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安否確認

 チュンチュンと小鳥の鳴き声が聞こえる。

 海斗は目を開き、壁掛け時計に視線を向ける。


 時刻は八時三〇分。

 普段起きる時間より三〇分以上早い目覚めだ。


 まだゆっくりと横になっていたい。

 湧きあがる怠惰な感情を振り払い、寝床の魔力に逆らい立ち上がる。

 首を振りながら浴室へと向かうと、顔を洗い朝の準備を整え始めた。



 いつも通りのルーチンワーク。

 ただ一つだけ違うのは、家を出た時刻が普段より早いということだけ。


 向かう先は勤務先であるブラック企業。

 愛社精神など一ミリも存在しない海斗が、なぜ早く出社しようとしているのか?

 それは鵜坂のことが気になっていたからだ。


 考え過ぎと言われてしまえばその通りだろう。

 しかし、非日常な体験――ゴブリンの存在もあり、どうしても心配が募る。


 朝のけだるさを押し、会社へと向かう道中。

 信号待ちをしていると、駅前の大型ビジョンが視界に入る。


 映し出されているのはニュース番組。

 何となく視界に入るままに眺めていると、コメンテーターらしき人物が熱弁を振るっていた。


 話しているのは最近話題になっている、原因不明の病と行方不明事件に関して。

 どこか胡散臭いスーツ姿の優男は、専門家だと言わんばかりに考察を語る。


 このコメンテーターの説によると、病と行方不明事件には因果関係があるらしい。

 まぁ良くある陰謀論と言うヤツだ。


 病についての原因は海斗には分からない。

 しかし行方不明事件に関しては心当たりあった。


 脳裏に浮かんだのは、ダンジョンで見た犠牲者に関しての記憶。

 そして、この土日で遭遇したゴブリン達のことだった。


 ゴミ箱を漁っていたところから考えると、ヤツらは雑食である可能性が高い。

 都会では非常にゴミが多く出る。

 ゴブリン達の食料もさぞ潤沢に存在していることだろう。


 だがヤツらは凶暴だ。

 今のところ人通りの少ない場所でしか発見していないが――

 もし一般人が遭遇してしまえば、その末路は考えるまでもないだろう。


 この街には日中、異常なほどに多くの人が訪れる。

 それほど数は多くなかったとは言え、誰一人ゴブリンに遭遇しないなど考えられない。


 脳裏に浮かぶ後輩の姿。

 海斗は首を振り、ノイズのように湧きあがる不安を掻き消す。


 あまり納得したくはないが、ゴブリンと言うモンスターは存在している。

 非日常は確実に、海斗の日常へと侵食してきていた。



 会社へ到着し海斗は自身の席に着く。

 出社してくる同僚に軽く挨拶を交わしながら、そわそわとした様子で始業を待つ。


 壁の時計は既に九時五五分を差している。

 しかし社内に鵜坂の姿はない。


 海斗の会社では一〇時が始業と言うことにされている。

 普段の彼女であれば、既に出社し仕事の準備を進めているはず。


 念のためメールソフトを立ち上げ確認するが、欠勤や遅刻の連絡は来ていなかった。


 偶然目にしたニュースのせいで、無駄に不安が湧きあがってくる。

 焦る気持ちを抑えながら、視線をPCディスプレイの時計に視線を向けた。


 九時五六分、五七分、五八分。

 進んで行く時計が遂に九時五九分を刻む。


 目を閉じる海斗。

 額を嫌な汗が伝い――


「おっはよーございまーす!!」


 けたたましい音と共に、事務所内に駆け込んで来る鵜坂。

 彼女は膝に両手を突きながら、ゼイゼイと荒い息を吐いている。


 海斗は無事な後輩の姿を見て、自身の考えが杞憂だったことにほっと息を吐く。

 額に浮かんだ汗を拭いながら、彼女に視線を向けていると――


「おい鵜坂ー、お前ギリギリすぎんぞ? 社会人としてたるんでるんじゃないか!」


 鵜坂の元へと歩み寄った、脂ギッシュな上司が声を上げる。

 腕を組み威圧的な態度。

 朝一であるにも関わらず額はテラテラと輝いており、生理的険悪を感じさせた。


「すいません小宮山さん! 今後は気を付けます!!」

「俺が新人の頃は、誰よりも早く出社して自主的に掃除してたもんだ」


 ――始まってしまった。

 うんざりとした空気が、事務所内に流れる。

 いわゆる老害に良くある、昔は○○だったと言うヤツだ。


 ギリギリの出社は良くないことだが、既に鵜坂は謝罪している。

 しかしこの肉だるまの耳には入っていないようだ。


 ためになることなど一ミリも存在しない。

 不快な声音を近距離から聞かされる、まるで拷問のような時間。

 始業時刻が経過しているのであれば、それはただの業務妨害でしかない。


「やる気有るのか?」「お前は気楽でいいよな」「常識だろう」


 エンドレスで繰り返される、嫌われ上司の定番ワード。

 録音したらコイツの人生、終わらせられるんじゃね?

