一章 逃亡。①
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ガラガラと車輪が回る音で目が覚める。長い道中を走り続けた車輪は今にも外れそうな喧しい音を立てながら走る。先日からの長距離移動で溜まった身体の疲れは残念ながら満足に取れていない。
「目が覚めた? おはよう」
にっこりと微笑みを向けてくるのは見慣れた顔だった。俺は返事をせずにむき出しの荷台に作られた寝床から、少しだけ見える外の景色に目を移した。
どうやらまだ夜明け前だったらしい。うっすらと明るくなり始めた空が景色に色をつけ始めている。
満足に手入れのされていない道に、相変わらず代わり映えのしない平原だったが、目的地まで近づいているということはなんとなくわかった。
何度も訪れているのだから当然だ。
「おはようフィナ。ちゃんと寝られたのか?」
「うん。私は結構ゆっくり寝られたかな」
手を上に伸ばして背筋を伸ばしながら間延びした声が帰ってくる。
「つっても昼頃に着くんだろ? まだ寝ていても問題ないか」
そう口に出したは良いものの二度寝する気にはなれなかった。すでにこういうことには慣れているつもりだがやはり緊張しているのかもしれない。
「寝起きだとちゃんと動けないでしょ? 起きてようよ」
長い付き合いということだけあってよく分かってらっしゃる。口元が自然と緩んでしまう。
「そうだな。そうするよ」
体に掛かっている布を横によけ、ゆっくりと体を起こす。涼しい風が髪を撫でた。なかなかに気持ちが良い。夥しい荷車のおかげで車輪の音が一帯に響き渡っている。
この荷車の集団、俺達の所属するギルド【デトラ】はアーダント国とファント王国による戦争に参加すべく、数日をかけて戦線に移動しているのであった。
太陽が昇り周囲が十分明るくなったところで一旦、朝食を兼ねた休憩が行われる。夜間の移動は交代で見張りをするため、十分休めた者は少ない。おそらく約二名を除いては。
各々が朝食を取る中、その二名が全員に声が届く位置で不愉快な声を荒げる。表情から見てなかなか重要な話らしい。
「お前ら良く聞いておけよ! 昨日の夜にファントの使者が俺のところにきた!」
ファントの使者、という単語に周囲がざわついた。理由は単純で、今回の戦争で俺達が雇われたのはアーダントだったからだ。
「要件は今回の戦争でファント側に付け、とのことだ。やつらかなりの大金を積んでくれた。リスクは大きいが今回はファント側に付く。いいな!」
周囲のざわつきは収まらないがラット――うちのギルドマスターの決定だ、誰も反論はできないだろう。
それに大金という単語に笑みを浮かべている者までいる。少しは恥ずかしくないのだろうか。デトラの本部自体アーダントにあり大半はアーダントの生まれだ。俺と同じ気持ちのやつもいると信じたい。
「っち」
聞こえないように小さく舌打ちをする。俺達二人にとってはこの報告はまったく嬉しいものではなかった。だが仕方ない。これも仕事だ。
「随分あっさりと寝返ったね……」
「仕方ないさ。今回の戦争はお互いまだ全力じゃない。大丈夫だろう」
表向きは外交のもつれから始まったとされている今回の戦争だが、実際は違う。いわゆる大戦景気を目的とした傀儡戦争だ。その証拠に、今回の戦争は両国共にかなりの数のギルドに声を掛けお互い戦わせている。そのため、戦争を決めきる前に俺たちは離脱することになるだろう。
普通に街で生活していると戦争の内情など分からないかも知れないが、デトラに限ってそれはありえない。
この国、いや大陸全体で見ても一、二位を争うギルドだ。全体の戦力を考えれば、一国の騎士団にだって見劣りしない。戦争の情報は毎日詳細に仕入れられる。
今回アーダントから依頼がきたのも、おそらくラットが裏で動いたからだろう。大金が動く戦争で、その利益の一部を享受したいという考えはいかにもラットらしい。
