四章 魔女。③
もの言いたげな顔をし、先を促してくる彼女だが決して言葉にはしない。あくまで俺が話始めるのを待っていた。今はまだ敵対している状態で”始祖魔法”について簡単に話すと思っていないのだろう。それは自殺行為と大差がないからだ。
「簡単に言えば”足りてない”んだ。魔力の量も質も、術式も」
だからたったそれだけ、しかし彼女たちにはこれで十分だろう。そこから先は彼女たち自身の仕事だ。努力し、いつか完成させてほしい。そしてまた俺に期待させてくれ。
「しかしよく防げたな」
「私も魔法には自信があります。いや、ありました。特に防御魔法は得意分野だったんですけどね」
三人がかりとはいえ”始祖魔法”を防ぐことは難しい。彼女もまた優れた術者であることは間違いない。
「わたしとリザの固有魔法とディアの最上級魔法。あとこれを使ってギリギリでした」
そういって差し出した彼女の右手にはエンドパーツが砕けたネックレスがあった。見たところ魔法道具だ。
「これは?」
手に取って確認する。あまり知識がないためわからないが、相当に高価なもののようだ。具体的な効果はわからないが口ぶりからするに防御系のアイテムのだろう。これが噂の魔法道具か。俺たちが今回ここにきた目的であり、グルードとしてはなんとしても手に入れたい代物だ。
「仲間が作った魔法道具です。実験的に持っていたのですが命を救われるとは思いませんでした」
俺の情報が筒抜けになっていることを考えると、俺たちがここに来た目的もすでに知っているだろう。”協力者”との連絡手段がない状態でそもそも交渉になるのかどうかすら怪しいが、ダメ元でもやってみよう。
「それで? ”魔女の館”には連れて行ってもらえるのか?」
「ええ。フィナさんもそこにいます。ご案内します」
そういうと彼女はディアと呼ばれた少女を担ぐ。俺と戦っていたお面の女――リザの方をじっと見つめると申し訳なさそうに俺に言ってきた。
「申し訳ないんですけど、この子運んでもらってもいいですか?」
▽
「これが?」
「これです」
「……本当に?」
「本当です」
戦っていた場所から少し山を下ったところ。案内された場所は昨日探索した深い峡谷の崖際だった。足を踏み外そうものなら谷底まで一直線だ。
”魔女の館”というくらいだから、相当立派な建造物が出てくると思いきや、まさかの大自然である。
「そもそも誰も見たことがないはずなのに”魔女の館”と呼ばれていることを不思議だと思いませんか?」
言われてみてはっと気づく。その通りだ。そもそも誰も知るはずのない情報がなぜ当たり前のように信用されているのだろうか。魔女が七人、魔女の館がある、魔法道具[マジックアイテム]がたくさん存在する、など情報源がまったくないはずのことが多すぎる。
「……固有魔法か」
「私もそう思うんですけど、本人曰く違うそうです。彼女が言うには“真実を混ぜることが大事”だそうですよ。行きましょうか」
そういうと彼女は慣れた足取りで崖を降りていく。器用なもので一見足場には見えないようなところを選んでは、次の足場へと歩を進めていった。
そして谷底につく。昨日は下まで降りてくることはなく、上からスラックの魔法探知で調べたが地図におかしいところはなかった。
そのまま降りてきた方とは逆側の壁まで歩くと手を翳した。壁の一部がぐにゃりと歪み、一つの大きな洞窟が現れる。何事もなかったかのように中に進んでいく彼女についていきながら、中の構造を観察するといわゆる鍾乳洞と呼ばれる洞窟だった。
魔法道具で頻繁に使用されるクリスタルの原料となる鉱石がむき出しになって淡く光っている。それは幻想的でほかの光源がないため、非常に綺麗だ。
しばらく奥へと進んでいくと炎による黄色い光が見えてくる。
「おお……」
思わず口から漏れたのはその光景が予想以上のものだったからだ。目の前に広がる巨大な空間に配置されている物の全てがクリスタルを材料に使われ、炎に照らされ輝いている。
入口の真正面に置かれた巨大な椅子はまるで玉座のようだ。歩くたびにコツコツと音を立てる床もどうやらクリスタル製らしい。
両脇にいくつか付けられている木製の扉はその空間には異質なものとなっており、違和感となっていた。
「とりあえずこの子達を降ろしましょうか」
