交渉
目の前には、驚きに満ちた表情を浮かべる女性。
見返す海斗の顔にも同じ感情が浮かんでいる。
だがその理由は、ヒーローの正体が鵜坂だったから、というだけではない。
見つめ合っているように見える二人の視線。
しかし、海斗の視線は微妙に違う場所を見ている。
目線の先には、差し込む月明かりに照らされた後輩の――
あらわにはだける胸元。
その瞳には、シンプルな下着姿が映し出されている。
海斗はゴクリと唾を飲み込む。
それは両の眼で捉えた双房が、はち切れんばかりに強く自己主張していたからだ。
背丈に似合わぬ豊満さ。
まだあどけなさの残る容貌も相まって、どこか背徳的な気配を放っていた。
無言のまま過ぎていく時間。
しかしそれは唐突に終わりを迎えた。
「……?」
鵜坂は何か考えるように首を傾げる。
そして海斗の視線を追い――
「……ッ!?」
はっとした表情を浮かべる。
どうやら海斗の視線がどこを見つめているのか理解したようだ。
みるみると赤く染まっていく頬。
鵜坂は大きく息を吸い込み――
「……んんっ!!」
一瞬で間合いを詰める海斗。
叫び声を上げよう開いた口を手の平で押さえ、彼女の身体を抱えるように背後へと回る。
事情を知らぬ者からすれば、一見しただけでヤバイと分かる。
どこからどうみても通報事案。
今の海斗の姿は、犯罪者以外の何者でもなかった。
地獄のような絵面。
今誰かが踏み込んで来たら多分社会的に死ぬかも。
そんな考えが浮かんできた。
「んッ! んんッ!! んんんんんッ!?」
抵抗する鵜坂。
なんとか彼女に害意はないと伝える必要がある。
「落ち着け鵜坂! これから手を離すから、俺の話を聞いてくれ」
焦りの感情を抑えながら、海斗は必死に説得を行う。
彼女は理解してくれたのだろう。
その身体から抵抗は消え、コクコクと頷きを返してきた。
なんとか会話を行うことができそうだ。
安堵の息を吐きながらゆっくりと手を離す。
海斗は立ち位置を入れ替え、彼女と向かい合いながら口を開いた。
「別にお前に何かしようとしたわけじゃ……」
「ちょっ……何もしないって、それ私に魅力がないって……ングッ!?」
突然声を上げる鵜坂。
海斗は慌てて正面から彼女の口を塞ぐ。
この反応、間違いなく海斗の知っている鵜坂だ。
しかし叫び声を上げられては、目的を果たすことはできない。
抵抗する後輩を壁際へと押し込みながら――
「大声を出すな!!」
発した言葉に、鵜坂の頬が赤く染まる。
海斗にそのような意図は全くない。
しかしその体勢は、まるで壁ドンをしているようにしか見えなかった。
どこかうっとりとした様子を見せる後輩。
状況が理解できず戸惑いを覚える海斗。
理由は分からないが、大人しくしてくれるならそれでいい。
再度静かにするよう念押しすると、彼女はコクコクと頷いた。
本当に理解しているのだろうか?
しかしこのままお見合いをしていても状況は動かない。
少し不安を覚えながらも、海斗は手を離す。
馬鹿正直にティセのことを話しても理解しては貰えないだろう。
そう考えた海斗は、一部詳細を伏せつつ目的を伝え、鵜坂に協力を仰ぐことにした。
「つまりセンパイは、地下のあの場所に入りたいってことなんですね?」
着衣の乱れを直し、鵜坂は真面目な表情で問うてくる。
「ああ、そう言うことだな」
海斗は彼女の言葉に頷きながら応える。
こちらの目的を伝えることはできた。
あとは鵜坂がどう判断するか次第だろう。
「う~ん……でも丁度良かったのかなぁ」
腕を組み考える仕草を見せていた彼女が言葉を発する。
どう言うことなのだろう。
詳しい説明を受けるため、海斗は視線で続きを話すように促す。
「えっと、センパイに紹介したい人がいるんですけど……」
どこかおずおずと言った様子。
少し上目遣いで、鵜坂は問いかけてくる。
こんな場所で誰を紹介されるのか。
疑問は尽きないが、取りあえず彼女の言葉に従うべきだろう。
「分かった。それで俺はどうすれば良いんだ?」
「あっ、すぐ準備するんで、ちょっとだけ待って貰えれば大丈夫です!」
そう言って鵜坂は、こちらに背を向け――
慣れた様子でノートパソコンの操作を始める。
ちらりと見えるディスプレイ上には、謎の認証画面。
迷うことなくIDとパスワードを打ち込んでいく。
*で表示されているとは言え、そもそもこれは見ても良い物なのだろうか?
特に何も言われてはいない、しかし海斗は気を遣い自主的に目を逸らす。
どうやら直接対面する訳ではないようだ。
しかし誰を紹介されるのだろう。
カチャカチャとリズミカルに響き打鍵音。
軽く視線を戻してみると、チャット画面が表示されている。
恐らく今の状況を伝えているのだろう。
しばし目を閉じ、海斗は準備が整うのを待つことにした。
「鵜坂さん。この方が……」
前方から聞こえて来る覚えのない男性の声。
海斗は目を開きそちらに視線を向ける。
画面に映し出されているのは、スーツ姿の男性。
しかし荒い画質によって、その顔を窺い知ることはできない。
「はい、あの時助けてくれた私のセンパイです!!」
男性の言葉に、彼女はどこか自慢げに頷く。
恐らくこのスーツの男性はそれなりの立場にある人物のはず。
しかしそんな相手であっても変わることのない鵜坂らしさ。
まるで日常を錯覚させる雰囲気。
それは知らぬ間に海斗の緊張を解きほぐしていた。
「私は村本。役職等詳しいことは伏せさせていただきますが、政府の者とお考え頂ければと思います」
丁寧に挨拶を行う男性。
頷きで返す海斗。
本来であれば緊張すべき場面のはずだ。
しかし鵜坂のお陰か、自然体で対応出来ていた。
「鵜坂さんからお話は伺っております。本来であれば色々お話を聞いてから判断するべきなのでしょうが……」
ディスプレイ越しで、表情は判断できない。
しかし発せられた声からは、どこか苦々しさを感じ取ることができた。
「今は緊急事態……条件付きでよろしければ、あなたのご要望に応えることが可能です」
続く言葉に、海斗は笑みを浮かべる。