第7話 姉は間に合ってますので!
約束のタイミングになったので、席を立って会場の敷地を出る。そこにいたマネージャーの女性に、アプリコットさんから預かった身分証を渡し、ステージの裏手へ連れて行ってもらう。
デイジーと名乗ってくれたこの女性も元歌姫で、引退後にマネージャーの仕事に就いたらしい。卒業した歌姫たちは他所の国で歌手として活動したり、コンサートスタッフとして後進の活動を支えたり、何かしらの形で音楽に関わることが多いそうだ。現場のことをよく知ってる人がサポートしてくれるなら、安心して活動に専念できるんじゃないかな。
「あなたが噂の〝お兄ちゃん〟なんですね」
「えっ!? 噂になってるんですか?」
「リナリアが学友にうっかり口を滑らせたらしく、そこから話が伝わってきました。なので一体どんな人なのかと、スタッフ一同興味津々だったんですよ」
友だちにバレたっていうのは本人から聞いてたけど、ここにいる人たちも知ってたとは……
どうりでいくつもの視線が突き刺さってくるはずだ。女性スタッフが多いから、男の僕が珍しいのかと思ってたけど、それが理由だったのか!
「デイジーさんはリナリアから、僕のことを何か聞いてます?」
「実習授業中に彷徨う者と遭遇して、あなた達のパーティーに助けていただいたと、教えてもらいました。他の人には話してませんから、安心してくださいね」
さすがにその辺りの情報管理は徹底されてるみたいで助かる。最近のカクタス君は授業態度も真面目になってるって話だし、彼のキャリアに傷をつけない意味でもこの形が一番いいはず。
「タイミングよく駆けつけることができたので、すごく懐いてもらえたんです」
「うんうん、わかります。危ない所に颯爽と現れて敵を排除なんてシチュエーション、女の子だったら誰でも憧れますから。英雄的行動に弱い私たち人魚族には、特に効果的ですよ。なかなかやるじゃないですか!」
「そんな弱みがあるなんて知りませんでしたし、狙ってやったわけじゃないですからね」
いま知ったよ、そんな話。それってデイジーさんの、個人的な嗜好じゃないよね?
現にカトレアさんは、落ち着いた大人の男性が好みだし……
「この国では英雄譚が、一番人気のあるジャンルなんですよ。小さな頃からそうした物語を読んで育つ子が多いので、必然的に憧れてしまうわけです」
「なるほど、そんな国民性みたいなものがあるんですか」
「リナリアの態度を見る限り、それとは別の感情だと思いますけどね」
「どう違うんでしょう?」
「実はあの子って、誰も見てない場所で寂しそうな顔をすることが、時々あったんです。ですがここ最近、そんな姿を見なくなりました。リナリアの身の上はご存知だと思いますが、その隙間を埋めてくださったのは、間違いなくあなたの存在です」
やっぱりマネージャーだけあって、リナリアのことをよく見ている。そういった話はアプリコットさんからも聞いたことないし、この人しか知らないのかもしれない。母親とは別の視点で接してるから、気づけたんだろうか。
「僕がリナリアの支えになってるのなら、兄としてもっと頼ってもらえるよう、これからも頑張らないといけませんね」
「男兄弟に縁がないのは当たり前と思ってたんですが、そんな姿を見せられるとリナリアが羨ましくなってしまいます。今なら姉もお付けしますけど、ご一緒にいかがですか?」
「いえ、姉は間に合ってますので!」
人魚族って、セットメニューや抱き合わせ販売が好きなの?
家族には僕の倍以上生きてるシアと、超年上のアイリスがいるんです。それに地下祭壇のやり取り以降も、アプリコットさんからアプローチを受け続けてる。やたらとキスをせがんでくるナーイアスさんもいるし、これ以上僕の精神力を削られるのはごめんだ。
「これでも容姿には自信があったのですが、ふられてしまいましたか。やはり人魚の涙を受け取れる人は、他の男性とは違いますね」
「それもリナリアから聞いたんですか?」
「いえ、これは女の勘です。引っ込み思案で自己主張の乏しかったリナリアが、あなたに対してだけは独占欲をむき出しにするんですよ。なにか特別な繋がりを持ったと考えるのが普通でしょ?」
「ということは……あれ? もしかして僕、自分で秘密をばらしてしまったんじゃ……」
「ふふふ、言質とりましたからね」
うわー、しまった!
女の勘とか言ってるけど、確信があったからカマをかけてきたんだ。まんまと乗せられるなんて、相変わらず僕は迂闊すぎる。
デイジーさんはいたずらが成功した子供みたいな顔で、僕を覗き込んできた。さすが元歌姫、すごく魅力的ですね! そんな笑顔を見せられたら、怒る気も失せちゃうよ……
「あらら、そんなに落ち込まないで下さい。あなたも私たち人魚族の情報管理能力は知ってるでしょ? 内輪で盛り上がるだけにしておきますから、心配は無用です」
「お願いですから、あまり広めないでくださいよ。もしファンの耳に入って、リナリアが責められたりするのは嫌ですからね」
「まっさきに妹の心配をするあたり、さすがはお兄ちゃんです」
人の口には戸が立てられないって言うけど、その辺りは信じるしか無いだろう。まあアプリコットさんも目を光らせてるし、きっと大事にはならないはず。この人たちが向けてくる好奇の目には耐えてみせるよ。だってお兄ちゃんだから!
