第2話 無の境地
荒ぶるシアをなんとかなだめ、みんなで温泉に入り直す。ナーイアスさんは少し離れた場所に追いやられ、恨めしそうな顔でこっちを見てる。そんな顔してもダメですよ。そもそもあなたのせいで、こうなってるんですからね。
「お兄ちゃんと一緒に入ったら、心もあったかくなるの」
「リナリアの髪、またキラキラしてきたね」
「いっぱい元気をもらってる証拠なの!」
伸ばした足の上に座って、僕に背中を預けてきたリナリアが、機嫌よさそうに温泉を堪能してる。うなじが隠れるくらいまで伸ばした明るい水色の髪から、光の粒子がサラサラとこぼれだす。長めのハグをしたときも髪ツヤが増すけど、今日は可視化できるくらい余剰精気があふれだした。これって肌が直接触れ合ってる面積の違いかな。
「うぅっ……羨ましいですリナリア。わたくしも水精の卵とか産めないでしょうか。毎朝ダイチさんに食べてもらったら、精気をいっぱい貰えそうなのに……」
ニワトリですか、あなたは。どうしてそこで卵なんて発想が出てくるんだろう。人魚族は涙なんだから、水精の雫とかにしといてくださいよ。もしかして妖精って卵生なんですか?
水を司ってるんだし、色は青に違いない。そういえば外国のニワトリに、青い卵を生む品種がいたな。親戚だったりして。
「くっ……私の味方はアイリスとアスフィーだけか」
僕の左に座ってるシアから、怨嗟の声が聞こえてくる。使い魔の三人は少し離れた場所で固まってるけど、ミツバって着痩せするタイプだった。サイズ的にはリナリアより少し小さいくらいかな。曲率半径を考えたらシアのほうが大きいんだし、元気だして!
「使い魔がこんな贅沢な暮らしをして、良いのでしょうか」
「……お湯に入るのって、なんか不思議」
「気持ちいいねー」
普段は倹約してお風呂に入らない三人でも、温泉なら気兼ねなく利用できる。この機会に入浴の素晴らしさを知ってもらえると、元日本人として嬉しい。
そのとき、海を眺めていたアイリスが、その場でくるりと反転。スキルで浮力を制御してるのか、ターンテーブルに乗ってるみたいだ。
「あら、気づいてなかったの? あなた少し成長してるわよ」
「本当か!?」
「あっ、えっと……確かに以前より、ふわふわ感が増してると思う」
僕の腕をキュッと掴んだシアが、問い詰めるように見つめてきた。こんな場所で聞くのは勘弁してほしい、変に思い出すとリナリアに気づかれちゃう。
本人はもとより、言われるまで僕も意識してなかった変化だ。アイリスの鋭い観察眼には舌を巻くよ。
「ふふふふふ……そうか、私にも希望は残されていたのだな。これもダイチのおかげだ、ありがとう」
「シアの役に立ててよかった。これからも頑張ろうね」
「リナリアはお姉ちゃんくらいになりたいの」
「抱っこしてもらえる人増える、歓迎する」
「アスフィーちゃんなら、今のリナリアでも抱っこできるの。あとでやってあげるの」
僕の右側にはスズランが座り、その膝の上でアスフィーがくつろいでる。僕が抱っこしてるリナリアと合わせて、三人でナーイアスさんから守ってるっぽい。背中には大きな岩があるし、こうやって三方位固めると、誰も近づけないってわけ。
スズランとシアは二人とも髪をアップにしてるから、いつもと違う雰囲気が新鮮だ。どっちのうなじも綺麗だし、おくれ毛が色っぽくて素晴らしいです。
「こうしてマスターと温泉に入れるなんて、とても幸せです」
「僕の話を聞いてから、混浴したいって言ってたもんね」
「前にダイチが言ってた〝裸のどつきあい〟ってやつ、ボクもやってみたかったんだー」
「なんだよ、俺様に言ってくれれば、いつでもクチバシで突いてやるのに」
惜しい! 似てるけど一文字多い!!
裸で殴り合って友情が芽生える展開なんて、多分ないからね。温泉は血みどろの決闘場所とは違うんだよ。
一時はどうなるかと思ったけど、こうして女の子たちと混浴しても、なんとか平常心を保ててる。多分ナーイアスさんに乱入されて、ショック療法みたいな感じになったおかげかな。本人はそんなこと考えてなかっただろうけど……
お礼にあとで頭を撫でてあげよう。
「だいぶ温まってきたし、僕は体を洗ってくるよ」
「それでしたら私がお背中をお流しします」
「リナリアもお兄ちゃんを洗ってあげるの」
「主様、頭洗って」
僕の平常心は風前の灯かもしれない。
◇◆◇
――シアも参加して、隅々まで洗われてしまいました。
大事なところはアスフィーを抱っこした状態で死守してます!
なんか精神力が鍛えられた気がする。スズランの持つスキルがあるとはいえ、体みたいに鍛錬できないから、いい修行になったのかもしれない。だから背中をタオル以外のもので洗われても、僕の心はフラットさ!