デトラが参加していない現状では、戦況はアーダント側がほんの少し不利といった状況だ。しかしデトラが参加すればきっと形勢はひっくり返ってしまうだろう。それくらいデトラには影響力がある。デトラの判断次第で戦況が動くといって過言ではない。
両国とも騎士団は出していない。国が本気で戦争をする気はないという証明だ。
「アレス様には申し訳ないけどおとなしく従おう。いざってときは離脱すればいいさ」
「……そうだね」
そうは言うがフィナは不安そうな表情を浮かべた。俺だって不安が無い訳ではない。万が一、国を上げた戦争まで発展した場合、恩を仇で返すことになる。それだけはしたく無いのが本音だ。
ギルドなんてこんなものだ。お金さえ積まれればどこにだって付く。仕方のないことだ。実際俺達だって今回報酬がもらえないのは困る。
ただ今回の契約期間を考えればそれほど心配しなくても良いだろう。
「それとエースとフィナ! 俺達の部屋まで来い。話がある」
裏切りを行うための詳しい説明を副マスターがし始めたところで、俺とフィナはラットから呼び出された。
あからさまに嫌そうな顔を作ってやったが、そんなことは気にしていないのかそれとも気づいていないのか、全く気にする素振りは見せない。
「……了解」
メンバーが副マスターの話に耳を傾けている中、俺達はラットの部屋に向かう。当然部屋といっても便宜上そう呼んでいるだけだ。
荷車の荷台には骨組みが作られ、全体が布で覆われている。荷物を置く場所は無い。つまり一つの荷車をまるまる使って部屋としているという訳だ。
荷車を引いていた馬の横を通り過ぎて中へと入ると、豪華なソファーにベッド、テーブルの下には酒瓶が転がっている。殺風景だが長い旅であることを考えれば十分豪勢だろう。
「なんでしょう?」
葉巻を噴かして一服しているラットに俺が催促する。相変わらずのきつい香水と煙草が混ざった臭いがとても不快だ。
「ああ、そうだったな。実はな、今回の裏切りの際にお前らに頼みたいことがあるんだ」
どうせ拒否権はないとわかっているくせにわざわざ回りくどい言い方をしてくる。腹立たしい。さっさと内容を言え。
「これをみてくれ」
そういうとラットはおもむろにソファーにあった一枚の紙をテーブルに広げた。
「今回の戦場の地図だ。お前らには何人か連れてここにある地下通路で待機しておいて欲しい」
ラットが指さしたのは戦線からかなりはずれた位置にある地下通路だった。もともとは下水道の管のようだ。
「この通路はもともとアーダントとファントの両国が使っていた下水道だ。出口の一方はファント領の近くまで伸びているが当然アーダント側にも出口がある。今回我々は直接戦線に向かうからアーダント側の拠点には寄れない。内部の情報がない訳だ。まぁ、要は伏兵だな。アーダント側には怪しまれないように俺から話しておくから心配するな。で、俺達が裏切った後に指示を出すからアーダントの拠点までいって内側からかき乱してくれ」
地図をたどっていくと下水道の一方が赤いバツ印に繋がっていた。もう一方に青いバツ印があることから赤いバツ印はアーダントの拠点を表しているのだろう。
「まぁ危険な仕事だが、お前たち二人なら大丈夫だろう? なんてったって序列一位と二位なんだからなぁ。これくらいの仕事はこなしてもらわないとなぁ」
ラットは顔の筋肉を緩ませて憎たらしい顔つきで嫌味たらしく俺に確認してくる。
「わかりました。ただしその分の報酬は当然加算されるんでしょうね」
「もちろんだとも。今回ファント側からかなり積まれたといっただろう? 報酬は弾むよ。ぐふふふ」
俺の肩をポンポンと叩くとテーブルに広げていた地図をクルクルとまとめソファーに戻す。随分適当な扱い方だ。
「部隊の編成はこっちで適当に見繕っておく。また報告する。戻って良いぞ」
短い返事を返して俺達は踵を返す。
「ああそれと」