そんな覚悟を決めていたら、機材や控え室のある建物に到着した。中には広いロビーがあって、大きな箱がいくつも並べられている。ステージで使う小物類が入ったものの他に、花束や個人宛のプレゼントをまとめた箱もあるみたい。
リナリアの名前を見つけたから少しだけ覗かせてもらったけど、ファンレターやぬいぐるみがぎっしり詰まってた。今はアイリスの家にある倉庫を一部改装して、ぬいぐるみ置き場にしている。イベントのたびにこれだけ増えるなら、あの量になるのも納得だ。
「こちらがリナリアの控え室になります」
「ありがとうございました」
「私はステージ横の前室で待機してますから、あとは若いお二人で逢瀬をお楽しみ下さい」
なにお見合いみたいなこと言ってるんですか。手を振りながら去っていくデイジーさんを、僕は呆れ顔で見送る。
そういえば、ここに呼ばれた理由を聞きそびれてたな。まあ僕の知らなかったリナリアのことを、色々聞かせてもらえたから良しとしよう。ここまできたら直接本人に会って、理由を聞けばいい。
◇◆◇
ノックをして部屋の中に入ると、少し緊張した表情のリナリアが迎えてくれた。スカートがふわりと広がった純白の衣装は、なんとなくウェディングドレスに見える。頭には光を反射してキラキラ輝く、花をあしらった大きなヘアアクセサリ。髪もきれいにセットされているので、いつもの雰囲気と随分違う。
「こんばんはリナリア、その衣装すごく似合ってるよ。大人っぽくて素敵に見えるね」
「来てくれてありがとうなの、お兄ちゃん」
僕の姿を確認して微笑みかけてくれたけど、やっぱりいつもよりぎこちない。
「フェスティバルの最後を飾る出演だし、不安になっちゃった?」
「どうしてわかったの?」
「僕がリナリアのお兄ちゃんだからだよ」
「えへへっ、すごく嬉しいの!」
ちょっとカッコつけ過ぎかもしれないけど、おかげでリナリアにいつもの笑顔が戻った。嬉しそうにこちらに近づいてきたけど、お互いに触れ合える少し手前で止まってしまう。
「あうぅぅー。衣装が崩れちゃうから、ギュってしてもらえないの」
「髪もきれいにセットしてるから、なでなでも難しそうだね」
「お兄ちゃんに元気を注入してもらったら、頑張れると思ったのに残念なの……」
そんな悲しそうな顔しないでよ。捨てられた子犬みたいな姿を見せられると、なんとか力になってあげたくなる。
花嫁事件の時あれだけ気丈だったリナリアでも、公演前にはこうなってしまうのか。やっぱりこれだけの大舞台だと、例えベテランだって緊張してしまうだろう。
多くの人から期待を寄せられ、それに応えるだけの結果を求められる。そのプレッシャーがどれほどのものか、他人が推し量るなんて不可能だ。ましてやこの子はまだ十六歳、誰かを頼ってしまうのは仕方ない。初めてトリに選出され、不安な自分を支える相手に選んでくれたのが、アプリコットさんやデイジーさんでなく、この僕なんだから。
「ねえリナリア、少しだけ目をつぶってくれる?」
「……? うん、わかったの」
わずかな逡巡を見せたあと、素直に従ってくれた。これはそれだけ僕のことを信頼してくれてる証。その想いに精一杯応えてあげるからね。
僕はリナリアを怖がらせないよう、ゆっくり近づいていく。
――そして淡く色づく唇に、そっとキスをした。
「……………!? お兄ちゃん、リナリアにちゅーしてくれたの?」
「驚いた?」
「ううん、すごく嬉しいのっ!!」
花が咲いたような笑顔を浮かべるリナリアの髪から、余剰精気がキラキラと舞いはじめる。ナーイアスさんも言ってたけど、やっぱりキスの効果はすごい。これ舞台演出でごまかせるかな……
それはともかくとして、キスの衝撃で不安が吹き飛んだみたいだし、もう大丈夫だろう。
◇◆◇
スタッフがリナリアの出番を告げに来たので、二人で手をつなぎながらステージ横にある前室へ移動した。キス直後より多少収まったとはいえ、余剰精気は今もあふれ続けたままだ。出番を終えた歌姫たちも、何事かとこっちを見てるよ!
「もう大丈夫ですか? リナリア」
「お兄ちゃんのおかげで怖くなくなったの!」
「その笑顔をファンのかたに届けて下さい」
「行ってくるの!」
手を振りながらステージ中央へ駆けていくリナリアを、デイジーさんと一緒に舞台袖から見送る。会場は割れんばかりの歓声に包み込まれたけど、リナリアは臆することなく歌を紡ぎだす。こうして輝いている姿を見ると、やっぱりアイドルって凄いと思ってしまう。
「あの子にどんな魔法をかけたんですか?」
「ちょっと元気を注入してあげただけです」
あのデイジーさん、僕の下半身を見るのやめてくれませんか。ステージ衣装を脱がして元通りにする自信なんて無いですから、あなたの想像してることなんてやってませんよ。
「それにしてもあのキラキラは、一体どういうことなんでしょう……」
「えーっと、兄の愛ですかね」
「それ、私にもいただけませんか?」
「姉には困ってませんので、お断りします」
アップテンポの曲に合わせ、踊りながら歌うリナリアは、本当に楽しそうだ。観客たちも一体になって、コールしながら光るスティックを振っている。それに、さっきまで座っていた年配の人も、ジャンプしたり手を振り上げだす。これってバフ効果が効きすぎじゃないかな?
余剰精気の影響が、人魚族のスキルにまで作用するとは思ってなかった。みんな元気が出まくってるよ……
こうして歌姫の祭典は大盛況のうちに終わり、リナリアの人気が更に上昇することとなった。
このラストステージは、伝説として語り継がれることになります(笑)
次回は閑話「カローラとロータス」をお送りします。
主人公たちと別れたあとの二人に加え、伏線の回収も少々。
そしていよいよ二人目の土地神の元へ……