そういって彼女は入って右側の木製の扉の一つを開ける。中は神秘的とは真逆で生活感であふれており、ちらばった洗濯物や書類の山がそれを加速させていた。
「おー、グローア。お疲れさん」
「あ、エースだ」
仲睦まじげに話していたのはフィナと、額にゴーグルをかけた女性だった。フィナの反応に少し言いたいことがないわけではないが、今は目をつぶろう。
「ありがとうティーナさん。ベッド使わせてもらいますね」
部屋に並べられている三つのベッドの二つにリザとディアを寝かせる。部屋を見渡せばいたるところに作りかけの魔法道具がある。どうやらティーナと呼ばれた彼女が作っているようだ。
二人をベッドに降ろし,三つ目のベッドに腰かけているフィナの隣に座る。それと同時にティーナが俺に向き直り、頭を下げてきた。
「リザのわがままに付き合ってくれてありがとう」
雰囲気が良すぎて忘れそうになるが、彼女たちはフィナをいきなり攫ったのだ。ただ、世の中から孤立している彼女たちは俺たちをだましたとしても得られるものはない。”目”で見ても悪意は感じられないし、フィナの様子を見るに信用してもよさそうだ。
「いやいいんだ。俺も嬉しかった」
これは本音だった。”始祖魔法”を使える人物に会えただけでもここに来た価値がある。俺の欲求を一つ満たしてくれた。
「じゃあもうこれはいらないね」
ティーナはそういうとフィナの両手にかかっていた手枷を外す。これがフィナを封じていたであろう魔法道具だということはなんとなくわかったが、フィナが破れないとなると相当やっかいな道具だ。
「ん。ティーナありがと」
外したばっかりで違和感があるのかフィナは手首をさすっていた。跡が残らなければいいんだが。
「無事だったか?」
半分嫌味で言ったが、どうやらあまり理解してもらえなかったらしい。俺の言葉にしばらく呆けたあと破顔してクスクスと笑い始めるフィナ。ひとしきり笑ったところで俺に向き直る。
「今更聞くの? ……でもありがと。なんともないよー」
フィナなら大丈夫、そう思ってはいたもののこうやって顔を見るとやはり安心する。フィナの笑顔を見て自分の頬が緩むのを感じるが、フィナにばれる前に俺はティーナに向き直った。
そしてもう一つの本題を俺はティーナに話始める。魔法道具を譲ってもらえないかという交渉だ。あらかじめフィナが話してくれていたようで、内容を理解してもらうのは難しくなかった。
「ああ、かまわないぞ。見繕ってやる」
帰ってきた予想外に好意的な返事に俺は呆気にとられる。さぞかし間抜けな顔をしているだろう。完全にダメ元だと思っていた分良い意味で裏切られた。そして俺の表情を察してか、彼女は続ける。
「もちろん普段なら絶対に渡さないが、私たちのボスからの命令だからな」
ということはやはり過去にもここまで辿り着いたやつはいるということだ。そして魔女たちのお眼鏡に叶うことはなく、記憶を抜かれて返されたのだろう。
「ボス? ”魔女会”にもリーダーがいるのか?」
てっきり完全に個人の集団だと思っていたが違うらしい。ということはここにいる魔女たちは自らの意思で来たわけではないのだろうか。
「ああ、君たちには絶対教えるなと言われているから言えないがな」
「なぜだ?」
「さぁ? 理由はしらん」
「なんだそれ」
俺に正体を隠す理由はなんだ? 過去にあったことがある人物なのだろうか。それとも全くの初対面なのか。いや、冷静に考えれば名指しで国から追われている人物にあまり接触したくないというのは当然か。
とにかくここで無理に聞き出す理由はない。俺がリーダーの正体について考えている間にティーナは部屋に散乱している魔法道具の中から一つ持ち出してきた。
「これをやる。グルードが欲しがるものにピッタリだ」
一見、ただの魔力結晶に見えるが通常のものと大きく違うのは、クリスタルの上部に空いた大きな穴だ。魔法道具に関しては俺も疎いので詳しいことは帰ったらカミラに聞いてみよう。
「効果は”一定範囲内の生物の運動機能を低下させる”だ」
こんな見た目でとんでもない代物だった。”一定範囲内”と”運動機能の低下”というのがどの程度を指すのかわからないが、その程度によっては非常に強力だ。
「まぁそれ失敗作なんだけどな」
「え?」
