六章 憤怒。①
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ビリアにあるエリシア騎士団の支所が騒がしくなったのは昼を過ぎる頃だった。
『“魔女の森”で異変を確認。即刻対応せよ』
上から降りてきた命令に従って現場に駆けつけた頃にはすでに今朝に見た“魔女の森”の様相とは大きく異なっていた。
一部のスモークがなくなり、スモークに覆われている部分でもまるで山自体の形が変わったかのように歪な状態にスモークがかかっているところもある。
非常事態ということでたまたま駐在していた“パラディン”の同行の了承を得て、いざ“魔女の森”に入り、スモークの晴れていた部分までたどり着いた時には驚いた。
「……なんだこりゃ」
大きく広がる山には似つかわしくない平地は大きく地面が抉り取られ、周囲の木々は何かに切り裂かれたような跡が無数に残っている。地面にこびりついた赤黒い血の跡は見渡せば点々と存在し、その熾烈さを俺たちに伝えていた。
「救助班、生存者だ! 早く治療しろ!」
血の跡の数と異なり、一目見て倒れているのは二人だけだ。少なくとも騎士団の人間ではなく、おそらくはどこかのギルド員だろう。
「こりゃまた派手に暴れたもんだ」
後ろから発せられた野太い声が上から降ってきた。後ろを振り向けば長身で体躯の良い全身がそびえている。背中に背負っている大剣が小さく見えてしまうほどに彼の体は大きい。
「モーガン将軍。同行していただいてありがとうございます。どんなやつらがやったんだか……見当もつきませんね」
俺の言葉を無視してモーガン将軍は戦闘があったとみられる巨大なくぼみまで歩いていく。無視されたことに若干いらだちを募らせながらも口に出すようなことはしない。黙って後ろをついていった。
「お前、これが人間の仕業だと思うのか?」
全体の惨状をゆっくりと見まわしながらモーガン将軍は問いかけてくる。その言葉には若干嘲笑するような意味が含まれている気がした。
「え? いやそりゃ、誰かがやったのでは? 魔女が暴れたとか……」
「……そうかもな」
モーガンは抉られた地面を再び注視する。プレストにいるときに“噂”は何度も耳にした。アーダントが血眼になって探している“魔人”の二人組のことを。
たかだか二人の魔人に何をそんなに執着しているのかわからなかったモーガンだったが、戦闘の跡を見てそれを理解し、確信した。
「面白そうだ」
そう一言だけ残して彼はすぐに踵を返すのだった。
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「死んだ……? ハイリが、か?」
「……まだ決まったわけじゃない」
ハンズの顔を直視することができなかった。
アーダントの首都、グランザードに帰還した俺は一連の経緯をハンズに報告している。エリシア騎士団の救護のおかげで無事回復し、王都に搬送された俺は数日の休養の後に騎士団へと召致された。
正体不明の化け物との戦闘のこと。その戦闘でハイリが行方不明になってしまったこと。詳細に話せば話すほどハンズの表情は暗くなっていった。
「……以上だ」
話し始めた時には相槌を入れていたハンズが全てを話し終えた頃には消沈していた。目から光が消え、絶望感に染まった表情と力の抜けた肢体がだらりと垂れている。
任務中の死亡は当然珍しい話ではない。騎士団への入団の際に結ぶ入団契約書にはその旨が記され、同意の上で皆入団し任務に就く。しかし覚悟をしたとはいっても心の中でどこか他人事のような感覚は残るもので、現実味のなさがそうさせてしまうのだ。
「……な……けな……った?」
まるで消えてしまいそうな小さな声は内容を伝えるには不十分な声量だった。思わず聞き返してしまいそうになるが、俯いてもなお明確に見えるハンズの絶望感は込みあがってきた言葉を自然と喉の奥へと追いやっていく。どんな言葉をかけたとしても、何も解決はしてくれないだろう。
なにかをぼそぼそと呟き続けながら、だらりと垂れていた両手が徐々に握られていく。握りしめられた拳が震え、震えは徐々に全身へと伝染していった。
「なぜ助けなかったぁ!」
ハンズが振り上げた両腕が目の前にあった木製の机を叩く。凄まじい音を立てて粉々にはじけ飛んだ机と舞い上がった書類には見向きもせずに、そのまま跳ね上がるように立ち上がったハンズは俺に向かって突進し、拳を突き出していた。
