少女①
海斗は今度こそ少女に視線を向ける。しかし彼女は身動ぎ一つしない。
恐らくゴブリンに襲われたことでショックを受けているのだろう。
ゆっくりと少女を刺激しないように近づいていく。
すると目の前にやってきた海斗の姿に気付いたのだろう。少女は驚きの表情を浮かべ、目を見開いている。
何が起こっているのか理解出来ない。
少しズレた眼鏡が少女そんな心情を表している様だった。
「大丈夫ですか?」
海斗が声をかけると少女は過剰とも思えるほどビクリとした反応を見せる。
日常とかけ離れた体験をしたのだ、それも仕方のないことだろう。
もっと気の利いた言葉をかけられれば、そう思いもする。
だがもしそんなデリカシーがあるのなら、毎年バレンタインやクリスマスの度に陰鬱な気分を味わうこともなかっただろう。
見た目から判断するに、少女は学生である可能性が高い。
例え世の中的にアレな会社に務めているとは言え海斗は社会人だ。
人生の先達である以上、明らかに年下の少女を怯えたまま放置することは出来ない。
海斗は片膝を突き可能な限り少女に視線を合わせる。
「もう大丈夫。安心して」
相変わらず気の利いた言葉は出ない。
我ながら情けない。そう反省しつつも手を差し出しながら、出来る限りの誠意を込めて呼びかける。
「……ッ」
少女の肩が震えだし、その瞳には滴が溢れ出し――トン、と海斗の胸元に軽い衝撃が走った。
額を押し付けるようにすがりつき、少女は声を上げる。
恐怖と安堵、感情の大きな変化が未成熟な心に、どれほど負担を大きな負担をかけたのか。当事者でない以上、それを推し量ることは出来ない。
立派な大人ならこんな時こそ、その包容力を見せるときだろう。
だが動けない。海斗にとっては今まで一度も経験したことのない状況。
故に流れる涙を止める方法など分かりはしない。
困ったようにティセに視線を向ける。すると彼女は自身の身体をぎゅーっと抱きしめジェスチャーで取るべき行動を伝えてくる。
流石にそれは。海斗は首を振り無理を言うなと意思を伝えるが、ティセはむーっと頬を膨らませ納得しない。
ジェスチャーを繰り返すティセを視線の端に捉えながら、海斗はただされるがままになるしかなかった。
「グスッ……あ、あの……」
鼻をすすり、少女は恐る恐る声をかけてきた。
頬に跡は残っているが、もう涙は流していない。
少女と海斗の視線が交わる。
艶やかな黒髪は肩にかかる程度のミディアムヘア。
今は赤くなってしまっているがその瞳は優しげで、眼鏡もあいまって優等生と言った雰囲気を醸し出している。
控えめに評しても整った顔立ち。豊満とまでは言えないが、出るところはしっかり出ているメリハリのある肢体。
恐らくどんな学校の中であってもトップクラスに位置するだろう。そう思えるほどに整った容姿の美少女。
もし学生の頃、同じクラス――いや学校に彼女がいたなら密かに想いをよせていたかもしれない。
そんな考えを抱くほどの魅力を、少女は持っていた。
「あ、ありがとう、ございました……えっとその……」
何かを言葉にしようするが、中々言い出せない様子。
ただ急かす必要もない、もし敵対者が近づいて来ればティセが気付くだろう。
ならば情けない話かも知れないが、少女が口を開くまで待つのが良さそうだ。
下手に話題を振るのは怖いし。海斗はそんな感情が透けて見える選択肢を選ぶ。
「あの……私、一ノ瀬歌恋っていいます! お、お兄さんは……」
胸の前でぎゅっと両拳を握りながら、少女――一ノ瀬歌恋は口を開いた。
――お兄さん。
その言葉に緩みそうになる表情筋を必死に押さえる。
三〇台は敏感なお年頃。そうおじさんと言われ始める時期だ。
海斗は普段、会社の人間としか接していない。職場では普段苗字にさん付けで呼ばれている。
久しぶりに接する仕事外の人間。それも若い女性が相手だ。
認めたくはないが年齢差を考えた場合、悲しい呼称で呼ばれても仕方ないと思っている。
だからこそ何気なく発した歌恋の言葉は、意図せず海斗の心証を非常に良くしていた。
「…………」
歌恋は答えを待つようにじっと海斗を見つめている。
――つい嬉しくなり気を取られてしまったが、流石に海斗であっても今求められていることは理解出来た。
求められた内容に答えるため口を開き――
「私の名前は、藤堂きゃいとです」
開いた口から紡がれた言葉は謎の名前?
――やっちまった!! そう思った時にはもう遅い。
萌えキャラではない海斗が名前を嚙んでも一ミリの可愛さも感じられない。
「え、えっと……藤堂?」
聞き間違いだと思ったのか、小首を傾げながらこちらを窺う少女。
舌を出してかみまみまとでも言ってみるか?
いや流石にそんなことをしたら地獄の様な空気になりかねない。
何故こんなことに。海斗は気付いていなかったが、ある意味これは当然の結果。
歌恋は自分より一回りを超えて若い――美少女。
普段接する機会などあるはずもない魅力的な相手に、信じられぬほど緊張していたのだった。