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幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(4)

前回、新三郎は、大金をスリに盗られたことで、関係が気まずくなっていた坂本屋の主人喜蔵から暇を出された。その後、新三郎は、お静の親戚筋に当たる東京神田の練塀町の眞里谷謙齋の家に奉公することになった。今回からは、この物語の主人公の一人である謙齋の息子雪雄が登場する。

 其 四


 六十の老爺(おやじ)も花に浮かれて、春風に千鳥足を踏むこの季節、まして若い者にとって、陽炎(かげろう)の立つ頃は家の中にじっとしてはいられないのは当然であろう。

 こちらも時候の陽気に蒸されて、これと言った目的もなく散歩していると誰にも見える洋服姿の二人連れ。一人は十八か九、色白で上品な育ちの、額は広く曇りなく、鼻筋が通って、口元は女にも無いような愛嬌がある。もう一人は、その兄とも見える年格好で、これも醜いと言うのでもなく、苦み走った浅黒い(たち)の好い男ではあるが、品格はどことなく下がる。鋭い眼付き、薄い唇、愛嬌溢れるような笑い顔、どれも敢えて難の打ち所はなさそうに思えるけれど、二人立ち(なら)んでいると、前の男と比べれば、遙かに劣り、(いや)しく見えるのは、大方育ちの違いなのだろう。


 都を行く男女が雲のように上野を目指して(つど)い寄る中、悠々と歩む二人の、若い方が年上の方に向かって、

「初めて東京に来た者のように、広小路から黒門にかけて歩くこともないでしょうに。三橋(みはし)を左に折れて、仲町(なかまち)(かや)(ちょう)と、不忍(しのばず)(いけ)の向かいを歩いて、東照宮(とうしょうぐう)から谷中(やなか)の方へ抜けた方が好いのではありませんか」と言えば、

「それ、また始まった。とかく君は淋しい方を()くから困る。男も女も着飾って、こう賑やかに楽しげに遊んでいる中に交じった方が好いではないか。柳の(いと)が風に舞うくらいしか他に風情のない池の向かい側を歩いたって、何の面白いことがある。まあ、僕に免じて上野で騒ぐ者達の様子を見てやりたまえ。何かと君が軽蔑する浮世の歓楽を面白がっている罪のない光景もまた美しいものだ。もしかすると、君の平生(いつも)の説が間違っているかも知れない程だ。その代わり、今日は僕が君にご馳走するから、まあ、まあ、君の例の偏見をおさめたまえ。いや、偏見とは言い過ぎたが、無遠慮は持ち前のことだと許してくれたまえ。ハハハ」と口軽く打ち消して、黙ってついてくる若い男の手を取りながら、()い香りを漂わせて優雅に歩いている女達に交じって、黒門口から(くも)(ゆき)へと今を盛りに咲く花の下を次第に奥へと辿って行った。


 同じ景色も見る眼が違えば、取りようも違うもの。一人は喜々として、酔いどれの狂う(さま)、赤いものをちらつかせて娘子どもが駆け走る態、老夫(じじ)老媼(ばば)が孫やら子やらに取り巻かれて嬉しげに樹の下で、何かは分からないが、重詰めを開いて物を食っている態などを一々指さして、

「愉快ではないか」と評すれば、一人は強いて異は唱えないけれども、腹の底ではまったくそうは思っていない様子である。

「雪雄君、あれ、あれを見たまえ。面白い(めん)を付けてふらふらと行くあの男の笑い声、あれが作り声だと思うか。彼にしてみたら、無我無欲、真の愉快を得て、この上なく悦んでいるに違いない。君はとかく妙な角度から世間(よのなか)を見て面白くないなどと言いながら、露に濡れた花の梢から飛んで出る鳥や、あるいは菜の花畑の黄金世界に()け遊ぶ蝶などを愛すべきものと思っているようだが、蝶や鳥が自然で愛すべきものなら、暮春(ぼしゅん)の空の下、この紛々と乱れ飛ぶ落花の雨に浴して、春に浮かれ立った男女が嬉しげに笑いさざめくこれも、また自然ではあるまいか。今から仙人じみた趣味を持っているようでは、とても人の世で立身出世はしないだろうと、君の父君も心配して僕に話されたのも、本当に一度や二度ではない。いや、これは、話に浮かれて大分静かな方まで来た。ああ、ここはもう根岸へ下りる鶯坂(うぐいすざか)だ。どうだ、一ト(ひとやすみ)していこう。何、心配ない、僕が(おご)る。湯にでも入って、心豊かに今日は終日論談しよう」と、多弁な一人の男は無理に雪雄というのを(なにがし)温泉と知られた割烹(りょうり)もする場所に誘い入れ、まだ世馴れていないので、女の前では物も食べられない若者に、嫌いだと謝絶(ことわ)る酒を無理矢理に一盃(いっぱい)、また一盃と勧めた。


 生まれてからまだ友人などと料理屋に入ったこともなく、自分の家でも酒などを飲んだこともない雪雄は、早くも盛り潰されて(うつぶ)せたまま眠ってしまった。 

 相手が無くては面白くない多弁家の男が手持ち無沙汰となったその時、

「やあ、花岡め、真面目に一人でやっているのか。ん? 酔い倒れているのは誰だ。何だか美少年だな。不思議なこともあるものだ。()ぁに、奇遇だ。まあ一緒に呑もう」と、また一人の多弁家の、これは(このしろ)の背のように光る和服を着たのが、偶然出会ったと、入って来た。


つづく

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