歌恋
今回は歌恋視点でのお話となります。
彼の立てた『ゴブリン達が眠るのではないか』と言う仮定を検証するため、三人で広間の様子を窺う。
歌恋から見た海斗の姿は常に冷静で、とても頼もしく感じる。
藤堂さんは凄い。
歌恋は本心からそう思っていた。
そう思い返せば。歌恋は海斗との出会いに想いを馳せる――
出会いは突然だった。
ゴブリンに追い詰められ後がない状況。
自らの身に訪れるであろう未来に震えることしか出来ず――
誰も助けになんて来てくれない。そう思っていたのに。
彼はそんな状況を救ってくれた。
「もう大丈夫。安心して」
そう言って手を差し出す姿は、まるでゲームや小説の中に出てくる王子様のようで、思わず頬が紅潮してしまった。
そもそも歌恋は男性と話すことが得意ではない。
幼い頃、同年代の男子にはバカにされたり意地悪をされていた。
加害者にとってはたわいのない悪戯心。好意の伝え方が分からず行われた行為。
しかしそれは歌恋にとって非常につらい出来事だった。
もし友達が庇ってくれなければ、登校拒否になっていたかもしれないほどに。
高校に上がる頃にはそう言ったこともなくなった。だがその頃には同年代の男子と言うものに、苦手意識を持ってしまっていた。
またその頃を境に、歌恋は街で沢山の男性に声をかけられるようになる。
注目されることに喜びを覚えるような性格ならば問題なかったのかもしれない。
だが歌恋は無遠慮に向けられる視線に良い感情は抱かなかった。
嫌だと言えれば良かった。でもその一言を伝えることが出来ずに不満は溜まり続ける。
友人の反応から、声をかけてきた人の中には一般的に格好いいと言われる人もいた。
しかし歌恋からしてみれば、なぜ自分ばかりこんな目に、と悪い方向にしか考えられなかった。
そんなことが続けば、異性と話すことが苦手になっても仕方ないだろう。
気が付くと歌恋の周りにいる男性は幼馴染みぐらいだった。
別に無理をして男性と話す必要なんてない。それで問題ないと思っていた。
しかし海斗は違った。他の男性が浴びせて来るような無遠慮な視線が一切感じられず、普通に話をすることが出来た。
助けられたことが理由なのか、それ以外の要因があるのか。
詳しい所は歌恋にも分からない。
でも何故かもっと彼のことを知りたい。そんな風に考えていた。
だからなのだろうか。
「なるほど。あの時、公園で痴話喧嘩をしていた……」
その言葉を聞いた瞬間、反射的に否定していた。
後で考えると幼馴染みに少し悪い気もしたが、その時は全くそんな風に思う余地もなかった。
情報交換している時も一緒に食事している時も、歌恋の視線はつい海斗を追ってしまう。
ティセと仲良く話している姿に、少し嫉妬にも似た感情を抱いてしまうほどに。
それは目的の場所に到着し、洞窟内にカフェの店舗があることを確認した後。二人でゴブリンの様子を窺っている時も変わらなかった。
――視界に映るゴブリンは非常に多い。
「そろそろ、行くか……」
暫く様子を見ていると、彼が行動を開始しようとする。
「あの……わ、私も……」
私も藤堂さんの力になりたかった。でも続く言葉が出てこない。
――怖い。
沢山のゴブリンを見ていると、あの時のことが思い出されて身体が震える。
「俺が気付かない内に背後を取られたりするかもだし、念のために……ね?」
だからこそ、彼の差し出した助け船につい頷いてしまった。
情けない。私はなんて情けないんだろう。
いつも肝心な時はこうだ。
この場所に来る前、勉強と進学のことしか口にしない母に電話口で怒鳴ってしまった時もそうだ。
元を正せば、私が自分の意見を母に伝えることが出来ていなかったから。
ずっとずっと憧れ続けた夢。
『もしかしたら笑われちゃうんじゃ』
考えれば考えるほど不安になって、伝えることが出来なかった。
でももし勇気を持って自分の気持ちを伝えていたら、理解してくれていたのだろうか。喧嘩することはなかったのだろうか。
出来ることなら謝りたい。私が何を考えているのかを伝えたい。でもすぐに話をすることは出来ない。今の状況がそれを許さない。
私は今までずっと、大切なことを伝えられないまま生きてきた。
「うんうん。流石マスター!」
当たり前のように語るティセに同意の頷きを返す。
海斗が広間に入ってからまだ一〇分も経っていない。
しかし既に門番ゴブリンを含め一二匹のゴブリンが地に伏していた。
あっという間の出来事に歌恋は驚きを隠せない。
私の力なんて必要ないよね。そう考えるしかない状況。
だが状況は突然現れた巨大なゴブリンによって変化した。
普通のゴブリン相手とは全く違う激しい戦いが繰り広げられる。
拮抗していた戦況が少しずつ傾いていくのが理解出来た。
このままだと藤堂さんが危ない!
何か出来るわけではない。でも何もしないままでいたくはないと思った。
しかし足は動かない。勇気を振り絞ろうとするが、カタカタと身体が震え出す。
動け! 動け!! 心で叫ぶが意思に反し動かぬ身体。
自分の情けなさに涙が浮かびそうになる。
「マスター!?」
「藤堂さん!!」
思わず声が漏れた。
一瞬で状況は動き、海斗が大剣の一撃で吹き飛ばされる。
倒れる海斗に一歩一歩近づく巨大なゴブリン。
海斗に向かって飛び出そうとするティセ。
歪む彼の顔を見た瞬間――
「えっ! 歌恋ちゃん!?」
驚くティセを置き去りに、歌恋は走り出していた。
先程まで震えていたのが嘘のように身体が動く。
何が出来るかなんて分からない。いや海斗が敵わぬ相手に何か出来るわけがない。
しかしもうこれ以上、何も出来ないままでいたくはなかった。
全速力で海斗の元へと駆け寄る。
少しだけでいい。隙を作ることが出来ればきっと――
考えろ。何でも良い。何か――そうだ!
まるで脳内で電球が輝くかのような閃き。
歌恋は全速力で室内を駆け抜けながら、持っていた鞄に手を差し込み――
次回から元の海斗視点に戻ります。