 誰もがそう思える程に、問題発言の数え役満状態だった。


 そもそもゴミや――小宮山はギリギリだと言っているが、別に遅刻した訳ではない。

 それは時間的に意味ではなく、契約的な意味でも、だ。


 海斗を含む社員の契約は、専門職――いわゆるフレックスタイム制となっている。

 コアタイムは存在しているが、それは一〇時からではない。

 つまり鵜坂が叱責される理由など、そもそも存在していないのだ。


 これは無能な上司による。

 『俺、上司の仕事してるぜ』アピールに過ぎない。


 毎度のことながら、余りの酷さに海斗は目眩を覚える。

 助け船を出そうと椅子から立ち上がろうとし――


「……?」


 ずっと彼女の方を見ていたからだろう。

 ふいに視線が交わった鵜坂は、不思議そうに首を傾げる。

 何かを考える仕草を見せ――


「さっすが小宮山さんっす! 半端ないっす! ほんと尊敬しちゃうっす! いやーこれからも大先輩から色々学ばせていただきます!」


 びしっと敬礼を決めながら鵜坂は言い放った。


「あ……ああ、分かってるならいい。これからは気を付けろよ」

「はい! 了解しました大先輩!!」


 その勢いの押されたのだろう。

 小宮山は話を打ち切り、自席へ戻るため踵を返す。


 すると鵜坂は――指先で片目の下瞼を引っ張りながら、舌を出す。

 途端に周囲からはクスクスと笑い声が漏れる。

 いわゆる『あっかんべー』と言うヤツだ。


「……なんだ?」


 不思議そうに饅頭が振り返ると、視線の先で鵜坂が神妙な表情を浮かべている。

 何が起こっているのか理解出来ない。

 脂肪に塗れた顔には疑問が浮かんでいた。


 しかし上司の疑問が解消されることはない。

 自席に戻るまで微かな笑い声は止むことがなかった。



「センパーイ! さっき私のこと、助けようとしてくれてましたよね! ありがとうございます!!」


 海斗の元へとやってきた後輩。

 無意味な独演会を潜り抜けた鵜坂が、小声で囁く。


「いや、結局自力でなんとかしたんだ、別にお礼を言われるようなことじゃないよ」

「それでも、センパイにはありがとう、ですよー」


 明るい笑顔を浮かべる後輩に思わずほっこりする。

 先程まで悩んでいた自分は何だったんだろう。

 そう思えてしまう雰囲気を彼女は醸し出していた。


「まぁお礼は受け取っとくよ。他に用事がないなら仕事に……」

「あっ、センパイセンパイちょっと待ってくださいよ! 他にも用事はありますって!」


 話を打ち切ろうとすると、鵜坂は慌てた様子を見せる。

 他に何のか話題があっただろうか?

 思い当たる所のない海斗は、視線で話の続きを促す。


「えっと……私、今……彼氏は居ませんよ?」

「…………急に何の話をしてるんだ?」


 彼女の発した言葉の意味が分からず、思わず素で聞き返してしまう。

 しかし突拍子のなさ過ぎる言葉への対応としては上々ではないだろうか?


「えっ? 何かずっと私の方を見てた気がするんでデートのお誘いかと思って……」


 一体何をどう解釈すれば、そんな考えに至るのだろう。

 思わずポカンとした顔を浮かべる海斗。


「あれ……私の勘違いでした?」

「あ、ああ……ちょっと気になる事があってな」


 再起動した海斗が口を開くが――


「気になる事ですか? それってやっぱり私の……」


 なぜか鵜坂は話題を元に戻そうとする。

 彼女に付き合っていては、話が進まない。

 ここはこちらが会話を主導する必要がありそうだ。


「いや、土曜日なんだけど大通りで鵜坂のことを見かけた気がしてさ、その時、凄いシリアスな顔してたから何かあったのかと思って」

「…………大通り、ですか? えっと、それって……本当に私でした?」


 詳細を伝えると、彼女は問い返してきた。

 その言葉に不審な部分など存在しない。

 だがなぜだろう、どこか探るような気配を感じる。


「途中で見失っちゃったんだけど……」

「じゃあきっと気のせいですよ! きっと私に会いたくて幻覚をみちゃったのかもしれませんよ? ほらほら! もっと見ても良いんですよ~♪」

「…………」


 明るく振舞う後輩の姿を見ていると、何かを隠しているようには見えない。

 週末からずっと海斗の気は張り詰めていた。

 そのせいで何でもないことが気になってしまうのかもしれない。


 だがこの僅かに感じる違和感を放置してもいいのだろうか。

 念のためもう少しだけ確認しておいた方が良いのでは?

 海斗は不安を解消するため、口を開こうとし――


「でも心配してくれてありがとうございます、センパイ!」


 無垢な笑顔を見せる後輩を前に、次の言葉が出てこない。


 やはり考え過ぎか。

 それにこれ以上は踏み込みすぎな気がする。


 彼女がそう言うのであれば、きっと見間違いなのだろう。

 拭えない違和感に蓋をし、海斗は鵜坂の言葉に手を振り気にするなと返した。

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