「運動能力下げるだけだし、そもそも個体によっては効かないんだ。しかも発動するのにいる魔力量がすごーく多い。具体的な効果は実際に使ってみて確認してくれ」
下げるだけだし、というがそれだけでもかなり強力だ。しかしこの魔女はさらに上を目指しているらしい。やっぱり返せ、となっても困るので何も言わないでおこう。
「ありがたく貰っておく。ありがとう」
受け取った魔力結晶は通常のものと重さは変わらない。これなら持ち運びも問題なさそうだ。
「じゃあもう用事は終わったな。早く戻った方がいいぞ」
「なぜだ?」
「お仲間がピンチだ」
そういって机の中からティーナは机の中から別の魔力結晶を出してきた。そこに映し出された光景をみて、俺とフィナはすぐに部屋を飛び出すこととなる。
▽
”エースはすごく強いんだよ”――フィナちゃんが言っていた通りだった。突然目の前に現れた骸骨を相手に互角以上に渡り合っていたエースさんに私はなにもすることができず、ただ立ち尽くしていた。
私だけじゃない。グルード内で言えば戦闘能力の一番高いチャンやスラック、普段なら無謀に戦いに挑んでいくライトでさえ、おとなしく傍観するしかなかった。
強いなんてもんじゃない。戦っている"場所"が違ったのだ。今ならスラックが危険を冒してでも仲間にしたがった理由がわかる。味方でいてくれればこれ以上に心強いことはない。
だからこそ、アーダントで受けてきた仕打ちを聞いて、心が苦しくなってしまう。
「うっそだろ……」
隣で瞠目していたライトがつぶやく。詠唱なしで発動された土属性の最上級魔法は、いとも簡単に骸骨の攻撃の手を止めてしまった。
危なげのない戦いは、フィナちゃんの魔法によって幕引きとなった。その光景に呆然とするしかない私がフィナちゃんの悲鳴に反応できるはずもなく、後を追ったエースさんに任せるしかなかった。
「強いとは聞いていたが、まさかこれほどだったとは……」
巨大なへこみの中央でバラバラになった骸骨を見ながら、そうスラックがつぶやいた。彼らがこれほどまでに強いということを、スラックでさえ知らなかったんだ。
「トンデモナイネ」
皆気持ちは同じだった。圧倒的な力で骸骨を倒してしまった二人を少なからず”怖い”と思ってしまうのは生物としての本能だろう。
だからこそ、二人のいなくなってしまったこの状況で。目の前に現れたそいつに、私たちは絶望してしまう。
「あらあら、なんと情けないことですこと」
ぞわりと、また背筋が凍り付いた。さっき感じたものよりも強く、不快な嫌悪感。正体を確認するまでもなく、なんとなくわかってしまう。蒼白な肌に蛇のような目、身に着けている特徴的な服は東洋のものだ。
そしてやはりというべきか、その頭に生えている角が少なくとも私たちの味方ではないことを表していた。
そしてこちらに目をくれることもなく、へこみの中央まで歩いていく。散らばった骨の前で立ち止ると、彼女はそれを”食べはじめた”。
強靭な歯で骨を勢いよく噛み砕いていく様子はまさに獣そのものだった。時間をかけて周囲に散らばっていた骨をすべて平らげたとと同時に、彼女の骨格が変形し始める。
本能が逃げろと叫んでいるが、恐怖で足が固まっている。スラックやチャンはやる気だ。戦っても勝てないことは二人もわかっているはずだが、逃げることすらできないと判断しているのかもしれない。
変形が終わるころにはもとの女性の面影は完全になくなっていた。少しだけ伸びた身長と、角と同じくらいの長さの牙。青白かった肌は見る影もなく消え去り、その色は真っ赤に変わっていた。
そしてその形相はまさしく”鬼”そのものである。
「我が名は伊弉冉。以後よろしゅう」
言い終えるのと同時にイザナミの姿がくぼみの中から消え、私たちの目の前に現れる。そして次の瞬間にはいつのまにかイザナミの腰についていた鈴がなった。
直後に凄まじい衝撃波が私たちを襲う。なすすべなく吹き飛ばされたのはスラックとチャン以外の私を含めた五人。宙を舞った私の体は何度か地面で跳ねた後、木にぶつかってようやく止まる。
苦しい。叩きつけられ、息が詰まる。血の味もする。口の中を切ってしまったようだ。
「あら? あのクソジジイはこんなやつらに負けたのかえ?」
「アンマリナメルンジャナイヨ」
