ダンジョンアドベンチャー③
二人並んで通路を進んでいくと、どこか嗅ぎ覚えのあるような鉄臭い香りが漂って来た。
これって何の匂いだったっけ? そんな疑問が海斗の脳裏を過ぎる。
ティセにも確認してみるか、そう考え視線を彼女に向けてみると――
「うぅ……何か嫌な予感がするよぉ」
少し身体を震わせながらティセが不安を口にする。
二人の視線が交錯した瞬間、ティセが海斗の肩にギュッと抱きついてきた。
どうやら彼女も海斗と同じように嫌な予感を感じているらしい。
もし自分一人だけが感じている不安であれば、当てにならないと無視していただろう。
しかしティセも同じ感情を抱いているのであれば、偶然や気のせいだとは思えない。
「ティセ。もし不安なら……」
海斗は服の胸元を引っ張りながら彼女に声をかける。
「マスター……いいの?」
遠慮するように小さく声を漏らす彼女に、気にするなと頷きで答えを返す。
すると次の瞬間、ぴゅーと音が出そうな勢いで飛んできたティセは、海斗の胸元に収まり顔だけを外に出した。
「……ありがとう、マスター」
しおらしく感謝を伝えてくるティセ。
普段の明るい彼女との対比に、海斗は思わずドキリとしてしまう。
「……気にするな。しっかり掴まってろよ?」
不意に湧きあがった感情をかき消すように、ぶっきらぼうに言い放つ。
「うん!」
しかしティセはそんな海斗の様子に気付くことなく、笑顔で感謝を伝えてくる。
不安の色はまだ完全には消えていないが、少し安心しているのかその声に影はない。
頷きティセに答えながら、視線を通路の先へと向ける。
ここからは慎重に進んだ方がよさそうだ。海斗は一歩一歩、周囲に気を配りながら通路を先にへと進んでいく。
注意を切らすことなく移動を続けていると、程なくL字の曲り角に差しかかる。
先程から歩を進める毎に、少しづつ鉄の匂いが濃くなっており――脳内に響く警戒音も強くなっていた。
これがB級ホラーなら角を曲がった先に化け物がいて――そんなバカみたいな想像が海斗の頭に浮かんでくる。
しかしそれは現実で起こるはずのない出来事。本来ならば切って捨てて問題のない考えだろう。
だが今いるのは、ダンジョンという非現実的な場所。
何が起こったとしても不思議ではない。
慎重に慎重を重ね、どんな状況にも対応出来るようにと気を引き締める。
普段の海斗であれば、既にヘタレて引き返していたかもしれない。
だがもしここで確認しなければ、後々避けることの出来ない致命的な問題に発展する可能性があった。
震え出しそうになる身体。
しかし胸元に感じる温もりが、一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。
恐る恐る曲がり角から顔を出すと、その先には座り込んだ人影が見えた。
ほっと息を吐き出し人影に声をかけるため、曲がり角を出て一歩を踏み出し――その場で足を止める。
クチャクチャと何かを貪るような咀嚼音。
目に飛び込んできたのは座り込んている人影。そしてその奥に横たわるもう一つの――
それが何なのか認識した瞬間、海斗の顔は硬直し血の気が引いたように真っ青になる。
淡い光に照らされるその先には、初めて目にする――理解しがたい異形の姿があった。
海斗は自分の目がおかしくなったのではないかと、何度もまばたきを繰り返す。
しかし、視界に映る異形の姿は消えることはなかった。
まばらに生えた髪。尖った耳。その皮膚は薄汚れた緑色で、腰蓑一つを身に着けた姿はとても人間のものとは思えない。
座っているため正確とは言えないが、恐らく身長は小学校高学年程度。
ちらりと見える横顔には赤い輝きを宿す鋭い目。口元は赤く濡れ鋭い牙が生えているのが見える。
異形の姿を例えるならば――鬼。アニメや漫画の世界に登場するモンスターと表現するのが適切だと思われた。
理解したくない。海斗の脳が目の前の光景を否定する。
しかし胸元で声を押し殺し小刻みに震えるティセの温もりが、目の前の存在が現実のものであると物語っている。
「……ご、ゴブリン」
ティセが聞こえるか聞こえないか。消えそうなほどか細い声で囁いた言葉。
ゴブリン――それはファンタジーにおける定番の存在。
子供程度の知力や腕力を持ち、繁殖力だけが取り柄。
ファンタジーの世界であれば、最弱のモンスターとして認知されている。
しかし今直面している状況はどうだろう。最弱だなどと、とんでもない。もし目の前にいる化け物がゴブリンだったとしても、海斗の感じている恐怖は本物だ。
現代日本では暴力は悪とされており、夜中に女性が一人でコンビニに出かけられるくらい平和とされている。
巷に溢れる創作物の世界で疑似体験することはあれど、暴力やそこから導かれる死を日常生活で感じることはない。
だからこそ海斗は思う。目の前で起こっていることはなんなのだろう、と。
静寂につつまれた空間に響くクチャクチャとした咀嚼音。
そこに存在するのは圧倒的にリアルな、暴力と死の気配だった。
心臓が激しく脈打ち、鼓動の音が煩いほどに耳に響く。
恐怖に縛り付けられた身体はピクリとも動ない。
血が出るのではないかと思えるほど、強く握り閉めた拳がその緊張を物語っていた。