社畜の日常
人間興味のないことは、当人にとってどんなに大きなことであっても気にならないものだ。
職場の同僚が髪型やメイクを変えたとしても気付かない。
そう例えると分かり易いだろうか? 特に男性はその傾向が顕著だと思う。
一〇畳程度の室内に並ぶ無数のデスク。室内には、キーボードを打つ軽快な音が響く。
壁掛け時計は昼前を指し示しており、席に着いている人影はまばら。
見慣れた代わり映えのしない光景。
それが海斗の職場――所謂ブラック企業と言うヤツだった。
清涼飲料水の入ったペットボトルで喉を潤しながら、自身のノートPCに目を向ける。
もう少しで切りの良いところまでチェックが終わりそうだ。
そう考え、再度作業に取り掛かろうとしていると――
「藤堂、これ頼むわ」
海斗の元へやって来た小太りの男が、目の前に紙束の資料を差し出して来た。
「小宮山さん? これって……」
疑問に思いながらも差し出された資料を受け取り、軽く目を通す。
どこかで見覚えのあるタイトル。
海斗の記憶が正しければ、これは同僚が担当する予定だった新規案件だ。
なぜこの資料が手渡されるのか。
とは言え相手は仮にも上司だ。
嫌な予感を覚えながらも、無視する訳にもいかない。
「あれ? この案件って、高橋さんが受け持つ案件じゃなかったでしたっけ?」
「そうだったんだけどな。何かアイツ、体調不良みたいでな」
嫌な予感ほど的中するものだ。上司から返ってきたのは海斗の想像通りの答えだった。
恐らくこの案件を海斗に持たせたいと言うことなのだろう。
「俺も今は手一杯ですよ? それに体調不良なら復帰してからで良いんじゃ無いんですか?」
しかし、そう簡単に引き受ける訳にはいかない。
海斗とて目の前の業務で手一杯。それに他にも受け持っている仕事がある。
資料に書かれた日付を見るに、今日明日始めなければいけない案件ではない。
ならば同僚が復帰するまで待ったとして問題ないだろう。
「あーほら、最近流行の……何だったっけ? 原因がよく分からないヤツ。病院に行ったらアレだって診断らしくてな。正直いつ復帰出来るか分からんのだわ」
「う~ん。そうは言っても今は俺も新規の案件が始まったばっかりですし……」
何とか出来る物なら協力したい気持ちもある。しかし自身の手持ち案件も新規だ。
どうしても初動は時間をかけてしっかり座組諸々を作る必要がある。
もし仮に制作仕様一つ取ってもクライアント側と齟齬が発生すれば大惨事だ。
初動でしっかりと協議し、お互いの制作意図を摺り合わせなければならない。
万が一にもここでミスをしてしまえば、そこから先は地獄の修正レースが待っている。
海斗は今まで何度もそう言った事故案件の尻拭いをしてきた。
だからこそ、ここで新たな業務を持つことは自殺行為だと理解していた。
「藤堂が直接やるんじゃ無くて、ほら鵜坂をメインにしてお前がサブな感じで頼むわ」
「えっ!? 流石にいきなり新規案件は……」
上司の言う鵜坂とは今年入社したばかりの新卒のことだ。
まだ入社してから一か月も経っていない新人。
そんな相手にいきなり新規案件を持たせるなど正気の沙汰ではない。
「アイツには俺の方から伝えとくから。んじゃ、後は任せるわ! よろしくな!」
しかしクソぶ――上司から放たれたのは非情な宣告。
その新人の教育を任されているのは海斗だ。
つまり今の言葉を意訳するなら『後はお前に全部任せた』と言った感じだろう。
こうやって無理矢理仕事を押し付けるから、お前は社内で嫌われてるんだよ。
人に押し付けるんじゃなくてテメエでやれや!
そんな暴言が思わず口をついて出そうになる。
セクハラ、パワハラ、モラハラの数え役満。
挙げ句の果てには部下に大量の仕事を押し付け自分は定時で帰る。
そんな上司が存在している辺り、正にブラック企業と言ったところだろう。
とはいえ目の前にまた一つ仕事が積まれたことは変えようのない事実。
去って行く悪魔の油ギッシュな背中を眺めながら、海斗は深くため息を吐くしかなかった。




