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幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(5)

 其 五


 軽薄な者同士が寄り合えば、酒は早くも乱れて、無遠慮の素破抜き、駄洒落(だじゃれ)交じりの冷やかし合い、段々と(はげ)しくなって行けば、閨房(ねや)での下劣(いかがわ)しい話も酔いを後ろ盾に声高にやってのけるのはいつものこと。酔い潰れてしまった雪雄には構わず花岡という男は、相手に酒を注ぎながら、

「時に福岡、今日は好いところで会った。どうだ、一晩俺と付き合ってはくれないか。あまり君の嫌いなことでもない話なのだが、君の思惑とはチト違うのだ。ここに往生しているこの堅物はきっと君も知っていると思うが、眞里谷謙齋(まりやけんさい)という者の息子で、歳は若いが馬鹿馬鹿しい程学問が出来くさる変哲(へんてつ)学者だ。ところで、こいつを少し僕に考えがあって、北廓(なか)(かつ)ぎ込んで、『(ひら)けた』男にしたいのだが、何とか手伝ってはくれないか。えっ? 何を(おご)るのかって? それは(ひど)いな。今夜のこの店の勘定を奢ればそれでいいではないか。負けて置いてくれたまえ。君にも結構面白い奴を紹介しようぜ」と、鼻の頭に油を出して頼めば、

「フン」と笑って、福岡という男は、

「いやいや、今夜の勘定くらいではチト済まされないことがある。俺は何もかも知っているぜ。眞里谷の妹にお京という素敵な別嬪(べっぴん)がいて、その女に君がぞっこんだというのを。どうだ、嘘ではあるまい。こんなオネンネを相手にヘボ議論など闘わせて、面白くも無い交際(つきあい)を君がしているのも、つまりは雪雄の歓心を得て、それでその別嬪に気に入られて、その後、(おもむろ)に何とかしようという野心だろうが、それは無益(むだ)だよ。こんな変人を遊里なんかへ連れて行っても(よろこ)びはすまい。一切僕に任せて、軍師と仰ぐなら、君の恋が成就するよう計画してやらないでもないが、それにしてももっと奢ってもらわなくては済まないことだ。ハハハ、どうだ。黙ってしまったところを見ると、僕の(けい)(がん)に照らされて、正体を見られたので弱ってしまったと見えるな。どうだ、言葉に詰まっただろう。オイ、花岡、君も近々代言人(だいげんにん)(*弁護士)を名乗ろうという男にしては眼先(めさき)があまりにも見えなさ過ぎる。雪雄の歓心を得ようとするなら、古ぼけた書物でも捜し出して贈ってやるのが好いと思うぜ。(すい)な世界なんかへ(おび)き出しても到底染まって遊ぶような開けた男には、この変物がどうやってもなるものか。考えても見たまえ、(かえ)って怒られてしまうだろう。それより今日は先ず僕に交際(つきあい)いたまえ。失敬ながら、僕の(さい)が僕をもてなす実意の(てい)を後学のため、君に見せたい。エヘン、オホン、お(やす)くない世界だぜ。是非とも君に見せたい。そして批評をさせたい。いかに聡明を誇る君でも恐らく破綻は見い出せまい。親切尽くめ、実意尽くめのしっとりとした濃い仲というものは、なるほど、こんなものかと、君も驚いて感服するぜ。何? (よだれ)が垂れるだと? 混ぜっ返してはいけないよ。色で逢ったのは既往時(はやむかし)。今は真実(しんみ)女夫合(めおとあ)いと、歌の通りの凄い寸法だ。是非まあ僕に交際(つきあ)いたまえ。こんなネンネは帰してしまって」と、交際(つきあ)わそうとするのは、いずれ劣らず我が(まま)者である。


 けれどもこちらもさるもの。花岡、少しも屈すること無く、

「冗談じゃない。君の惚気(のろけ)は他日拝聴することとして、今日だけは()げて僕の言う通りにしてくれ。この変物ががらりと変わって我等の党員になるというのは僕の見透しているところだが、万一君の説のように相変わらず頑固のままで居たなら、その時こそは降参する。だから今日はどうでも僕の言うことを聞いてくれたまえ」と半ば真面目に、平頼みに頼めば、福岡も遂に承知をして、()(とも)し頃、死人のようになった雪雄を車に乗せるが早いか、北を指して、酔い心地の好い春の夕べの風に(おもて)を打たせて飛び去った。


 夢とも現実(うつつ)とも分からないまま、ぼんやりとなっていた眞里谷雪雄、ふと気がついて車の上に力なく眼を見開けば、ここはどこ? 見たこともない別世界。両側の紅樓(こうろう)(*朱塗りの高い建物)に弦歌の声が(かしま)しいほど湧いて、掛け声勇ましく車の走る響きは百雷が(とどろ)くよう。放歌(ほうか)高吟(こうぎん)の酔漢が三々五々と行き違い、昼かとばかりの明るい中に、今や自分も車を飛ばせて入り込んでいる。

 これは、これはどうしたこと、いつの間に自分は車に乗ってここに来た? 一体ここは何と言うところ。花岡はどうしたと、胸をどきつかせて気を揉む間もなく、雪洞(ぼんぼり)()(つや)やかさが一段と増した夜の桜の花片(はなびら)がちらほらと散りかかる清げな店に自分の前の車が着くと、それと同時に自分の車も又停まった。

 (なま)めかしい声々が、馴れない耳には聞き分けがたいまでに賑やかで、雪雄は()を取られんばかりに迎えられた。


つづく

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