五章 思惑。①
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「まだ話はつかないのかい?」
絢爛な部屋に響いた声はどこか気だるげな声だった。大きなソファーに腰かけたその女は高価なドレスを身に着け、大部分が露出した足を綺麗に組んでいる。
「アンカ、そういうな。私にだってどうしようもできないこともある」
一方の男は窓際の日当たりの良い位置に設置された椅子に座っており、肘をついたその机の上は書類で占領されていた。眼を閉じ、女に負けず劣らずこちらも険しい表情を作っている。
「パダム、あたしだってあんまり長引くと困るんだよ。エリシアへの経済協力にも程度ってもんがある」
いらだちを募らせた声色が表情を曇らせ、その美貌を歪めるアンカと呼ばれた女は悪態をつく。
「馬鹿を言え。まだ儲けの方が多いはずだ。ファントとの戦争でどれだけ稼がせてやったと思っている」
怒気を含んだパダムの言葉にアンカは黙り込む。反論が出てこないのはパダムの言ったことが事実であるという裏づけだ。部屋の中に流れる静寂は扉が叩かれることで終了した。
「入れ」
「失礼します」
扉が開いた先にいたのは腰から剣を下げた長身の男。大人びているにも関わらず、切りそろえられた前髪が少し幼さを感じさせる。
「パダム様、ご報告です。よろしいですか?」
パダムに話しながら、横目でアンカをちらりと見やる。その眼付はお互いに穏やかなものではなく、睨みあうような状態だ。
「構わん。キース、続けろ」
「はっ。ハイリ・クライスの一件は成功、しかし魔人どもの処分はまたしても失敗。それと……”魔物”を、確認したそうです」
キースが最後に付け足した言葉にそれまで無表情だったパダムが瞠目する。自分の表情の変化に気づいたのか、すぐに元の表情に戻すが、アンカの目から見てもパダムの動揺は簡単にわかっただろう。
「……そうか」
机に乗せていた肘を離し、背もたれに体重を預ける。深く吐かれたため息は緊張を含んでいた。ただならぬ雰囲気にアンカは首をかしげるが、一応部外者のため詮索するようなことはしない。
「急がなければならない」
唐突にパダムがそういった。事態の全容を理解できていないアンカは顔を顰め、パダムの意図を理解できたキースは沈黙によって共感し、肯定する。
「引き続きハンズに調査を続行させろ。それとハンズの様子は逐一報告しろ。任務に支障がでるようなら交代させる」
「は! 了解しました!」
綺麗な敬礼とはきはきとした返事は聞いていて気持ちの良いものだ。数秒の間頭の横で維持した手を降ろし、キースは左手に持っていた紙をパダムに差し出した。
「それからこれを。今回の詳細な報告書です」
「ああ、ご苦労」
渡された書類の束をパダムは一枚ずつめくっていった。膨大な情報量の中から必要なものだけ抽出し、瞬時に自分のものに吸収していく。役人として長年培ってきたその能力なのだろう。
その中の一枚、大量の書類が終わりに差し掛かった頃、パダムの手がピタリと止まった。その書類には黒髪の青年と黒髪の少女――フランクとアリアが描かれていた。
「……ククク、これはもはや運命すら感じるな。神のお告げ、か」
今度ばかりはキースもアンカと同様に首を傾げた。パダムが一体何について笑っているのか、二人には理解ができない。そんな二人の様子を気にすることはなく、パダムは言葉を続けた。
「キース、ガロッシュとリーチャ―に経過を報告するように連絡しろ。至急だ」
「は! 了解しました!」
再び敬礼と返事をし、今度はすぐに踵を返し部屋を後にした。残されたアンカは直感的に話の内容が穏やかではないことを理解し、キースの後を追うべく立ち上がる。ここに長居するべきではない、彼女はそう感じていた。
「じゃあねパダム。また来るよ。取引は迅速によろしく」
「アンカ」
立ち上がって足早に部屋を出ようとしたアンカをパダムは呼び止める。なんとなく予想していたアンカは心の中で悪態をつきながら振り向いた。
「引き続きよろしく頼む」
パダムが浮かべていたその不敵な笑みを見て、この契約を交わしたことをアンカは後悔した。甘いリンゴに見えていた果実の実態が実は毒入りであったという可能性を見てしまったのだ。自分の判断ミスの可能性を心の中で嘆きながら、アンカはパダムに返事をすることなく部屋を出た。
残されたパダムは誰に言うでもなく呟く。
すべては、人類のために――。