入口の近くまできたところで再び声がかかる。憎たらしい表情を顔に貼り付けたラットはらしくない言葉を言い放った。
「気をつけてな」
俺達二人はすぐにラットの部屋を後にし、自分たちの馬車の荷台で朝食をとった。外に出た時には副マスターの説明も終わっていたようですでに広場は静かになっている。
戦争に向かっているところなので物資は貴重だ。朝食はパンとほんの少しの木の実だけ。
「今日も朝からお熱いねぇ」
ふと後ろから声が届く。まためんどくさいやつが来た。
「フランク、そんなんじゃないって何度も言ってるだろ」
ギルドデトラの序列三位。長い付き合いだが絡みがしつこく、未だにあまり好きになれない。ただ悪いやつではないと思う。黒髪のショートヘアで顔は整っていおり、いかにもモテそうな雰囲気だ。序列が高いこともあり、人望もそこそこ厚い。
「またまた、そんな謙遜しなくていいんだぜ?」
にやにやしながら肘で肩をつついてくる。これももう何度目か。
「フランクはラットから何か指示受けてないの?」
フィナが話を逸らそうと別の話題を振る。しかも俺も結構気になっていたところだ。フィナナイス。
「俺には特になかったぜ。今回の戦闘は白兵戦メインで大規模魔法を使える魔術師が参加しているって情報は今のところないからな。ある程度押したところで寝返るってシンプルな作戦だ」
フランクの話によれば今回別働隊になるのは俺達の部隊のみらしい。まぁ伏兵にそれほど人員を割いても意味がないし当然だ。
「二人は俺らとは別で動くんだってな。ま、死なないようにがんばってくれよ」
すました顔で冗談めかして言う。フランクはこういうやつだ。じゃあなと言ったかと思うと自分の荷車に戻っていった。そろそろ出発の時間だ。
「俺達も戻ろうか」
「りょーかい」
荷車に戻り出発の準備が揃うのを待つ。先頭の荷車が動き出し、デトラの荷車は揃って車輪を回し始めた。
「じゃあお前達はここから入っていけ。部隊の人数はお前たち含めて十二名だ。少ないことは重々承知しているが多すぎても問題だ。まぁ、戦力的には問題ないだろう」
ラットが見繕ったという部隊のメンバーと共に、俺達は下水道の入口の前にいた。
入口は半円状になっており小さいが、中を除いてみると思っていたよりは広い。中央の下水道と両脇にある、メンテナンス用のスペースをいれると普通の道ほどの幅があった。当然下水が流れているということはなく、役割を果たした中央の下水道は寂しそうに乾いていた。
普通に立っても頭をぶつけない程度に高さもある。部隊メンバーの中に顔見知りはいない。全員が序列外のメンバーだろう。
「了解した。突入の連絡はどうする?」
今回の作戦では本隊が裏切ったタイミング、そしてある程度城壁まで攻撃が及んだ段階で突入しなければアーダント側の混乱を招くことができない。つまりなんらかの連絡手段が必要だ。
「これを渡しておく。貴重なものだ、壊すなよ」
ラットから受けとったのは青く光るクリスタル。魔法道具の魔力結晶と呼ばれるものだ。二対になっており、使用者の魔力を込めることで遠く離れた場所でも合図を送ることができる。
高価なものになれば文字のやりとりや会話も可能になる。ラットから渡されたものは合図しか送れないものだった。
「俺の魔力が流してある。それが赤く変色したら突入の合図だ。いいな?」
「了解」
遠くからフランクがこちらに手を振っているのが見える。彼なりの激励といったところか。
「いくぞ」
部隊のメンバーに声を掛け、俺は下水道の中に入っていった。中はとにかく暗い。光源はフィナに任せるか。あいにく油がないため魔法を維持しないといけないが、特に問題はないだろう。
部隊の全員が中にはいったことを確認すると俺はラットから渡された下水道内部の構造図を開き、フィナに照らしてもらう。
構造図には予め待機場所の印がついている。今いる場所はどちらかといえばファントに近い場所。
