幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(37)
其 三十七
所詮、運がどうこうという望みなどは、もう甲斐もないものと諦めて、この頃は神にも仏にもこの身の行く末が好くなるようにと祈ることもなくなり、ただ青空だけを眺めては太息を吐くだけでございます。是が非でも身の自由を望み、痴れ人の言うがままに、土人形のようになれば、此地を出て、明るいところにも行けるでしょうが、一生、本意ではない暮らしをして、好きでもない人と共に表面だけ連れ添って過ごすなど、生命に代えても厭わしく、今の望みは、今一目、母と兄に会い、その後、遠くない中に、この身を霜雪と消していくことだけでございます。来世のことは罪深くして、まだ分からないとは言え、後の世に頼みをかけているのではなく、ただ早くこの世を去りたいという思いなのでございます。ご親切にも、味気なく日を送らないようにと仰っていただいたことは本当に嬉しく思いますけれども、好い人にも会い、好い運にも会うだろうとのお言葉はお恨み申し上げるほどでございます。このようなことを申し上げれば、お蔑みも恐ろしく感じますが、一度お目にかかり、二度お手紙を頂戴いたしました貴方様以外、手紙一つ差し上げようとする方もございませんのに、誰を好い人と見て、何を好い運と考えればいいのでしょうか。西も東も悲しく厭わしい中に居て、貴方様からのお情け深いお手紙を拝見するより他に、毛ほどの楽しみもなく、死ぬことの出来ない身を死ねばいいのにと嘆き暮らしている私が哀れだと思し召し、何卒、何卒思い棄て下さいませぬようにと、このことばかりを神にも仏にも願っております。こんな所にいる身でなく、母兄と共に暮らしている身であれば、たとえ雑草が生い茂る家に住んでいたとしても、破れた畳の塵を払っても、お出で下さるように強いてお願いし、愚かな心の声をもお聞き取り願うところですが、たとえ貴方様が円位(*西行)の聖のようであられたとしても、ここにお越しになることが悪いことだと思えば、訪ねていただいても追い返さねばならない身の悲しさ。
思えば何の罪があって、こんな口惜しい身に成り下がったのかと、朝夕の食事さえ欲しくはなく、その都度に胸に逼って参ります。今はこの身はどうしても堪えがたく、思いを語るにも、文を飾り、品を粧う暇もなく、思っていることだけを書いておりますが、遠慮せずに申しますと、はしたないとも、鄙しいともお思いになるかも知れませんが、この身がこのまま終われば、文という女がいて、浅ましい地には墜ちたけれども、浅ましい心も持たず、身の行いもせず、果敢無くも汚れない魂だけになってこの世を逝ったと、時折は思い出していただき、哀れだと思われたく、このことだけを深く願っている次第でございます。何故か、貴方様より他に頼りにできる方もいないと感じており、ただ貴方様から哀れだと、御一言をいただければ、悲しい中にも悦ばしく人生を終えることが出来ると思っております。
好い人も世の中に多くおられるかも知れませんが、貴方様の他、文の頼れる方はなく、好い運も様々あるとは思いますが、貴方様に哀れだと思われ、貴方様に哀れと思われながらそのままこの世を去る以外、文には好い運などないと考えております。この地にいるこの身、貴方様のその気質、その行い、とても再びお目にかかる望みもなく、ひたすらお手紙が来るのをお待ちしているだけでございます。牢獄にいるも同然の身だと思えば果敢無い限りでありますが、手紙の往来までをも憚れると仰るだけでなく、文をここら辺りの色に誇る女と同様にお思いになってか、獣のような痴漢と浮雲のような栄華の運の他は得られないのに、好い人と出会い、好い運に会うこともあるから心豊かに日を送れと諭されるお恨めしさ、骨身に染みて口惜しく、心が震えております。何卒、何卒、汚れた地に居れば、苦しくもあるだろうけれど、女はあくまで、女としての道を失わず、利に生きるより道に死んで欲しいと、お隠しなくご助言いただきたいのです。今こそまだ死にかねておりますが、お返事によっては死にかねるのかそれとも死ねるものか、こんな愚かな女もいるとお思い下さいませ。流される浮き草だけは花は咲かず、また、齢もゆかないと侮りなされるなら、きっとお恨み申します。