無の境地とも言うけど。
それはともかく、こうして和気あいあいと楽しめるのが、温泉の醍醐味だ。広い洗い場にはバスチェアが並べてあるし、お湯の汲める水路まである。本当にいい場所だよ、ここは。
リナリアが僕の頭を洗ってくれたけど、小さな手から一生懸命さが伝わってきて、ちょっと感動してしまった。他人に髪を洗ってもらうのって、不思議な感覚がして気持ちいいんだよね。それを言葉にして伝えたところ、僕が全員の頭を洗ってあげることに……
「カメリアも髪が長いから、一人で洗ったりするの大変でしょ?」
「うん、ついめんどくさくなって適当にやっちゃうんだ」
「俺様が手伝ってやれればいいんだが、あいにくこの体だしな。洗ってやれるのは、おっぱいくらいだぜ」
今日のクロウは、かなりごきげんだ。水面を器用に漂いながら、みんなの入浴姿を堪能してた。序列順に滞在時間が違ってたから、スキルを使って移動してたんだろう。さすがに手を出すような真似はしなかったけど、欲望に忠実な点だけはブレがない。
「シアやアイリスにもやってあげたけど、洗う前に柔らかいブラシで軽く梳いて、一度お湯で流してから洗うといいよ」
「ダイチが洗ってくれると凄いね、泡立ちがぜんぜん違うもん。それに頭皮マッサージが気持ちいい!」
「毎日は無理だけど、気に入ったんなら時々洗ってあげるからね」
「ホント!? やったー!」
さすがに僕一人で全員の洗髪をしたら、時間がかかりすぎる。今日は明るいうちから入ってるので問題ないけど、みんなで分担しないと寝るのが遅くなってしまう。ペアになって洗いっことか萌えるシチュエーションだし、これからはそうしてもらおうかな。
「次はわたくしですからね、これで打ち止めなんて言われたら、泣いちゃいますよ」
「心配しなくても今日は全員洗ってあげますから、もう少しだけ待ってください」
「ダイチ様に洗っていただくなんて、なんだか恐れ多いです」
「……少し恥ずかしいけど、ダイチさんなら洗って欲しい」
「使い魔の私たちまで誘ってくれた理由がわかったよ。頭を洗ってもらうのも楽しみだなー」
「いつも家のことを頑張ってくれてるお礼だから、遠慮しないでね」
「下僕に奉仕させると、素晴らしい充足感を得られるわよ。あなた達も体験しておきなさい」
みんなの頭を洗ってるうちに、なんだか楽しくなってきたから、気にしなくてもいいよ。イチカの髪も結構長いから、洗い甲斐がありそうだし!
でもここが温かい南の地方で良かった。おかげで湯冷めせずにすんでる。残りみんなの洗髪が終わったら、もう一度ゆっくりお湯に浸かろう。
◇◆◇
温泉を存分に満喫し、家でゆったりとした時間を過ごした。寝室まで乱入してくるかと思ったナーイアスさんだが、なんでも外で活動できるのは水場限定らしい。残念そうに帰っていったけど、余剰精気が髪からこぼれてたし、満足できてるはず。
「アスフィーちゃん、ちっちゃくて可愛いの」
「リナリアも柔らかい、楽しみ増えた」
本当にアスフィーは、胸の大きな女性に抱っこされるのが好きだなぁ。時々カメリアにもおねだりしてるくらいだし、いったい誰の影響を受けたんだろう。だけどあんまりカメリアを独占すると、クロウが嫉妬するから程々にね。
「温泉はどうだった? スズラン」
「マスターに髪まで洗っていただき、至福の時を過ごすことが出来ました。今度は二人だけで入ってみたいです」
「えっと、ちゃんと湯浴み着を使ってくれるんだったら、いいよ」
え? なにその意味深な笑顔。
にごり湯だったらまだしも、ここの温泉は透明だから全裸はやめて下さい。
「子どもたちも喜んでますし、温泉っていいものですね」
「精霊にも温泉の効能ってあるの?」
「はい、私もお肌がスベスベになりましたし、この子たちもいつもと肌触りが変わってますよ」
僕の膝でくつろいでるサクラたちに手を伸ばすと、一斉にスリスリ体を擦り付けて甘えてくる。確かに言われてみると、いつもよりツルツル感が強いような……
精霊にまで影響があるなんて、温泉ってやっぱり凄いぞ!
「今度はお母さんも誘って遊びに来るの」
「ずっと忙しそうにしてるし、温泉でのんびりしてもらえるといいね」
「お母さんもお兄ちゃんと一緒に入ったら、きっと元気になるの」
僕はリナリアがくれた、人魚の涙を受け入れてる。そうなるともう他の人魚族がくれた涙で、繋がりを持てない。リナリアやナーイアスさんみたいに精気を渡すのは無理だけど、温泉に入るだけでも効果はあるだろう。なにせ、精霊にも効くくらいだから。
そのあとも元の世界にある温泉の話をしたり、学園生活のことを聞いていたら、次第にリナリアの目がとろんとしてきた。
「もしかしてもう眠い?」
「うん……今日はちょっと疲れたの」
「入浴って結構体力を使うから、少し早いけど寝ようか」
「そうする……の」
船を漕ぎだしたリナリアからアスフィーをおろし、ベッドへそっと寝かせる。そのまま僕も布団へ潜り込むと、胸元へキュっとしがみついてきた。本当に小動物みたいで可愛いな、この子は。
リナリアの向こうにはアスフィーが、そしてその奥にスズランが横たわる。他の精霊たちも、それぞれ空いた場所に入っていく。寮生活のリナリアが、この家で泊まるのは初めてだ。早めに外泊許可を取ってずっと楽しみにしてたから、はしゃぎすぎちゃったのも疲れた原因だろう。
お風呂に入ってからずっとキラキラしっぱなしの髪を撫でると、寝顔が嬉しそうにほころぶ。いい夢を見られてるのかな?
「ねぇ、マスター……」
「なんとなく言いたいことはわかるけど、どうしたの?」
「私、リナリアみたいな子供も欲しいです」
どうやら三人目の子供も、頑張らないといけないようだ。
――こうして僕たちの所有物になった島で過ごす、最初の夜が過ぎていった。
次回から歌姫フェスティバル編。
まずは「第3話 カメリアとデート」をお送りします。
お祭り会場で露店巡りをしていた主人公とカメリアの前に……
お楽しみに!