風魔法によって急速に加速した身体は身に着けている鎧の重量も相まって、本来の人ひとりの重さよりもはるかに重い。突然のことに両腕を目の前で交差させなんとかハンズの拳を受け止めるが、病み上がりの身体ではその勢いを殺すことはできずに、そのまま騎士団長室の扉を突き破り、そのまま廊下の壁さえも突き破った。
建物の三階から身体が宙に放り出される。しばらくの不快な浮遊感を味わった後に、俺は固い地面に叩きつけられた。
叩きつけられる直前に纏った風魔法によってなんとか身体へのダメージを抑えられたが、そのまま馬乗りになっているハンズが再び拳を振り上げたのを見て咄嗟に身体を捻る。
遠慮なく次々と顔面に向かってくる拳をどうにか躱し、身を捩って足を自分とハンズの間にねじ込んだ。そのまま力を入れ、ようやくハンズを引き剥がすことに成功する。一定の距離を取り、肩で息をしているハンズを見据えた。
「貴様ならば逃げられたのではないのか! 敵を見て実力は判断できただろう! なぜ戦おうと考えた!」
息がきれていることも三階から落ちたことも気にせずにハンズはそう捲し立てた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔は痛々しいまでに悲しみを帯びている。
なぜ逃げなかったのかーーそう言われて妹のアリアの顔を思い出す。いや、アリアがいなかったとしてもハイリを逃がせただろうか。仮にあの場で逃げたとして二人を守りながら逃げ切れていただろうか。
戦いで負った怪我を治していたこの数日間、何度もハイリが吹き飛ばされた光景が脳内にこびり付いて離れなかった。何度も何度も後悔し、もっとできたことはあったのではないかと自問自答を繰り返した。
確かに俺にも落ち度はある。しかしだ。目の前にいるこの男は何かしたか? ただ無能な騎士団員二人を体の良い監視役として付けただけではないか。俺だって好きでハイリを見捨てたわけじゃない。なぜそんなやつにここまで俺が言われなければならないのか。
考えれば考えるほど怒りがこみ上げてくる。そして次には自然と言葉となって叫んでいた。
「俺だって好きで見捨てたわけじゃねぇよ! てめぇこそ何もしてないくせに偉そうに物いってんじゃねぇぞ!」
俺の言葉にハンズは瞠目し、硬直するが長くは続かなかった。悲壮に満ちていた表情が今度は憤怒の色を示す。
「な、なんだと……貴様もう一度いってみろ!」
「何度でも言ってやるよ。呑気にここで書類に目通してじっとしてたやつに責任どうこう言われる筋合いはないっていってんだ。そんなにてめぇの息子が大事なら付きっきりでおもりでもしてろ。まぁそれももう――」
できないがな――と言いかけてさすがに自制心が働く。すでに立場を無視してかなり言いすぎてしまっているが、この言葉はあまりにも攻撃的で訃報に近い報告があった人間に言ってよい言葉ではなかった。
しかし吐いた唾は飲み込めない。俺が言いかけた言葉は容易にその先を予想することができ、ハンズの憤怒の表情に拍車がかかる。
「貴様、言わせておけば!」
そういったハンズはいよいよ腰に提げていた剣に手をかけた。ハンズなりの自制の証だったそれを鞘から抜き去り、風魔法の加速とともに俺に切りかかる。
当然対応するために俺も剣を抜き、ハンズのそれよりも細い刀身が斬撃を受け止める。感情に任せて雑に振り下ろした一撃には普段のキレはなく、まるで剣術を習い始めたばかりの子供のように思えた。
鍔迫り合い越しにハンズの顔が見える。相変わらず憤怒に染まっているのは変わりないが、根底に見える悲壮感がさきほどよりも色濃く見えた。その表情を見て少しの後悔と罪悪感が湧き出す。
「クライス卿、そのへんにしてください」
さらりと長い真っ赤な髪が宙に舞っていた。突然俺たちの隣に現れた細身の長身の男が俺とハンズの剣を弾き飛ばし、俺の腹に蹴りを入れた。腕に入れていた力が解放されたことによってバランスを崩した俺は蹴りに反応することができずに、激痛を伴ってなすすべなく飛ばされる。
「アドミラル卿……」
「騒ぎを聞きつけて駆けつけてみればなんですかこれは。騎士団敷地内での真剣の抜刀は原則禁止されています。当然、ご存知ですね?」
アーダント国パラディン序列二位――アドミラル・ディリング。アーダントで二番目の強者であり、十年前の大戦で力を認められ一躍有名になった男だ。アドミラルの言葉にハンズは生返事とともに力なく頷いた。ハンズを一瞥した後、ゆっくりと俺の方へ歩き始める。