もの狂わしくなってしまった筆の運びは、しどろもどろとなり、過ぎた言も多かろうと思いますが、心逼った際の証とお許し下さいまして、書き改めもしないことを深くお咎めなさいませんように念じ申し上げている次第でございます。
と、こう書き終えて、『梅澤 文』と本名を署した。
つづく
今回も、墨染(お文)からの手紙の原文を参考までに付けておきます。
実際の文章で、露伴の文体の見事さをお確かめ下さい。
(ふりがなが上手くつけられない部分が多少ありましたが、ご容赦ください)
其 三十七
所詮運の如何(いかゞ)などは既望み候ても甲斐無き事と諦め候て、頃者は神にも仏にも身の上よかれなど祈り候ことは無くなり、たゞ青空のみ眺め遣りては太息吐き居り候ばかりに候。枉げても身の自由を望み候て痴たる人の云ふがまゝに土人形のやう成らば、此地(こゝ)を出でゝ、明るきところにも参るべけれど、一生を心にもあらず送りて思はしからぬ人と共に表面のみ連れて過し候はんこと、生命に代へても厭はしく候へば、今の望みは今一目母兄に会ふことを得候て後、遠からぬ中に此身の霜雪と消え行かんことのみに候。後生の事は罪深くしてまだ知らず候へど後の世に頼みをかけてには無く、唯疾く此世終へたくおもひてに候。味気無くのみ日を送るまじとの御示しは、御親切のほどいと嬉しく存じ申候へど、好き人にも会ひ好き運にも会はんほどにとの御仰せは、御恨めしく損じまゐらせ候。
斯様なること申しあげ候はば御さげすみも恐ろしく候へど、一度の御見両度の御文にて御許様よりほか文一つまゐらすべく覚え候方も無く覚え申候に、誰をか好き人と見、何をか好き運と覚え申候べき。西も東も悲しく厭はしき中にありて、御許様の御情深き御文を見まゐらするよりほかには毫ほどの楽しみも無く、死ねぬ身を死ねよがしに歎きくらし居り候我が上あはれと思しめし、何卒何卒御思し棄て下さるまじく候やうと此事ばかりを神にも仏にも願い居り候。かゝるところに居る身ならで母兄とも暮し居り候身ならば、假令ば葎生ふ宿に住めばとて、破れたる畳の塵を払ひてなりと御入らせをも強に願ひ、愚しき心の声をも御聞取り願ふべきなれど、假令ば御許様の円位の聖のやうにあらせ玉ふにせよ、御為悪からざれと思へば訪ひ玉はるをも追ひまゐらせでは済まぬ身の上の悲しさ。おもへば何の罪ありてかゝる口惜しき身には成り下りたると、明くる暮るゝの折毎の食さへ欲しからず胸逼り申し候。打ちつけに申さば端無しとも鄙しとも思し玉はんなれど、今は兎ても角ても堪へ難き身の、言すに文をかざり品を粧ふ暇も無く思ふばかりを申しのべ候が、此身此儘終り候はば、文といふものありて浅麻しき地には墜ちしが、あさましき心も持たず身の行ひもせず果敢無くも汚れ無き魂ばかりとなりて逝りぬと、折節は御思し出でられてあはれと思し玉はりたく、此事ばかり深く願ひあげまゐらせ候。如何なる故にてか御許様より外に頼みまゐらすべき方も無く覚え申し候まゝ、たゞ御許様のあはれとの御一言を得候へば悲しきが中にも悦ばしく終り申すべく候。好き人も世には多かるべけれど御許様のほか文の頼みまゐらすべき方は無く、好き運もさまざまあるべけれど御許様にあはれと思され申候て、御許様にあはれと思され候に負かず終り候より、文には好き運も無しと覚え申候。此のところ此の身、御許様の其気質其御行ひ、とても再び御目にかゝり得る望みも無く候へば、ひたすらに御文の来るを待ち申候のみにて、牢獄に在るも同じ身の思へば果敢無き限りに候を、文の往来をまで憚(はゞか)れかしに仰せ越され候のみならず、文を此處あたりの色に誇る女並みにおぼしてか、獣のやうなる痴漢と浮める雲の栄華の運とよりほかは得られぬものに、好き人に遇ひて好き運に会ふこともあるべければ心豊かに日を経よと諭し玉はりたる御恨めしさ、骨身に染みて口惜しく存じまゐらせ候。何卒何卒汚れたる地にあるなれば苦しくもあるべけれど女は飽迄女の道失はで、利に活きやうよりは道に死ねかしとにても御隠しなく御示しありたく、今こそ猶死かね居り申せ、御返しによりては死にかねうものか死に得るものか、かく愚なる女もありと御思召させまゐらすべく候。流れにて萍ばかりは咲かず、齢ゆかずとて侮り玉はば甚く御恨みまゐらすべし。物狂はしくなりたる筆の運びもしどろもどろにて、過ぎたる言も多かるべけれど心逼りたる際のしるしと御容赦ありて、書き改めまゐらせぬを深くも御咎めあそばされぬやう念じあげまゐらせ候。
と書き終ひて梅澤文と本名を署したり。




