幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(39)
其 三十九
お手紙をお書き申し上げます。
過日貴方様に差し上げましたお手紙はきっとお手許に届いていると思っておりますが、未だにそよとのお音信さえ戴かず、毎日待ち焦がれておりましたけれども、あまりに日が経つのに堪えかねて、もしや、お心に障るようなことがあって、お腹立ちからお返事を戴けないのではないかと気が気でなく、案じた末、こうして、お尋ね申し上げる次第でございます。
狎々し過ぎると、お思いでありますなら、どんな風にでもお叱り戴き、お許し下さいませ。そのままお見捨てになるのは何よりも悲しく存じます。たとえ、お見捨てになったとしても、それは私の愚かな罪に拠るものありますから、露ほどもお恨み申すところもございませんが、どうにかしてお心を取り直して戴くには、偽りのない真心を励まして、こちらの真剣に苦しい気持ちが貴方様に解って戴けますまで、切なる思いをお伝えするより他ないと思っております。
実際は、貴方様が御来臨の後、花岡様、福岡様は足繁くお運びなされて、その度ごとに、あの肥肉婦に貴方様だけがお入りにならないのは私のお待遇が粗略であるからだと、口汚く罵られます。それに加えて、花岡様、福岡様がお嬲り半分に色々と貴方様のお噂をされますが、その中には、聞くに忍びないことも間々(まま)あり、悲しくて、口惜しくて、やるせない気持ちになります。しかし、そうであるからといって、貴方様のお入りを願いたいというような想念はまったく浮かぶことなく、ただただ、好かれ悪しかれ、貴方様のお噂が出て、お名前が耳に入る度に、お懐かしさが増すばかりでございます。きっと事実と嘘事が打ち交じっているとは思いますが、傍ながら花岡様から伺うお話しの中からして、貴方様のご気性、お品行もほぼ推察され、この廓の好みとは西と東との差異がおありだと思います。けれども、兎にも角にも女としての道に死ぬことになっても、この廓で充実した日々を活きることはないと思い定めているこの文は、生命懸けて貴方様のようなお方様にただ一片のお憐れみの言葉を頂戴したいと願っているのでございます。千言万語申し上げましても、虚妄の多い所にいる者の言葉だと、お考えになるかも知れませんが、お入りを願うでもなく、私をどうにかして欲しいと願うわけでもないこの情、この願い、虚妄なのか、戯れなのか、お試しにでもご推察戴きたく存じます。
未だに貴方様がどのようにお思いになっておられるかは測り難く、賤しい身にあって母の名を申し、兄の名を出すのも口惜しく、かつ不幸がましく、恥知らずがましいので申し上げずにおりますが、特に差別を受けるような子にも生まれず、髙尾太夫や薄雲太夫を女の聖か何かのように語り囃しているこの廓の風に吹き靡かされるほど脆い心も持ち合わせておりません。かたくなにお取り上げいただけないならば、この身の不仕合わせはどうしようもないとは言え、余りにもお心の持たれようが貴方様にはお似つかわしくないことだと、身も消え、心も絶えるほど悲しく、恨めしく存じます。お心がお強いというそれだけが正しいのでもなく、濡れるほどもないほんの露ばかりのお情けがあってもお汚れになることもありませんものを。お返事さえないのは、うるさいと嫌われたからなのでしょうか。お言葉に背いて何度もこちらから手紙をお出ししたのをお悪みになってのことでしょうか。そうであるなら、重ねてお気持ちに障るかも知れないと思いながらも、恐る恐るこの手紙を差し上げますのは、こちらに言うにも言いにくい差し迫った思いがあるからだと、何卒、何卒お汲み取り戴き、何とかお返事を頂戴したくお願い申し上げる次第でございます。 あらあらかしく(*女性が手紙の最後に書く言葉)