「フランク・ノーランですね。状況から察するにあなたの正当防衛が認められそうですが一応両者の聴取が必要になります。失礼は承知していますが、規則ですのでしばらく拘束させていただきます」
そういってアドミラルは辺りを見渡し、数人の騎士見習いを呼びつけた。これまでハンズのことで手一杯で周囲の状況を全く把握できていなかったが、俺たちを囲うように騎士見習いたちが模擬剣を片手に円を作っていた。
魔法の練習でよく使われる移動式の的に、空間の隅に設置された小さな小屋、ぐるりと一定の距離で円形に描かれた模擬戦用のしるし。どうやらここは騎士団の野外訓練場らしい。
「この者を第三抑留室へ。聴取は私が行います。くれぐれも手荒な真似はしないように」
腹に蹴りを入れておいていう言葉か。抗議の意思も込めてアドミラルを睨むが気にする様子はない。そもそも気づいてないのだろうか。多少怯えた様子の見習いの二人が俺の付き添いらしい。そのうちの一人が先導し、促されるままその後ろに続く。すっかり項項垂れてしまったハンズを一瞥し、俺は訓練所を後にした。
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じめじめとした重苦しい空気はまさにこういった独特の空間でした味わえないものだ。簡易的な排泄物を入れる容器と木製の寝床に、最低限の洗面用具が備え付けられた台のみが室内には備え付けられていた。
ガチャリと入口の扉が閉まり、鍵をかける音が聞こえる。コツリコツリと響くのはここまで付き添いを命じられた二人の見習い騎士の軍靴と石畳が立てる音色だ。
抑留所と呼ばれるここは犯罪者や問題行動を起こした人間が一時的に入れられる場所であり、数回入れられたことがある。ギルドに所属している人間であれば少なくとも一度はお世話になる。
特にできることもすることもない。部屋の隅に開けられた小さな窓は鉄格子によって外界と隔離され、そろそろ真上に到達する太陽を写している。
どれくらいそうしていただろうか。ベッドに腰かけて窓から見える太陽を眺め続け没頭していた俺の精神を現実に連れ戻したのは、抑留室の入口付近の鉄格子の子気味の良い音だった。
音のした方に目を向けると綺麗なドレスに身を包んだ女性が立っている。年齢はどれくらいだろうか。大人びて見えるが少し年下くらいにも見える。真っすぐな金色の長い髪は腰付近まで伸びており、丹精な顔立ちをしているがその中でも眠たげな半眼は特に目立っていた。
「聴取はアドミラルってやつがするって話だったと思うんだが」
明らかに場違いな彼女の突然の登場に少し困惑しつつも、沈黙を続けていても良いことはない。まさか抑留室の管理人ということはないだろう。見た目だけでいえば貴族の令嬢といえるが、こんなところに一人で来ているところを見るとその可能性も否定したくなる。
「あなたがフランク・ノーランですか?」
透き通るような綺麗な声はまるでこちらの思考をすべて見通しているかのような印象を受けた。身に着けているものだけでなく、声でさえもこの場にふさわしくないと思ってしまう。厳かな印象を与えるその声は俺の問いかけに応えることなく、有無を言わせぬような表情とともに俺へ返答を促した。
「ああ、そうだ」
ほんの少しだけ、彼女の眉間が歪んだ気がした。ほとんど変わっていない表情で俺を見極めるように視線を固定する。穴が開くほど見続けた後、彼女はようやく口を開いた。
「……ハイリ、ハイリ・クライスのことについてお話してください」
今の俺に用事があるとすればそれ以外にないだろう。しかし見るからに身分の高そうな見た目のこのお嬢様が、一騎士団員であるハイリのことを聞きたがるのは一体どういう経緯なのだろうか。
「理由を聞いても?」
「許しません。これは命令です」
命令ときたか。だったら俺としても断ることはできない。このお嬢様が今回の一件に関して経緯を聞く権限があるかどうかは不明だが、少なくとも堂々と抑留室に入り見張り番がなにもいってこないところを見ると話しても問題ないのだろう。
「報告書を提出したはずだが?」
少し意地悪を言ってみる。話相手ができたと考えれば悪くはないが、彼女が俺に好意的であるかどうかわからない。ハンズのようになってしまう可能性もあるわけで、できることならそういうことは回避しておきたい。万が一にも刑務所に入れられるような結果だけはごめんだ。
「……騎士団の報告書は信用できません。改竄は日常的です」