いつの間にかイザナミの後ろに回っていたチャンが、両手に持った短剣を振りかざす。鋭く尖った刃先がイザナミの真っ赤な肌を捉えるが、切れるどころか食い込むことすらせず、まるで金属と接触したような音を奏でて弾かれた。
「ほほほ。そんなんじゃ避けるまでもないよ」
イザナミが前を向いたまま後方を一閃する。人間ではありえない方向に腕がぐにゃりと曲がっているが彼女にとっては痛くもないのだろう。吹き飛ばされたチャンは私がさっきなったように木にぶつかり、今度は動かなくなったしまった。
そしてイザナミの動きを見ながら、今度はスラックが剣を抜いて襲い掛かる。氷属性を魔法付与した剣がイザナミに触れ、当たったところから凍らせていく。その光景をまるで他人事のように眺めていたイザナミだが、しばらくすると飽きたように、スラックに手を向けて吹き飛ばした。
スラックもチャンも手練れだ。グルードの設立前からずっと見てきた私は知っている。二人とも騎士団に入ったとしても十分上位を狙える実力だ。それが全く通用していない。そんな事実が私をさらに絶望させる。
ああ、私はここで死ぬのかもしれない。
そんな私の弱い心に付け込むようにイザナミが”鳴いた”。さきほどの鈴を使ったときのように押し出されるような性質の魔法ではない。甲高い声が周囲に響き、音で作られた無数の刃が私たちの肢体を襲い、周囲のすべてのものに切り傷をつけていく。彼女なりの逃がさないという意思表示なのかもしれない。
発動した魔法は見事に皆の足を奪っていた。血の流れ出る足にはもう力をいれようにもうまく動かない。なんとか手を使って木にもたれかかり、楽な姿勢にかえるがそれも気休め程度にしかならなかった。
「さて……」
誰にいうでもなくポツリとイザナミが呟いた。イザナギがそうしたのと同様に息をゆっくり吸いはじめると、イザナミの体が膨張し、肌がはちきれんばかりに張っていく。かろうじて来ていた服がはちきれ、地面に落ちた。
「ああ、コれはモう抑エきれナイねェ」
しばらくの間吸い込み続け、ようやく限界が来たのか、イザナミは上を向いて諦めたように呟いた。口からは吸い込んだはずのスモークが漏れており、さながら煙草の煙のようだ。
イザナミが周囲をきょろきょろと見渡した後、ゆっくりと私の方に歩いてくる。たぶん一番近かったからとかそんな理由だろう。
朦朧とする意識の中でその足音だけははっきり聞こえた。一歩、また一歩と歩み寄ってくるその足音を聞くたびに、恐怖が心の奥から押し寄せてくる。
そしてついに、私の目の前でイザナミが立ち止った。しばらくじっと見つめられ、目が合う。蛇に睨まれたように、逸らそうとしても思うように視線は動いてくれない。
死を確信した。もう抗う気力もない。諦めよう。そう思って目を閉じる。
なんとなくイザナミも察してくれたのだろう。ゆっくりと手が近づいてくるのがわかった。生きてるうちにもう一度だけでもいいから、お兄ちゃんに会いたかったなぁ。
「お、兄、ちゃん……」
自分でもどうして口からでたのかわからない。名前を呼んで来てくれるなら苦労はしない。それでもなんとなく、つい口から出てしまった。最後の願望。期待の表れ。遺言なんてきっとそんなものだ。
もう意識もはっきりしない。いつのまにか頭から流れ出している血が目に入ってきて煩わしい。もういっか。そうして私の意識は闇の中へと誘われたのだった。
▽
異変を感じたのはビリアに入ってすぐだった。本来、山全体にスモークがかかっているはずのブロン山の一部分のみが、スモークがなくなり小さいながらもぽっかりと穴が開いている。
俺たちの目的はここでエースたちを見つけることであり、あらかじめ”魔女会”が目的の可能性があるという話をしていたため、確認のためにブロン山に向かうことに二人とも異論はなかった。
街の民家の屋根を伝い、山に向かっている途中でまたしても変化が起こる。先ほどの小さくあいた穴とは異なり、別の場所で大規模な範囲のスモークが”裂けた”のだ。不思議なことに裂けてすぐにスモークは元に戻るが、今度はさすがに住民たちも気づき、騒ぎ立て、騎士団が出動する事態となっている。
明らかに普通ではない。エースたちが絡んでいてもなんら不思議ではない。むしろ絡んでいると見る方が自然だ。そんなことを考えながら大騒ぎになっている山の麓の見張り小屋をハイリの騎士手帳で問題なく通り抜け、俺たちは山を登り始めた。