と記されていた。雪雄はこれを繰り返して、何度も読んでいたが、何をか思い定めたのか、返書はせずに、そのまま過ごした。
つづく(次回が最終です)
お文の手紙の切なる思いが、私の拙い現代語で巧く表現できないことに、自信を無くしています。読者には原文によって、その思いを少しでも感じ取っていただければと、今回も参考までに原文をあげておきます。
其 三十九
一筆しめしあげまゐらせ候。過し日の文御許様に相届き候には違無かるべきも今だにそよとの御音信さへ頂かず、日毎に待ち焦れ居りまゐらせ候も、余りの御遠々しさに堪えかねて、若や御心に障り候事のありなんどして御立腹より御返しさへ玉はざる歟と心も心ならず案じ暮らし候ひし末、此文認め御尋ね申上まゐらせ候。狎々しきに過ぎたりとの御思召ならば何のやうにも御叱りありて御免し下されたく、其儘に御見捨は何より悲しく覚えまゐらせ候。假令ば御見捨てを被り候へばとて其は我が愚なる罪の咎ゆゑ露御恨み申すところも無く、如何にしても御心を取り直し玉はるやう偽り無き真心を励まして、此方の真心のあはれと御許様に思はれまゐらするまで切なる思を運ばせ候よりほかも無く候。実は御許様御来臨の後花岡様福岡様は御足近く御運びありて其度ごとに彼の肥肉婦(ふとりじゝ)に御許様のみの御入らせ無きは妾が御待遇の粗略なりしゆゑと、口ぎたなく罵られ申候に加へて花岡様福岡様の御嬲り半分さまざま御許様の御噂致され候が中には、聞くに忍びぬことも間(まゝ)ありて悲しさ口惜さ瀬無く覚え申候が、さりとてこれがために御許様の御入らせを願ひ度といふやうなる想念は露浮め申さず、ただただ好かれ悪かれ御許様の御噂出で御名前の耳に入り候ごとに御懐かしさの増り行くばかりにて候。定めし実事虚事打交り候はんとは存じ申候へど余所ながら花岡様より伺ひし御話しの中よりして、御許様の御気性御品行も略推しあげまゐらせ、此廓の好みとは西と東との差異こそ候へ、兎ても角ても女らしき道に死ぬるものとはなるとも此廓の全盛には活きざらんと思ひ定め居り候文は、生命懸けて御許様の如き御方様のたゞ一片の御憐みの御詞を得たく候。千言万語申しあげまゐらせ候とも虚妄多きところにあるものの言葉とて、御察しも玉はるまじきかなれど、御入らせを願ふにても無ければ妾が身を何となし玉はれと願ふにても無き此情此願ひ、虚妄なるべきか戯れなるべきか試(こゝろ)みに猜し玉はるべく候。未だに御許様の如何に思すやも測り難く候へば、賤しき身にありて母の名を申し兄の名を出し候も口惜く、且は不幸がましく恥知らずがましきゆゑ申しも上げず候へど、海士旃陀羅が子にも生れ申さず、又髙尾薄雲を女の聖かなんぞのやう申し囃し候此廓の風に吹き靡され候ほど脆くも心を持ち候はねば、一概に御取上げ無きならば身の不仕合の是非無しとは申せ、余りなる御心の持たれやうにて御許様には御似合はしからぬ御事と、身も消え心も絶え候ほど悲しく恨めしく存じまゐらせ候。然のみ御心強きばかりが正しきにてもあるまじく、濡るほどにも無き露ばかりの御汚れとなるにてもあるまじきを、御返しさへ無きはうるさしと厭い玉ひてにや、但(たゞし)しは御示しをもどきて繁く此方より文まゐらせしを悪み玉ひてにや、然もあらば重ねて御心に障るやも知らず候へど恐る恐る此文さしあげまゐらせ候は、此方に申すに申し難き迫りたる思ひのあればぞと何卒々々御汲み取りありて何とか御返し玉はりたく願ひあげまゐらせ候。あらあらかしく。
と記したり。雪雄は之を繰り返して幾度と無く読みたりけるが、何とか思ひ定めたりけん返書はなさず其儘過ごしぬ。