意外な回答だった。ということは彼女は騎士団の報告書を日常的に読んでいることになる。最初はただの貴族かと思ったが、ただの貴族が日常的に騎士団の報告書を読むことはできない。報告書の閲覧権利は騎士団の中でも一部の権力者にのみ許される。
改めて彼女の全身を見渡した。年齢は俺とそれほど変わらなさそうで、体格や服装を見ても腕の立つ武人か魔術師で若くして昇級、というわけでもないだろう。それでも騎士団内の報告書を自由に閲覧できる人物、必然的に答えは絞られた。
俺は小さく息を吐くと、今回の経緯について口を開いた。同行したメンバーの話から始まり、道中でシャドウと一騎打ちをしたこと、魔女の森で起きたこと。ただアリアのことだけは話さなかった。このことは騎士団に提出した報告書にも書いていない。
目の前のお嬢様――改め"お姫様"はどうやらハイリに興味があるようだったのでハイリのことを重点的に話していく。道中での様子や体調、そして俺が最後に見たハイリの状況。彼女はときどき質問を挟みつつも、静かに俺の話を聞いていた。
「……ということはまだ死亡は確定していないのですね?」
「ええ。相当大きな怪我を負った上で、魔法の使いづらいあの森で、何日も生き延びることができるならまだ生きているでしょうね。少なくとも俺はハイリの死亡を確認していません」
こういうとき安易に希望を与えるべきではない。彼女がハイリの生存を望んでいることは明らかだが、限りなく低い可能性にしがみつきこの後の行動や方針を大きく変えてしまうようなことがあってはならない。俺はそうして破滅していった人々に腐るほど心あたりがある。だからこそこれまでの経験からくる感想と、死亡を確認していないという事実のみ話す。それでも考えていたより甘い言い方になってしまった。
厭味ったらしい俺の言い方に彼女の表情が少し動くが、言葉には出さない。
「それが聞けただけで十分です。ありがとうございました。釈放に関しては迅速に行うよう便宜しておきます」
「おい、ちょっと待て。変な気は起こすなよ」
踵を返して足早に抑留室から去ろうとした彼女に俺は忠告をする。アーダント国第二王女アーニャ・アーダント。アーダントが王国ではなくなって間もない頃――といってもほんの半年ほど前だが、王家の権限をどれくらい残すのかで議会は昼夜を構わず激論を繰り広げた時期がある。この時期は世の中のあらゆるものが混乱し、街中は嫌というほど議会の話題でもちきりだった。
王家を完全なる"象徴"とするべきだという革新派と、王家の権力は一部で残すべきだという保守派に別れ、その権限の範囲を事細かに議論する。その中でも国家の治安維持に加え、国の力そのものである騎士団の管理権限に関しては議会の結論は平行線をたどった。
革新派の言い分としては武力である騎士団の権限を王家に残しては何のための民主化かというもので、一方の保守派からは王家以外の者が指揮権を握れば騎士団全体の士気がさがり、組織としてなりたたなくなるというのが両者の主な主張だった。
最終的な結論としては当時の"パラディン"の中でも王家への忠誠心が高く、騎士団からの人望も厚かったハンズが騎士団長兼長官となり、その監視役として自ら手を挙げたのが目の前の第二王女であるアーニャ・アーダントというわけだ。
議会制の導入を"押し通した"張本人である元国王アレス・アーダントがだんまりだったこともあり、折衷案として挙がったこの案は両派閥ともそれなりに納得いく結論となった。
表向きはハンズの方が高官になるが実質的な騎士団の実権を握っているのはアーニャだ。いくら民主化が王自らの意志だったとしてもそう簡単に移行することはできないでいる。相変わらず絶大な求心力を発揮する王家の血に革新派は手をこまねいていた。
そんなわけで目の前にいる彼女はアーダントの騎士団を自由にできるだけの権限を持ち、ハイリの捜索を騎士団を挙げて行うことだってできてしまう。
「そのようなことはいたしません。どのみちエリシアの領地に騎士団を派遣できませんし、それほど愚かではありません。エリシアがそれを許すには相当の対価が必要でしょう。それに……私はハイリがまだ生きていると確信しています」
俺に向けられた力強い視線はどこか不思議な魅力とともに少しの怒気と確信を含んでいた。一瞬だけ向けた視線をすぐに外し、アーニャは今度こそ抑留室を出ていくのだった。