体が重い。これが噂の魔力のスモークか。風魔法がいつもより魔力消費が大きくなっている。変換と操作がうまくいっていない証拠だ。
後ろを振り返ればシャドウとハイリも困惑していた。シャドウは得意属性ということだけあってすぐに慣れそうだが、もともと操作が弱いハイリが少し苦戦しそうだ。
「一体どうなってんだ……」
山に入ってしばらくした後、またしても周囲のスモークが徐々に薄くなっていくのをが分かった。街から見た小さい穴の場所に近づけば近づくほど、顕著に薄くなっていく。
そしてついには完全にスモークがなくなった。開けた視界から見える光景は非常に美しい。しかし、その直後に凄まじい悪寒に襲われる。
なにかやばいやつがいる。それがすぐに分かった。しかしここまできて戻る選択肢はありえない。
木から木へと飛び移り、ようやくその正体を見つける。赤い肌に頭に生えた角と、上顎から下に伸びる長い牙。視界に入れた瞬間に体中に走った緊張は不快極まりないものだった。
「まずいぞ!」
後ろから見ていたシャドウが叫んだ。ここからだとよく見えないが、誰かが襲われているように見えた。すぐさま風魔法を使い、全力で距離を縮める。
近づいていくにつれて襲われているのが人間だということが分かった。それも体形からして少女だ。その化け物の右手が少女に伸び、もう少しで届いてしまう。間に合わない。
「フレイムストライク!」
少女を巻き込む危険はあったが、上級の魔法を化け物に向かって放つ。魔力操作に不安があったため、詠唱付きだ。
化け物がこちらの魔法に気づき、少女から距離をとった。先ほどまでいた場所に魔法が着弾し炎が四散するが、なんとか少女には当たらずに済んだようだ。
「大丈夫ですか!?」
化け物と少女の間に割って入るように着地する。真っ先にハイリが少女に駆け寄り、状態を確かめた。全身から出血しており、特に頭と足からがひどい。すでに意識は失っているようで呼びかけへの反応はない。
「ハイリ! 止血したらその子を先に街に運べ!」
「わ、わかりました」
化け物の動きに注意しながらハイリに促す。ここはあまりにも危険すぎる。なんとか隙を作らないとな。
「やるぞ、シャドウ」
「ああ、わかっている」
化け物は俺たちを傍観していた。その視線はまるで品定めをするかのようにねっとりと絡みついてくる。蛇のような目が一層、そういう風に見えるように感じさせていた。
「フぅん、アンたラはちょっトはデキルんカねェ」
「さぁな。やってみりゃわかんだろ」
その一言を皮切りにシャドウと俺は同時に風魔法を発動する。なんとなくの感覚でこの化け物のやばさが分かってしまう。額から頬にかけて汗が伝うのを感じる。少なくとも人間を相手にするつもりで相手してはいけないことは見た瞬間に分かった。
温存なんてことはしない。最初から全力だ。
「絶斬」
鞘から抜いた刀身が根元から徐々に黒く染まり、剣からあふれ出た魔力が靄になって空気と混ざる。刀身が黒に染まり切ったと同時に俺とシャドウは同時に化け物に向かって突っ込んだ。
俺よりも速く接近したシャドウの剣が化け物を捕らえた。剣もなにも持たないため、右手でそれを受け止める。まさかと思ったが、シャドウの剣は腕を分断することなく止められた。
そしてすぐに化け物が口を開いて鳴いたかと思うと、シャドウは後ろに吹き飛ばされた。効果自体は風属性の魔法に似ているが、おそらくは違う属性だ。
皮膚で剣を受け止めるなんて少なくとも人間にはできない。だが相手が悪かったな。どれほどの硬度か知らないが俺には関係ない。
吹き飛ばされたシャドウに変わって今度は俺が切りかかる。思った通り、同じように腕で受け止めようとしてくれた。思わず口がにやけそうになるのをこらえて、接触を待つ。
抉りこんだ俺の剣が化け物の腕を切りきろうとしたところで、ようやく事態を理解したのか手を引こうとする。しかしその努力は虚しく、胴体から切り取られた真っ赤な手が地面に落ちた。
「オおォ……オマエつヨいナ」
「そりゃどーも」
距離を取っていた化け物に休ませる暇を与えないために、俺はすぐに追撃する。片腕を失いバランスを取れずにふらついているところに首を狙って斬撃を放った。