この狭い空間だと魔法をつかった移動は少し難しそうだ。俺とフィナだけならともかく部隊の連中には少しむずかしいだろう。
「仕方ない。歩いていこう。時間はまだまだある」
こうして俺達は目的地に向けて歩きはじめる。
下水道には先日雨が降ったのか、多少の水が残っていた。使われなくなったとはいえどうやら完全に封鎖されているという訳ではないようだ。
おかげで湿度がかなり高い。ジメジメとした肌触りが少し不快だ。
先頭をフィナに歩いてもらい、部隊の全員が進行方向を見られるようにする。と言っても最後尾からではかなり見づらいだろう。
魔力量の多いフィナはともかく、他のメンバーがずっと魔法を使い続けるのは難しい。俺も使っても良いが、万が一を考えると部隊長が片手を使えないのは少し問題がある。
「みんなすまないが交代で光源の役割をしてくれないか? 炎か雷の属性を使えるやつは何人いる?」
俺の質問に対して手が上がったのは三人。俺はその三人に光源の役割を頼んだ。
結果として隊列はフィナが先頭、その後ろに俺、数人挟んでもうひとりの光源担当、そして残りのメンバーとなった。
何事もなく進む。腰に下げた剣がぶつかる音がカチャカチャと下水道内に響き渡る。目的地まではまだまだ遠い――。
▽
エース達と別れてからどれくらいが経っただろうか。本隊はアーダントの後方部隊と合流に成功した。今はラットが向こうの上官と話をつけているところだ。
向こうとしては序列一位と二位がいないことに腹を立てているらしいがラットがどうにか収めそうだ。今回の戦争なんざ序列三位の俺がいれば十分だろう。慢心は良くないことだが事実なのだから仕方ない。
「ではそういうことで……。よし、フランクいくぞ」
話を終えたようでラットがすれ違いざまに声をかけてきた。
「はいよ。じゃあもう行くのか?」
「ああ、作戦通りな。ぐふふふ」
相変わらず気味の悪い顔してるなこいつ。すでに荷車はまとめて森の中に隠してきている。あとは戦闘に加わって裏切るだけだ。
ラットの後に続くようにして俺も自分の部隊の元へ向かった。今回デトラからの参加人数は総勢九十六人。報酬が良い依頼だった分かなり多い。エース達を除いて本隊の人数は八十四人。一つの部隊につき十人程度となっている。
その一つ一つを序列入りしているやつらが率いて戦う。デトラが戦争で雇われるときはいつもこのやり方だ。
というわけで序列三位の俺が率いる部隊には優秀な人材が多い。エースとフィナがいないから俺の部隊が本隊の切り札ってところだな。
メンバーを率いて他の部隊より少し前に出る。振り返ると全部隊が綺麗に整列していた。壮観だ。
「お前ら! さっさと終わらせて宴といこうぜ! 報酬に見合った働きをしてくれよ!」
野太い声が響き渡り、その場が熱気を帯びる。戦争においての士気の重要性は言うまでもない。
「いくぞ!」
俺の掛け声を皮切りに部隊全体が戦線に駆け出した。すでにいくつもの死体が転がっている。まさに戦場って感じがして良い具合に緊張感があるな。
ラットによると最初はアーダント側としてしばらく戦って良いらしい。ファント側も多少の犠牲には目を瞑るとのことだ。
俺自身、戦闘狂って呼ばれるような性格じゃないが身体を動かすのはすごく好きなんだ。もちろん見返りは必要だがな。
ファント側のギルドには申し訳ないが殺らなきゃ殺られる、仕方ない。
すでに戦闘している小隊を見つけるとそこに炎の魔法を放つ。突然の襲撃に彼らは状況をまだ把握できていない。
「らぁ!」
使い慣れた細身の刀身の剣を引き抜き、それを振るう。一人、また一人と倒れていく。
「デトラだ! デトラの連中だぞ!」
驚愕した表情を浮かべ俺達のギルドの名前を叫ぶ。状況を理解した周囲のギルド員たちが少しずつ後退していく。
ここまでは想定通り。裏切るのはアーダント側が油断したところだ。
