恐るべき強敵②
何故、どうして? 海斗の脳裏に浮かんだのは疑問の言葉。
想定外の事態に一瞬頭の中が真っ白になる。
ボス部屋の外で待機していたはずの歌恋がなぜここに!?
全く考えもしていなかった出来事は、海斗に大きな衝撃を与えていた。
本来であれば致命的な隙。
しかし追撃はなかった。
理由は分からないが、中段に構えたまま騎士は微動だにしない。
強いプレッシャーは感じるが、先程まで存在していた強烈な殺気はなかった。
真紅の眼から視線を外すことなく、じりじりとすり足で歌恋の元へと後退していく。
海斗はふと気付く。漆黒の騎士の瞳が自身を捉えていないことを。
ヤツ視線の先には――歌恋の姿。
まずい! そう考えた時にはもう遅い。
急いで彼女の元へと駆けるが、ヤツの動きはこちらより早かった。
歌恋の前には彼女を見下ろすように立つ漆黒の騎士。注意を引こうとティセが攻撃を繰り返すが、騎士は一瞥もせず歌恋の額へと手を翳す。
「……ッ! 歌恋!?」
呼び声は虚しく響き、彼女は崩れるように地面へと倒れ伏していく。
「オオオオオォォォ!!」
駆ける勢いのままに全力で大剣を振りぬく――が既にそこに騎士の姿はなく、刃は虚しく空を切る。
消えた騎士の姿を探し、海斗は視線を左右飛ばす。
――見つけた。漆黒の騎士は女神像の前。
中段に構えた大剣の切っ先を海斗に向けているが、女神像の前から動く気配はない。
ヤツが何を考えているのかは分からない。もしかするとただの気まぐれなのかもしれない。だがこの好機を逃す理由はなかった。
海斗は漆黒の騎士から視線を切ることなく、摺り足で歌恋へと近づいていく。
上下に動く胸元。彼女が無事であることを確認し安堵する。
大剣を片手に持ち替え、背中から抱えるように手を伸ばし絶句した。
――熱い。
彼女の身体は服越しでも分かるほど、高熱を発していた。
「ごめんマスター……アタシ」
歌恋を止めることが出来ず悔いているのだろう。ティセが申し訳なさそうに声をかけてくる。
「ティセ話は後だ。今は……」
こちらの意図を汲み取り彼女は頷く。
「歌恋、少しだけ我慢してくれ……」
大剣を中段に保持したまま、片手で意識のない歌恋を抱き抱える。海斗はティセを伴い、じりじりと後方に下がっていく。
一歩また一歩と扉へ近づいてはいるが、海斗の歩みは驚くほどに遅い。
それは歌恋を抱えていることが理由ではない。
いつ漆黒の騎士が沈黙を破り、斬りかかって来るか分からないからだ。
緊張が海斗の身体に、尋常ではない負担を強いていた。
「…………」
意識を失いこちらへと完全に身を委ねる歌恋。その荒い息遣いからも察することが出来る。可能な限り早く、彼女を休ませる必要があると言うことを。
海斗の心にただただ申し訳なさが募る。もっと他に出来ることがあったはずだ、と。
無理をせず昨日の戦闘を早く切り上げていれば。
いやそれ以前に、いくら彼女が希望したとは言えもっと自分も前に出ていれば。
後悔は先に立たない。まさかこんな場所でその言葉の意味を理解することになろうとは。
複雑な感情に苛まれながらも後退を続けていると、漆黒の騎士が一歩足を踏み出す。
ビクリを身体が反応する。動きを止め大剣を保持したまま騎士の挙動を注視する。
歌恋だけは逃がしてみせると決意を固め、前方へと睨むように視線を向けていると――
漆黒の騎士は大地に大剣を突き立て柄頭の上にのせた両手を組み、完全に待機の姿勢に入った。
その姿からは一切の戦意を感じない。
閉ざされた扉までの距離はあと数歩分。
この場所からなら、もし漆黒の騎士が襲い掛かってきたとしても、何とか歌恋だけは逃がすことが出来るだろう。
脱出を優先し、背を向け走り出す。数秒の後には無事部屋からを抜け出すことに成功した。
振り返り漆黒の騎士へと視線を送る。
――貴様が再び来るのを待っているぞ。
兜の奥に浮かぶ真紅の瞳が、そう語っているように見えた。