隠れ家が他人に知られたと思ったのか、オルテンシアさんは僕から距離を取るように後ずさる。それを慌てて否定したけど、彼女の表情はとても訝しげだ。
いきなり二人で入ったら驚かれると思って、スズランには一時的に隠れてもらった。なにせ宙に浮いたり消えたりしなければ、普通の女の子と変わらないもんな。
街でもちょっと目を離したスキに、男性から声をかけられている。まったく、他人の精霊をナンパしないでほしい。そういえばスマホの予測変換に、〝激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム〟とかあったっけ。その時の僕は、そんな気持ちだ。
「異世界人の君は我々の及びもつかない事をやりそうで少し怖いが、危険な人物ではないんだな?」
「決して僕のことを裏切らない人なので、危険がないことは絶対に保証します」
「君は信頼に足る人物だと思っているから、呼んでもらって構わない。そこまで断言するなんて一体どんな人物なのか、私もちょっと興味が出てきたよ」
「わかりました、……出てきていいよ、スズラン」
僕が声をかけると、空中にスズランが現れた。浮いたままクルリと回転したあと、スカートを少し持ち上げてカーテシーを決める。窓から差し込む月明かりの下でやると、すごく幻想的だな。ちょっと演出過剰な気もするけど、人とは違う存在だとひと目で分かる登場シーンだろう。
実はこの登場の仕方、二人で決めました。オルテンシアさんは大きく目を見開いて固まってるし、ちょっとやりすぎたかもしれない。でもあの赤い瞳、宝石みたいですごくきれいだよな。
「……なっ、人が空中に」
「この姿ではお初にお目にかかります、オルテンシア様。私はダイチ様の愛護精霊、スズランと申します」
しばらくスズランを見ていたオルテンシアさんは、ぎこちない動きで僕の方に視線を移動させる。なんか関節が固まったロボットみたいな動きだ。ギギギギギって音が聞こえてきそう。
「改めて紹介しますね。オルテンシアさんのおかげで、スズランは上級精霊に進化できました。そして更に上の階級である、特級精霊に成長できたんです」
「マスターのとても大きな愛情にこの身をすべて捧げたことで、新しい存在として生まれ変わることができました。今後とも宜しくお願いいたします」
「そんな精霊の存在、聞いたことがない。私は夢でも見ているのか……?」
オルテンシアさんはかなり博識な感じだけど、やっぱり特級精霊は知らなかったのか。この後にサクラも紹介したいんだけど、大丈夫かな。あの子がいないと狂化の衝動を抑えられないし、なんとか今の状況を受け入れてもらおう。
◇◆◇
少し時間がかかったけど、どうにか二人のことを紹介できた。ずっと驚きっぱなしのオルテンシアさんを見てると、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまったけど……
「しかし本当に狂化の影響を抑えることなど可能なのか?」
「私の見立てでは、オルテンシア様がダークエルフになられたのは、魂に刻まれた呪いのせいです。しかし狂化の衝動は、一種の状態異常と考えられます。ですので、そちらを無効化するだけなら、サクラちゃんにも可能です」
「だがサクラという精霊は私と契約していない、その庇護下に入るのは無理ではないか?」
その方法は、まだスズランしか知らないんだよな。だから僕の方をじっと見られても、答えを返すことはできません。先を促すようにスズランへ目線を飛ばすと、なんだか意味ありげなほほ笑みを浮かべてくれた。ちょっと嫌な予感がするぞ?
「それはマスターと深くつながることで、その効果をオルテンシア様に反映させることが可能です」
「深く……繋が、る?」
「マスターの熱いものを、体の奥底で感じ取ってください」
やっぱりそんなことだろうと思ったよ!
オルテンシアさんはまた唖然とした表情になってるし、絶対にスズランは今の状況を楽しんでるな。さっきの言い方も、きっとわざとだろう。時々こんな茶目っ気を出すのは、スズランの悪い癖だ。そんなところも可愛いけど!
ギリギリまで言わなかったのは、きっと僕とオルテンシアさんの反応を、見たかったからに違いない。まったく契約主を困らせるなんて、悪い精霊に育ってしまった。なんだかんだで怒る気にはなれないけどさ!
「けっ、けっ、けっ、結婚前の男女が深く繋がるなんて、破廉恥な行為は絶対にダメだ!」
「オルテンシア様はマスターのことがお嫌いですか?」
「えっ!? いや、その……こんな姿になった私を綺麗だと言ってくれるし、嫌いではない。し、しかし彼と私は、まだ三回しか会ったことがないんだぞ」
「私はこの姿に生まれ変わったその日、マスターと一つになりましたよ?」
だからスズラン、言いかた! オルテンシアさんは耳の先まで真っ赤になってるじゃないか。
「きっ、君からもなにか言ってやってくれ。異種族で肌の色もこんなになってしまったし、さすがに抱いたりするのは嫌だろ?」
「あっ、えっと……オルテンシアさんてすごく可愛いですし、触れたり抱きしめたりするのは全然嫌じゃない、です」
「なぁっ!? かっ、可愛い……」
この人は僕の倍以上生きてるはずなんだけど、こうしてワタワタしてる姿がすごく可愛らしい。見た目は高校生くらいだし、そう思ってもいいよね?
「ねぇスズラン、多分だけど他の方法もあるんだろ?」
「さすが私のマスターです、全てお見通しのようですね」
これって明らかに無茶振りだし、まだ何か隠してることがあると思ってた。僕とオルテンシアさんの気持ちを確かめあって、このさき行動を共にする時の障害を減らそうなんて考えてたのかも。
ダークエルフはこの世界でよく思われてないとか、前に聞いたことあるもんな。ファンタジー小説もよく読んでた僕に、そんな偏見はない。むしろ、どちらかというと好きな方だ。そのへんの話もスズランにしてるから、こういう行動に出たんだろう。
◇◆◇
そしてスズランは、もう一つの方法をオルテンシアさんに告げ、二者択一を迫る。別の方法を選んだオルテンシアさんは、スズランと儀式をすることになるのだった――
果たして儀式とは一体……