選択と決断②
胸元に保護していたティセを解放し、少し距離を取るようにと伝える。
海斗の側を離れたくないのか、ティセは嫌がる素振りを見せるが、真剣な表情で再度声をかけると渋々了承してくれた。
通路の直ぐ側。一人壁面に背を預けながら息を殺してゴブリンを待ち受ける。
緊張と不安で呼吸は乱れ、身体が小刻みに震え出す。
どうして逃げ場のないこの場所に戻ってしまったのか。何故別の道へ逃げなかったのか。そんな今更とも言える考えが脳裏を過ぎった。
自らの選んだ選択は間違いではないのか。そんな不安が首をもたげる。
だがあの状況でそんなことを考える余裕はあっただろうか。
いやそんな余裕はなかった。それにもし別の道へ逃げていたとしても、そこに何があるのか海斗には分からない。
もしかするとその先には、ゴブリンよりも凶悪なモンスターが存在している可能性もある。
弱気になってはいけない。どれだけ考えた所でタラレバ話の答えなど分かるはずもないのだから。
既に選択はなされている。そう海斗の手から賽は投げられたのだ。
運命と言う名のダイスがどのような目を指し示すのか、それは――もし存在しているのであれば――神のみぞ知る所だろう。
戦う以外に生き残る道などない。ならば今できる最善を尽くすのみ。
覚悟を決めた海斗の身体から震えが消える。
「ギッ……ギ、ギッ……」
耳障りな声が待ち構えていた海斗の元に届き、続いてザッザッと地面を擦るような足音が聞こえる。
来い、早く来い。
逸る気持ちを抑えながらゴブリンの到来を待ち受ける。
大きく深呼吸しグッと強く、手にした石を握り締め構えた。
足音が少しずつ大きくなり、ゴブリンの気配が近づいて来るのを肌で感じる。
まだだ、まだ早い。
唯一頼ることの出来る手にした武器を強く握り振りかぶる。敵対者に全神経を集中させると、鼻腔を錆びた鉄の様な匂いが刺激した。
絶対に自分はあんな風にはならない。
犠牲者の姿を思い出した瞬間、海斗はゴブリンに明確な殺意を抱く。
通路から緑色の影が部屋へと踏み込んだ瞬間――
「うおおおおぉぉぉぉ!!」
絶叫を上げながら渾身の力を込めて腕を振り下ろす。
「ギギッ!?」
気配に気付いたゴブリンは驚いた表情を見せ此方に視線を向けた瞬間。
「グギャァァ!!」
――会心の一撃。そう言っても過言ではない攻撃が緑色の頭部に吸い込まれた。
「ギャッ……グギャッ、ギャァァアアア!!」
まさか獲物に反撃されるとは考えもしていなかったのだろう。
ゴブリンは片手で頭部を押さえ倒れ込みながら、ナイフを持った手でこちらを遠ざける様に短剣を振るう。
その表情は恐怖とも怒りとも取れる微妙な表情を浮かべている。
だが容赦はしない。
先ほどまで感じていた恐怖などなかったかの様に、好戦的な衝動が脳内を埋め尽くす。
ゴブリンの振るう刃を無視し、海斗は覆いかぶさるように何度も腕を振り下ろす。
「グッ! ギャ! グゲェ!!」
肉片が飛び散り顔を赤く染めるが、海斗は止まる様子を見せない。
不快な声音が耳に届くが、湧きあがる衝動のまま狂った様に攻撃を続ける。
グチャ、グチャと生理的険悪を抱く水音が室内に響き渡り、地面に赤い染みが広がっていく。
海斗は繰り返し繰り返し、壊れた機械の様に同じ動作を繰り返していた。
「……ター! マスター! もう大丈夫だよ!!」
ティセの声にハッと我に返る。
「はぁ、はぁ……はぁ……」
海斗は荒く乱れた呼吸を繰り返しながら、焦点の合わぬ目で虚空を見つめる。
目の前に広がるのは、まさに惨劇の後。
ピクピクと痙攣しているナニカは最早原型を留めておらず、手に残った感触も相まって不快感が湧きあがってくる。
言葉に出来ぬ不快な匂いが鼻を突き――海斗は激しく嘔吐いた。
吐瀉物とゴブリンだったモノが混ざり合ったソレは、まさに地獄と形容すべき光景だった。
海斗は仰向けに倒れ込みながら両手で顔を覆う。
何故か溢れ出す涙は赤い斑模様を描きながら流れ落ち地面へと消えていく。
「ははっ……ははははははははは!!」
海斗は泣き笑う。
それはまるで狂ったのではないかと思える様相。いや狂っていたならどれほど良かったことか。
理解していた。いや理解出来てしまった。
――命を奪った。
それは自らの意思で行った禁忌の行為。
やらなければやられていた。確かにそうだろう。
だがそれを選んだのは自分自身。言い訳など出来るはずがない。
別の方法があったのではないか。ここまでする必要はなかったのではないか。
手の平に残った消えない感触が自分のことを責め立てている様に感じる。
「……マスター」
優しい声と共に、ティセはそっと海斗の顔を抱きしめた。
「大丈夫……大丈夫だから。マスターは何も悪くなんてないよ」
ティセは流れる涙に濡れることを気にもせず、優しい声と共に海斗の頭を撫でる。
柔らかな温もりを頬に感じながら、海斗は静かに涙を流し続けた。
どのくらい時間が経ったのだろう。
止めどなく溢れていた涙はもうない。唯一残ったのは頬に感じる柔らかな温もり。
少し照れくさくも感じるが、ティセには感謝しかなかった。
もしも彼女がいなければ、罪悪感に潰されて蹲ったまま動けなくなっていたかもしれない。
「ティセ……ありがとう」
「えへへっ、もう大丈夫そうだねマスター」
心の底から感謝の言葉を伝えると、ティセは照れくさそうに笑う。
この場所に来てから、どれほど彼女の存在に救われただろうか。
まだ心わだかまりは残っている。しかしこの小さくも優しい少女を護るためにも強くならなければ。
海斗が強く願った瞬間――
『レベルアップしました』
突然、脳内に聞き覚えのない声が響いた。