他の部隊も順調に敵の部隊を撤退させて行く。殺し過ぎてはダメだ。逆転が難しくなる。しかし、向こうも向こうでなかなか引いていかない奴も多い。
名声を上げるために各ギルドの序列上位のメンバーを倒しに行くなんてことは良くあることだ。
今回も例に漏れず勝負を挑んでいる奴らがいるようだ。
「俺のところもか……」
目の前に剣を構えたギルド員が一人。デトラの序列三位に勝ったともなればただ事じゃないからな。狙いたい気持ちは分かるが。
「さすがに相手が悪かったな」
風属性の魔法で加速する。普通のギルド員だと目で追うのが精一杯というところだろう。剣の刃は相手の首を胴体と切り離した。
これから来ようとしていたやつも今のを見れば少しは引き下がるだろう。
全体を見渡すと十分押し返してきている。俺以外の部隊も順調のようだ。後はラットがどのタイミングで指示を出すか。
ちらりと視線を腰に落とす。戦闘前に渡されたクリスタルはまだ反応しない。
しかしこの状況で裏切るとなるとまるでデトラだけで戦争しているみたいで少し笑えるな。とんだ茶番だ。
「あん?」
目の端に人影。次の瞬間ソードの刃が目に飛び込んでくる。
冷静に対処して剣で受け止める。襲いかかってきたそいつを確認すると、見覚えのある顔だった。
「なんだ、シャドウじゃねぇか。お前も良く飽きないな」
ギルド【ファントム】の序列一位。強い奴と戦いたいとか言ってあちこちのギルド員相手に決闘を申し込んでいるらしい。
最近はいよいようちの四位を倒したとかって聞いたな。つまり次は俺ってことで。
こうやって会う度に襲いかかってくる。物騒なやつだ。適当に相手してやるか。
「今日こそは勝つ!」
連撃、連撃。こいつはとにかく手数が多い。そのすべてを剣で弾き、避ける。速さはあるんだが如何せんパワーと戦略がいまいちだ。
要は短調なのだ。もう少し頭を使うべきだな。せめてフェイントくらいは入れたらどうなんだ……。そういう戦い方は嫌いじゃないけどな。
横目で戦況を確認すると、すでにアーダント側の圧勝ムード。
部隊はファントの拠点近くまで押し込んでいる。ラットの指示はまだだろうか。
そんなことを考えながら、シャドウの攻撃を受け流す。ひたすら真正面から打ち合いをしてくるシャドーだったが顔面を狙った突きを俺が躱したところで一旦距離をとった。
「はぁはぁ、貴様! なぜ反撃をしてこない! 私を舐めているのか!」
「ああん? お前こそもうちょっと強くなってから来たらどうだ? 前やった時と変わってねぇぞ」
俺の挑発に対してシャドウが苦虫を噛み潰したような顔になる。
ここで腰のクリスタルに変化が。確認のため目を向けるとさっきまで青かったクリスタルは赤く変色していた。
「おっと時間切れだ。今から味方だからよろしくな」
「は? 貴様何を言って……」
シャドウがなにか言いかけていたがファントの拠点の近くで爆発音がした。向こうではすでにアーダント側と戦闘を開始していた。
「まさか貴様ら、裏切ったのか」
シャドーが凄まじく怒気を含んだ顔で俺を睨みつけてくる。シャドウらしいな。
「俺だって乗り気じゃないがギルドマスターのお達しだ、仕方ないさ。さっさと終わらせようぜ」
アーダント側のギルドから叫び声が上がる。やつらからすれば戦闘が終わったと思った瞬間にこれだ。たまったもんじゃないだろう。
今度は皆容赦がない。背を向けて逃げる者には刃をたて、その命を奪っていく。
デトラが寝返ったところでいまだアーダント側が有利な状況に変わりはない。しかしファント側も拠点まで引いていたギルド員達が続々と戦場に戻ってくる。
情勢はすぐに引っくり返りそうだ。
「つーか、お前聞かされてなかったのかよ」
おそらくシャドウの性格を考えてのことだろう。こんな話聞かされた暁には戦闘に参加しないなんてことを言い出しそうだ。
「うるさい! とにかく反撃だ! 貴様との決着はまた今度つけてやるからな!」