なんとなく俺の魔法の正体が分かったのか、今度は受け止めようとはせずに魔法で対抗してくる。腹部に強烈な力を感じて俺の体は後方に大きく飛ばされた。
「はハは、うデのカリはかえシてもラウよ」
魔法の衝撃でほんのわずかな時間だけ目を瞑ってしまう。次に目を開けた瞬間には化け物は目の前に現れた。シャドウの風魔法の速さよりも一段階上だ。フォートで見たエースの最高速くらいはある。
目で追える速さではなく、本来有効なはずの武器の間合いを無視して至近距離で腕を使って殴りつけてくる。剣による防御は間に合わず、今度は横方向に吹き飛ばされた。
風魔法を使ってなんとか着地を成功させ、木にぶつかることは回避する。化け物が追撃をかけようとするが、復帰してきたシャドウがそれを阻止していた。普段速さで勝負しているシャドウにとって、自分よりも相手の方が速いという状況はつらいものがあるだろう。
一度は飛ばされないように対応するも、二度目の魔法で再び吹き飛ばされてしまった。
「あア、ワずらワシイ」
来た時には気が付かなかったが、少女以外にも倒れていた人たちをハイリが順番に処置している。倒すことできないとしても最低限の時間は稼がないといけない。駆け回るハイリを横目で見ながらそんなことを考える。
幸いなことに、今のところ化け物がハイリを気にする様子はないが、今後もそうとは限らない。注意しておくべきだろう。
「――っ」
一瞬の隙が命取りになるこの状態でハイリに少しでも気を割いたことを後悔したのは、化け物によって再び俺の体が宙に舞った後だった。腹に入った蹴りによって潰された肺から空気が押し出され、一瞬息が詰まる。
飛ばされた先にいる少女にあたらないようにだけ気を付け、受け身の体制を取るが今の蹴りでどうやら骨をいくつか折ったらしい。完璧にしたつもりが不細工な受け身になってしまった。
「……いてぇな、くそ」
悪態を吐きながら右腕を支えにして上体を起こすが、思うように力が入らず、うつぶせの状態に戻ってしまう。少女に当たらないようにしたものの心配になった俺は体を起こすことすらできない自分のことを棚に上げて、少女を顔を見上げた。
「……嘘だろ」
血で覆われていた先ほどまでとは異なり、ハイリによって綺麗に血が拭き取られた少女の顔を確認して、俺は瞠目することしかできなかった。
「アリア……」
鼻、口、目、顔の輪郭。そしてなによりも目元にある特徴的なホクロが彼女であることを証明していた。いや、もしかすると他人の空似という可能性もある。むしろ死んだはずである彼女がこんなところにいるはずはなく、その可能性の方が高いのかもしれない。
しかし俺はそんなことは全く頭の中に浮かばなかった。直観的に目の前で死にかけている少女が俺の妹であるということをなぜか一切疑えなかったのだ。
こんな絶望的な状態で運命の再開とは皮肉なものだ。そして俺の後ろで魔力をためていた化け物は俺たちの都合など微塵も考えてはくれない。
翳された手から三つの方向に放たれた魔法の威力に驚く間もなく、俺は残された精一杯の力でアリアと自分の身を守る。俺が無詠唱で発動した土魔法は化け物の魔法を防ぎきることができるはずもなく、一瞬のうちに崩れ去った。
気づいた時には俺の体は少女を守っていた。切り刻まれた背中から感じるとてつもない痛みを耐える。永遠にも感じられた魔法が終わるころには周囲の木々はなぎ倒され、ただでさえ広かったこの場所はいびつながらもさらに広がることとなった。
「……! ハイリ?」
顔を上げ、二人の状態を確認する。シャドウはなぎ倒された木の先で何とか立ち上がったのが見えたが、ハイリの姿が見えない。
さっきまでハイリが走っていた場所にはもう木々はなかった。明らかにシャドウと俺の方に打ってきた魔法の性質とは違う魔法が放たれた跡だ。
狭い範囲に集中して放たれた魔法の効果は目で見ることができない距離まで発揮されており、ここからではハイリがどうなったのか確認することができない。
「イヒひ、まズはヒトり」
嫌でも頭に浮かんでしまった最悪の結末を肯定するかのように化け物は呟く。いうことを聞いてくれない右手に力を入れ、立ち上がろうとするが叶うはずもなく、再び体が地面に吸い付く。