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外に出たとき日はすでに落ちていた。上流区画に存在する高所得者向けの商店が賑わいを見せており、いつも通りの盛況具合だ。普段下流区画で生活している身としてはあまりここに良い思い出はないため、さっさと帰ってしまいたい。
今でこそギルド”デトラ”の知名度は高く、絡まれるといったことは少ないが、数年前まではそういう警戒もしなければならない程度に俺たちへの風当たりは悪かった。預けていた馬を受け取り、姿勢を正して騎乗する。厩舎から正門側に回り、"デトラ"に戻ろうとしたとき、正門の前で後ろ手に腕を組んでいた人物に俺は足を止めざるを得なかった。
「今日は申し訳ありませんでした。騎士団長がご迷惑をおかけしました」
顔に張り付いた笑顔から漂う胡散臭さといったらラット以上のものを感じる。肩まで伸びた真っ赤な髪を夕風に漂わせながら、アドミラルは少しだけ頭を下げた。
「気にしちゃいない。それに謝罪はさっきしてもらった」
聴取が終わった際、アドミラルは俺に一言謝りを入れた。わざわざここまで来て俺に言うことではない。おそらく要件は別にあるのだろう。
「いえね、フランク殿は今日姫様とお話しになられたと聞きまして。そのことで伺わせていただきました」
そういうとアドミラルはギリギリまで距離を詰めてきた。聞かれたくない話ということか。
「今日姫様と会ったこと、話したことすべて他言しないことを約束していただきたい」
正門にいる二人の門番に聞こえないように声を潜めて話すアドミラルは、笑顔を崩さない。しかしその眼の奥にあるなにかには有無を言わさない威圧感がある。聞きたいことは色々あるがなにが原因で怒りに触れるかもわからないため、俺はおとなしく首を縦に振った。
「ありがとうございます。あなたが聡明な方で助かりました。それともう一つお願いがありまして」
「……なんだ?」
「ハイリ・クライスの捜索をお願いしたいのです」
まぁ姫様の話がでた時点でそんなことではないだろうかと思った。あの第二王女からの命令だろう。アドミラルの口ぶりからするに普段から第二王女と懇意なようだしな。
「どのみち俺はギルドを通して名指しで依頼されれば、ラットが癇癪を起こさない限り断れないぞ」
「それはそうなんですが、お察しの通りあまり表立ってハイリ・クライスの捜索をしたくないのですよ。騎士団からギルドへ依頼したという記録も残したくないのでね。報酬もそれなりにご用意させてもらいますよ」
苦笑を浮かべながらアドミラルはそういった。理屈はわかる。抑留室で直接言わずにわざわざアドミラルの口から、それも周囲にばれないように依頼を出してきたということは騎士団がハイリの捜索を行うことはないということだ。これは当たり前のことではあるのだが、あの第二王女の反応を見て俺は少し心配だった。
「デトラへの根回しは私の方でしておきますので、無理は承知ですがどうか引き受けていただけないでしょうか?」
異常なまでにハイリ個人にこだわる第二王女。これでなにもないはずがないのだが、そこに口を出すのは間違いなく余計な一言になる。騎士団にとってどれだけハンズが要人であるかがよくわかるな。
どちらにせよ俺には関係のないことだ。もし本当にハイリが生きているのなら俺だって助けてやりたい。道中で約束もしたしな。それになによりアリアだ。俺からしてみればラットに頼み込んででもエリシアに行きたいところだったのだから、アドミラルからの提案はこれ以上にない都合の良いものだ。俺に断る理由はなかった。
「わかった」
「ではこちらを」
まるで俺の回答を予想していたかのように、アドミラルは間をあけずに外套の内側に手を入れ、魔力結晶を取り出した。騎士団で支給される遠距離でも会話のできる高性能な魔力結晶だ。アドミラルの動きに合わせて魔力結晶は手の平で転がっている。
「本来騎士団の外部の人間には渡しませんが今回は特別です。何か進展があったら連絡してください。もっとも出られないことも多いでしょうがあしからず」
無言のまま魔力結晶を受け取る。魔力を少し流してみると内部の媒体が淡い青色に染まった。
「よろしくお願いしますね」
その一言を最後にアドミラルは踵を返し、正門をくぐって上流区画の方に消えていった。ハイリに関しての情報は”魔女の森”でのことのみ。トラウマになりかけているあの場所にもう一度いかなければならないと思うと憂鬱な気分になるが、アリアのことを考えればなんてことはない。
正体不明の化け物につけられた傷を撫でながら、俺はようやく岐路についたのだった。