そう吐き捨てるとシャドウは自分のギルド員達の元に戻っていく。あの様子だとしばらく引きずりそうだ。
ファントムのギルドマスターがシャドウの文句を聞いている姿を思い浮かべて思わず頬が緩む。
さて、俺もそろそろ仕事しますかね。
▽
本隊と別れてからどれくらい時間が経っただろうか。太陽の位置がわからないため大雑把な時間でさえ分からない。
相変わらずジメジメとした肌触りが変わることはなく、目的地まで黙々と進んでいた。
「おい! 止まれ!」
突然下水道内に響いたその声に部隊の全員がすぐさま反応する。相手が光源の類を持っていないため気づくのが遅れた。
姿は見えないが聞こえてきた方向から考えると十メートルほど先にある曲がり角だ。
不意打ちをかけてこないあたり、こちらが何者かわかっていないのだろうか。
「何者だ! 所属を名乗れ!」
この聞き方。軍人だ。ギルドに所属している者であれば普通“所属”という聞き方はしてこない。どこのギルドの者だ、とストレートに聞いてくる。
音からして人数は二十人程度か。こちらからも敵なのか味方なのか分からない。ここで時間を食う訳にはいかない。
「デトラの序列一位、エースだ! そちらの所属も確認したい!」
「デトラだと!?」
こちらの返事に対して向こうの部隊がざわつく。すると曲がり角から部隊長らしき人物が姿を現した。
「デトラはアーダント側に雇われたと聞いた。ここで死ね」
部隊長らしき人物が抜刀し、俺の方に向かってくる。口ぶりから察するにこの部隊の所属はファントだ。裏切りについて聞いていないのか?
「おいちょっと待て! 上から聞いていないのか! 俺達はファント側に寝返ったんだぞ!」
「そんなハッタリが通じると思っているのかぁ!」
部隊長は俺の言葉を聞かずに斬りかかってくる。上段、下段、中段と連撃を浴びせてくる。向こうの部隊の隊員もどうやらやる気のようだ。やるしかないか……。
「全員反撃だ! やられそうなら殺してもかまわない!」
俺のこの一言を皮切りにいよいよ戦闘が始まる。この狭い下水道内では味方を巻き込む可能性があるため、大規模な魔法が使いにくい。
加えてこの暗さだ。こういった場所での戦闘には慣れていない奴もいるかもしれない。人数、地理、経験。状況はあまり良くなさそうだ。
「フィナ! 光源は切らすなよ!」
「分かってる!」
向こうの部隊が戦闘し始めても光源をつけないところを見ると、暗い場所での戦闘には慣れているようだ。
その証拠に目の前の部隊長は視界が悪い状態でも的確に急所を狙ってきている。かなりの腕前だ。
「随分と余裕がありそうだな。さすがは一位様といったところか。ではこれならどうだ」
そう言うと部隊長は剣を鞘に戻し、二本の短刀に持ち替えた。それもかなりの早業。
部隊長の動くスピードが上がる。風魔法をつかったようだ。俺の方までまっすぐに突っ込んできたかと思うと、目の前で真上に飛び上がる。
推進力を回転力に変換し、二本の短刀で首と胸の両方を狙ってくる。
俺は一歩後ろに下がり、負けじと風魔法で回避した。
動きが明らかに殺しに来ている。軍が介入したとなればアーダント側も黙っていなさそうだが。俺達が来る前にファント側の状況が悪化したのか?
そもそもこいつらの目的はなんなんだ? 考えられるのは俺達の部隊と同じようにアーダント側への潜入だろうか。
しかし今そんなことはどうだって良い。さっさと片付けて待機場所に急ごう。
考え事を放棄してあらためて部隊長に意識を戻す。ちらりとフィナの方を見るとフィナは問題なさそうだが、他の連中はなかなかに苦しそうだ。
再び風魔法を身にまとう。少しだけ本気をだそう。
剣を目の前に構え、僅かにつま先に力を入れる。見た目には分からない程度に膝を曲げ準備は完了。
その次の瞬間には部隊長の目の前にいた。構えた剣を心臓部に突き刺す。
部隊長が驚いた顔をした気がしたがその頃にはすでに俺の剣は胸を貫いていた。
「ごはぁ……」