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幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(7)

 其 七


 雪雄の眼には、どう理解すればいいのかという男と女が二度、三度と出たり入ったりして挨拶をしていたが、やがて美人が現れ出た。しかし雪雄は恥ずかしさでドキドキして(おもて)を上げる勇気もなく、どのような女が何人来たかも分からず、初めに衣の音を聞いて思わず頭を低くし、首を上げた時には立ち去っていくだけの後ろ姿をちらと見るばかり。生まれて以来まだ感じたことのない妙な心持ちに少し胴震いさえ出るほどにビクビクして、ほとんど坐っていることも出来ないような状態だった。

 しばらくして、福岡が小さい声で、

「どうだ、花岡、眞里谷君のは実に凄い美人だ。妬ましいくらいの美貌で、(とし)も若い。まだ泥水にはちっとも染まっていない処女同然のその好ましさ。僕の相手の奴に手を取られるようにしてようやく出て来たが、押し出しは聞かないと言うものの、その初々(ういうい)しさには言うに言えない値打ちがあると言うものだ。肩をすぼめて小さくなって、顔も上げることも出来ずに嬌羞(きょうしゅう)を含んでいたが、可哀想に世馴れないので震えていたのか、頭髪(あたま)の飾りが震えていたわ」と言うのを黙って聞いていて、腹の中では、

『こいつ、いよいよ自分に向かって、無礼にも(なぶ)り掛かるか』と感じて、雪雄は嫌がらせを受けた様に思ったが、実際は花岡、福岡の二人は雪雄の様子を見る(ひま)もなく、眼をうるうるさせ、鼻の穴を大きくさせながら女の方だけを必死で見ていたのであった。


 花岡だけは馴染みの女が居るようで、その女の座敷に三人とも移動して、改めて酒宴を始めたので、雪雄はいよいよ堪えがたくなった。愉快げに笑う花岡の声も気に食わず、不思議な大法螺(おおぼら)を吹いて、滑稽話(おどけばなし)をしては、皆をどっと笑わせる福岡の芝居(しばい)めいた話も癪に障り、年老いた女等が自分に親切顔で、何やかやと世話をしてくれるのも胸悪く、何から何まで見るのも厭、聞くのも厭、羽翼(はね)があるならここを飛び出して、一ト息に我が家へ帰り、昨日、一昨日の夜のように物静かに自分の書斎で自分の好きな書物を燈下(とうか)(ひもと)き、心豊かに読み味わいたい思いが燃えてきた。しかし、そんなことを言い出しても通じることもない状況に、虫を殺して口も開かずにいる辛さ、こんな所に居ることは良くないと思う良心の刺激を無理に押さえ込む辛さ、(こら)えても堪えても堪えきれず、もうどうしようもなくて、この席が早く解散すればいいのに思うばかりに、今度は(いつわ)って酒に堪えかねて寝たふりをすれば、予想していたように福岡が、

「どうだ、花岡、もう眞里谷君は酒に弱ってしまった様子だ。いい加減に切り上げてしまおうではないか」と言い出せば、花岡も、

「それが好いだろう」と同意した。


 もう少しでこの悪所を出られると(ひそか)に喜ぶ眞里谷雪雄、年増の女と茶屋からついてきた女とに助けられ、長い廊下をずっと通った後、静かな一室に送り込まれた。六曲の屏風と美しい襖に囲まれて、燈火(あかり)(ゆる)く燃える室内は、明るすぎもせず暗すぎもせず、床の間の装飾も特に見るべきものもないけれど、取り立てて厭味な所もない。

 雪雄はその室に導かれて、しょうがなく洋服のまま蒲団を背に身体を休ませていると、初心者と見下して、子どもをあしらうように、一人は洋服を脱がせに掛かり、一人は寝衣(ねまき)を着せ掛かる。

 そうされてはいよいよ帰宅(かえ)ることも出来なくなると、一生懸命拒みに拒んで、遂には言葉を荒げるまでに拒み通し、

「自分の勝手じゃ、構わずにおけ」と追い退()けるばかりに二人を叱るが、たかが喧嘩にもならないことだと先を見越して遠慮もなく、二人は遂に雪雄の衣を()えて、「お休み」と言い捨て、次の間に去ってしまった。

 泣き出しそうになりながら、今更仕方なく、気味悪いとは思いながらも夜具にくるまり、どうやってここから出ようかと考えている(うち)、隣の(へや)で、自分を送ってきた女の声がして、

「それではよろしくお頼み申します。何が、お嬢様と同じことな上、こういう初心(うぶ)なお客様をお連れ申しては、お前様のお気骨が折れることは並大抵ではないと思うけれど、何分よろしくお願いしますよ。いえ何、そうでございますとも、こういうのが(かえ)って後になると意見も聞かないような仲になって、他人(ひと)を困らせるほどの深間(ふかま)な縁になるものでございますよ。ホホ、そうですとも、そうですとも、今夜のお客などは(わたし)()でさえ、今少し綺麗に生まれついていたら、どうにかしてでもと、思うような綺麗な方ですもの。何程(なんぼ)お嬢様でもきっとポッとなされるはず。あら、私をからかっては厭ですよ。それでは彼方(あちら)へ参りますから。おや、(いらっ)しゃいましたね。さあさあ、もう私の役目は済みました。では」と、饒舌(しゃべり)続けて、やがて去って行くと、それと引き違えて、一人また入って来るのがいる、そんな様子が心の澄みきった雪雄の胸に映った。


つづく

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