第20話 記念にいかがでしょうか
初めて聞いたリナリアの声は、甘くとろけるようですごく可愛い。舌っ足らずなところも、その印象に拍車をかけてる。耳元で囁かれたりしたら、アスマー動画みたいな雰囲気に浸れるかも。膝枕で耳かきして欲しい……
「あのね、お姉ちゃんって呼んでいい?」
「私をですか?」
「うん、そうなの」
「構いませんよ、リナリア様」
僕から離れていったリナリアが、スズランをお姉ちゃん呼びし始めた。なんとなくリナリアのことを妹っぽく扱ってると思ってたけど、本人もそれを望んでたのか。スズランにもそんな存在ができたっていうのは、ちょっと嬉しいな。
「様はやめてほしいの。お姉ちゃんなんだから、呼び捨てにしてほしいの」
「うっ……わ、わかりました、リナリア。これでいいですか?」
「ありがとうなの、お姉ちゃん!」
うわー、スズランがあんな感じにたじろぐ姿、初めて見たよ。クロウは同じ精霊仲間で呼び捨てにしてるけど、人に対して敬称を使わないのって大事件だ。
「スズランまでああなってしまうとは、歌姫というのは凄いものだな」
「あれは歌姫というより、あの子が持っている資質じゃないかしら」
「お願いがあるの。リナリアもシアちゃんって呼びたいの、ダメ?」
「ダメなことなんてないぞ、私のことは気軽に愛称で呼んでくれ。ダイチとつながりを持ったリナリアは、家族と同じだからな。なんなら、私もお姉ちゃんでいいくらいだ」
「姉が何人もいるとややこしくなるから自重なさい」
「アイリスちゃんも色々ありがとうございましたなの。これからよろしくお願いしますなの」
「年上にちゃん付けなんて……と普通なら怒る場面だけど、あなたに言われるのは不思議と受け入れられるわね。私のことは好きに呼びなさい。もっと楽な話し方でもいいわよ」
「わかったの、アイリスちゃん」
シアとアイリスもなんだかんだで、デレデレになってる。大賢者にもちゃん付けされてたけど、あれは仕方なく受け入れてるって感じだった。でもリナリアに呼ばれてる時は、そんな態度が一切ない。
「クロウちゃん、リナリアを見つけてくれてありがとうなの」
「なーに、それくらいお安いご用だぜ。お礼は一緒のお風呂でいいからな!」
「リナリアの体はお兄ちゃんのものなの。いくらクロウちゃんでも、あげられないの」
「おっ、おう。そら悪かったな。諦めることにするぜ」
「クロウがこんな簡単に引き下がるなんて、リナリアって凄いね」
「そんなことないの。カメリアちゃんのほうが、もっと凄いの。戦ってる姿とか、すごくかっこよかったの!」
「えへへへへへ~。そんなふうに言われたら、ボク照れちゃうな」
なんかもう、すっかり我家のアイドルって感じに受け入れられてる。僕だって当然同じだよ。もうお兄ちゃんって呼ばれた時点で、拒否するなんて選択肢は存在しなかったから。
「お兄ちゃん、あのね……」
「どうしたの、リナリア」
「ぎゅってして欲しいの」
「うん、いいよ。こっちに来て」
近づいてきたリナリアを抱きしめると、僕の背中に腕を回して密着してきた。体に顔をスリスリこすり付けてくるのは、ちょっと猫っぽいかも。とにかく何をやってもこの子は可愛い。仕草や声そして喋り方、存在すべてが萌えで出来てると言っても、過言じゃないだろう。
「ずっとお兄ちゃんが欲しかったの。やっと夢が叶ったの」
「可愛い妹が出来て僕も嬉しいよ。これから仲良くしようね」
カメリアも僕のことを兄っぽく慕ってくれるから、これで二人目の妹ができたことになる。立派なお兄ちゃんになれるよう、これからもっと頑張っちゃうぞ!
