幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(35)
其 三十五
たとえ重ねて手紙を受け取ったとしても、返事はしないと一度は思ったものの、情濃やかに溢れた手紙を寄越され、読んで見ては、耳が聞こえるのに、話し掛けられても返事をしないのがおかしいような気持ちになった。
ことさら夢にも忘れられない者から親しく自分を頼って、厭わしいところもなく柔しく言い廻されては腹が立つこともなく、五月蠅いとも思わなかった。
その夜更けて、人々が睡りについた後、静かに墨を磨り流して、返書を認めようとしたが、先日とは違って、どうしてか四、五行書いては意にそぐわないと捨て、五、六行書いては書き損じて捨て、何度か無益書きしてしまって、ようやく五、六度目に書き終えた。上封までも書き上げたが、なおも何となく心が安堵かず、もう一度書き直そうかと思ったりして、床に入っても眠られず、明け方近くまで、寝もせず覚めもせずうつらうつらしていた。
お返事は出すまいと思っておりましたが、そう思ったとしても、あなたを厭い、憎んでいるのではありません。ただ、何度も手紙のやり取りをするのを憚っただけです。お手紙を読めば、木仏のように押し黙っていることもできず、自然と手が筆を執っていて、書いてみても甲斐がなく、お読みになっても何の力にもならないと思いますが、自分の気持ちを書くべく認めております。
先日、あなたからお招きをいただいたのを、こちらからお断りしましたことを悪くお取りなされず、劫って深くご自身の過失のように仰るお心入れのやさしさ、しみじみ感じ入っております。
本当はこちらから申し上げたことを、自分の非を誤魔化して言い逃れようとしているのではとお考えになって、お手紙も絶えてしまうか、またはお腹立ちのお言葉が返ってくるか、そうでなければひねくれたような言葉でも書かれているのではないかと、大概ながら考えておりました。
もし、そうであるなら、お心操は美しくあるにせよ、お育ちは賤しからずあるにせよ、既にその土地の風に染みて、純白では無くなってしまったのだと考え、私のような浮世の間の情態にもまだ馴れない者がお聞かせすることも、お話しすることもありませんので、二度と手紙などはお出しすることもないと思っておりました。しかし、ごく素直にまったく拗ねたようなお言葉もなく、やさしくおっしゃられた手紙を読んで、劫ってこちらの方が間違った心算などをしていた自分の心の品性が落ちたような気もして、裏恥ずかしく思っている次第です。
お筆のついでにかどうかわかりませんがと、私の前の手紙の最後の方に書いたことを仰られていますが、それこそあなたのお筆のはずみかは分かりませんけれど、口惜しく感じております。どうして筆のついでなどに、心にもないことなどを申し上げることがありましょう。あなたご自身も早くその地を脱けたいと神に仏にお祈りされている由。どんな理由があってそこに落ち入られたのかは私には分かりませんけれども、どうやっても叶わない難しいお不幸のためだと察してはおりますが、思っていても思うようにならないこの世と言っても、望みもなく、頼みもなくと、一概に味気なく感じておられるのは少し違うと申し上げたいのです。捨てる神あれば助ける神あり、七転び八起きと下世話にも申します。せめて心さえ美しければ、身なりとも道理に外れないようにしておられれば、小草に隠れた菫の花のように、それと知られる香気あれば、何時までもお不幸に沈んでおられることはないはず。こういう風に言ってしまっては不躾になりますが、文字も麗しく、綴り方も普通の女性では出来ないほど流暢であるのを見れば、大体にして、物事をしっかりと学ばれたと推察され、従って、女がすべきことなどもきっと良くお出来になると思われます。お見目形は他人を超えて美しくいらっしゃるのはさて置いても、多くの人々の中、誰かがあなたを愛おしんで、あなたに真心を持って打ち向かい、あなたを不幸の中から救い出し、直ちに心穏やかな所へ連れ出してくれる人が現れるはずです。必ずやがて好い人に会われて、好い運に出会われることになるでしょうから、あながち辛いだけの月日が照らす世界ばかりだと心細く見ることはなさらなず、神様がお考えになる事は私たちが測り知ることなど出来ないのだと思って暮らされますように。お手紙の通り、たった一度しかお会いしていないのに、真実に一年、二年も知り合っているような思いも湧いていますが、あなたのお言葉は私などにはそのままには受け取れないのです。
あなたのことを浅くしか知らないのに、深く語るのは好くないことだということもつい忘れてしまい、親しくお手紙をいただいたことに心を奪われ、関わりもないのに出過ぎたことまで申し上げました。
私としましては、ただただ、あなたが毎日を嘆いてばかりで日を送られませんようにと、そして、行く末目出度く栄えられますようにと、それだけを願って、このように長い手紙を書いた次第です。
つづく