◇◆◇
リナリアは家族と一緒に、声が戻ったことを喜びあってる。この光景が見られて、本当に良かった。人魚の涙に関する詳細を教えてくれた土地神には感謝しないと。なにせアプリコットさんですら、一部しか知らなかったことだから……
「色々とありがとうございました、リナリアが元気になって嬉しいです」
「こちらこそお世話になってますから、気にされなくて構いませんよ」
どうやら土地神は迷宮の内部に、干渉できないらしい。だから邪神の蛮行を止められず、心を痛めてたみたいだ。球から外に出られるほどの精気を譲渡したことなど、何度もお礼を言ってくれた。
「それにしても、一度の儀式だけで魂の輝きを取り戻すなんて、驚きました」
「普通はもっと時間がかかるんですか?」
「えぇ、最低でもキスくらいはしていただこうと、思ってたのですよ。それが見て下さい、リナリアの髪から余剰精気がこぼれ落ちてます。少しもったいないですね……」
リナリアの髪が揺れるたびに、光の粒が辺りに舞い散ってたんだけど、あれは精気が可視化されたものだったのか。アイドルはやっぱりキラキラ輝いてるな、くらいにしか思ってなかったよ。
う~ん、リナリアを見つめる土地神の口から、よだれが零れそうになってる。もしかしてすごくお腹が空いてます?
「あのぉ……よろしければ、わたくしとキスしてみませんか?」
「えっ!?」
「ちょっとお腹が……じゃなくて、お礼にです」
言い直した。いま確かに言い直したよ!
それにこの表情は見覚えがある。アイリスが時々やる捕食者の目だ。
「わたくしと口づけを交わした者などおりませんし、記念にいかがでしょうか」
「スタンプラリーじゃないんですから、軽々しくそんなことを言わないで下さい」
「……? よくわかりませんが、いいじゃないですか。減るものではないですし」
減ります。精気がガッツリ減ります。だってあなた、吸う気まんまんでしょ。
「そっ、それより、えっと……そう! 名前、あなたの名前を教えて下さい」
「わたくしの名前ですか?」
みんな土地神って言ってるけど、その人が持つ固有の名前じゃないと、なんか呼びづらい。
「そうです。お礼というなら、名前が知りたいです」
「そんなものはありませんよ。そもそも神などと呼ばれていますが、わたくしは自然の一部みたいなものですので。人の感覚で言うなら、妖精といったところでしょうか」
「そうなんですか……。名前でお呼びしたかったのに、残念です」
「でしたらマスターが付けて差し上げれば、良いのではないでしょうか」
「あら、それはいいですね。お願いしても?」
そんな子供みたいな目で見られたら断りにくい。でも土地の守護者みたいな人に命名するのって、許されることなのかな。まあ、本人が希望してるんだし、考えてみよう。
「こいつはいつものパターンだな」
「なにか凄いことが、おきるんだよね。ボク楽しみ!」
「まったく……土地神とキスなど、不敬はなはだしい。相変わらず人の理から外れた者に、好かれすぎだ」
「下僕の名前好きも、事ここに至るって感じだわ」
僕もなにかおきる気がするけど、こんなに期待されたら応えてあげたい。本人が精霊だって言うなら、名前はウンディーネが一番似合いそうだけど、違うみたいだしなぁ。水にまつわる名前で、なにかいいのはあったっけ……
「ではナーイアスという名前はどうでしょう?」
「全く聞き覚えのない響きですね」
「僕がいた世界に伝わる、水の精を表す言葉なんです」
「まあ! それはわたくしにピッタリではないですか。それではこれから、ナーイアスと名乗ることにしましょう」
土地神が名前を受け入れてくれた瞬間、祭壇全体が眩しく光りだす。
うん、やっぱりこうなったか……
土地神に訪れた変化とは?
次回「さすがはお兄ちゃんなの!」をお楽しみに!
略して「さすおに」。