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幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(31)

 其 三十一


 お心(こま)やかなお手紙、有り難く拝見いたしました。もしかして、お返事さえいただけないかも知れないと、心細く思っておりましたのに、望外にも(やさ)しいお手紙を頂戴し、この上なく嬉しく思っております。

 御来臨(おいで)にならなかったことについての理由は一々ご道理(もっとも)で、何とも申し上げようもなく、なおもこの上、お入りをお願いしたいなどとは、例え(ひそ)かに思っておりますにせよ、もう言葉にできることではございません。仰る通り、お足を踏み入れられることさえ(はばか)れる場所へ、お入りをお願いしましたのはこちらのあやまり。お考えの通りで、恥じ入るばかりでございます。

 今はこんな風に浅ましく成り下がっておりますため、人がましく何を言うかと、世間の普通(なみ)の方であれば一蹴され、言い消されるところではありますが、身こそ浅ましく沈み果ててはおりますけれど、心までは堕ちるまいと思う気持ちだけは、今のありさまの中で、父母へのいささかの孝行だと考えております。  

 お断りのお話しを(うけたまわ)り、一時(いっとき)のお言葉を手繰(たぐ)って、お入りをお願いいたしたました自分の振る舞いは、虚言(いつわり)を仰ったと貴方様がご自身恥じ入られたより何倍にも増して、()じ入らなければと、お手紙を半ばまで読みかけて、身も世もないほど堪えがたい羞かしさを感じておりました。何卒、先だっての愚かな手紙を出してしまいました罪をお許しいただきたく、幾重にもお願い申しあげます。  

 お筆のついでということだったのかも知れませんが、お手紙の末に、私のことについてお書きになった(くだり)、つくづく有り難く、お心入れの深いお言葉、思わず涙に(むせ)びました。 

 この場所で、兎にも角にも、私の(はた)近く往き来する人々の中に、少しでも貴方様のお気立てに似たところのある人がいれば、どれだけ今の不幸福(ふしあわせ)も薄らぎ、朝夕も心穏やかに話をして憂さを晴らすことも出来るのにと、何の見込みもない望みさえ湧かしている次第でございます。

 臭い物に馴れてしまい、それを(いと)う気持ちを忘れない(うち)に、早くこの世界を脱け出ればとのお話は、本当にそう思います。明け暮れには神に仏に祈って、一日も早く(けが)れたこの地を脱け出たいと、私も自ら願わないではありませんが、思ったことが思い通りにならないのがこの世の常、今は望みもなく、頼みもなく、ただただ前世での修行が拙かったためだと諦めて、見るさえ、見られるさえ、聞くさえ、聞かれるさえ忌まわしい人々と、向かい座ってひとときを過ごすという、辛いと言うには長すぎる月日を送っております。

 あまりにも(やさ)しいお手紙をいただきましたので、何時(いつ)しか貴方様とは何の関係(かかわり)もないこの身ではあることも忘れてしまい、身の上のことなどまで申し上げ、ご助言を賜りたく思うようになってしまいましたが、きっと()れ狎れしい奴だと、これだけを申し上げただけでも、お思いになるのではと、心に恐れを懐いております。そうは言っても、貴方様とは同じ車で行き、同じ敷物の上に座るというほどまでではないにせよ、人と人の間柄は不思議なもので、縁があれば千里隔たっていても隣同士だとか、囘頭(かいとう)一顧(いっこ) 無言一笑の中にも意気通じ合い、互いに心の底まで打ち明けて親しく交際(つき)あう間となることもあるとか。こんな事を言うのも無礼なことかも知れませんが、どうしてか貴方様が古くから見知った方のように思われ、詰まらないことまで打ち明けてお話ししたいような気持ちがして、自分では何度も自らを叱り止めております。

 お手紙には以後手紙を寄こさないようにと書かれてありましたのは存じており、こんな風にお手紙を出せば、お叱りを受けるだろうと、最初から分かっていながらも、思うことの十のうちの一つ、おさない筆でもってお手紙を送る次第でございます。思いあまっての仕業、お眼煩わしいと思いますが、まげて、まげてお読み取りいただければ、どれほど嬉しいかと存じます。



つづく


※ 墨染(お文)から雪雄への手紙である。

  私の下手な訳では、そのニュアンスが感じ取れたかどうか。

  今回、参考までに、その原文を紹介し、露伴の文章を味わっていただければと思う。

 (なお、私の文章には旧字体と新字体が混在しています。また、原文での「そうろう」は文字変換出来ない文字なので、この字を当てています)



其 三十一


御心濃やかなる御文あり難く拝見いたしまゐらせ(そうろう)。御返しさへ(もし)や賜はらざるべきかと安からず思ひ居り候ひしに、案のほかなる(やさ)しき御示しを受け此上無く嬉しく存じまゐらせ候。御来臨(おいで)なきにつけての御ことわり一々御道理(もっとも)にて何とも申しあげやうは無く、此上御入り下されたくなどとは假令(たとえ)(ひそか)に思ひまゐらするにせよ、なかなか言葉には得こそ申し(いだ)すまじく候。仰の通り御足踏み入れ玉ふさへ御憚り無きにあらぬところへ御入りを願ひしはくれぐれも此方(こなた)のあやまり、御積りのほども恥ずかしく候。今は如是(かく)あさましく成り(さが)りたれば人がましく何を云ふやとなみなみの人には一言(ひとこと)に言ひ消されるべきなれど、身こそあさましくも沈み果てたれ心までは落すまじと思ふばかりを、今のありさまの中にては父母への(いささ)かの孝行とおもひ居り候へば、御ことわりを(うけたま)はり候ては、御虚言(いつわり)を仰せられしとて御許様の御愧()ぢなされ候より幾倍か増して苟且(かりそめ)の御言葉を手繰(たぐ)りて御入りを願ひし我がふるまひを愧ぢ入り申さではと、御文の(なかば)読みさして身も世もあられず羞かしさ堪へ難く相成り申候。何卒先(なにとぞせん)もじのおろかなる文まゐらせた罪は御許し玉はり(たく)幾重(いくえ)にも願ひあげまゐらせ候。御筆の餘かは存ぜず候へども御文の末の(かた)に我が上につきての御示し、つくづくあり難く、御心入れ深き御言葉、おもはず涙に咽び申し候て、世は()まれ(かく)まれ我が(はた)近く来つ往きつるする人々だけにても、少しなりと御許(おんもと)様の御気立てに()たる節あらんには如何(いか)ばかりか今の不幸福(ふしあわせ)も薄らぎ、朝夕(あさゆう)も心ゆるく物語して憂さを()る時あるべきにと由無き望みさへ湧かせ申し候。臭きに馴れて(いと)ふべきを忘るるやうならぬ間に()く此の世界を脱せよかしとの仰せは、まことに()なる事なれば明け暮れ神に仏に祈りて一日も早く汚れたる此の地を脱け出でんとは、(わがみ)みづから願ひ居らぬにあらねど、思ふことの思ふに任せざる(がち)の世とて今は望みも無く頼みも無く、ただただ宿世(すくせ)(かい)(ぎょう)つたなきゆゑと諦め候て、見さへ見らるるさへ、聞くさへ聞かるるさへ(いま)はしき人々と(むか)ひ坐りし相語りて、憂きには長き月日を送り申し候。餘りに(やさ)しく仰せ越され候へば、何時(いつ)御許(おんもと)様とは何の関係(かかはり)さへあらぬ身に候事おも打忘れて身の上の事どもまで申し上げ、御助言をも賜りたくおもふやうに相成申し候が、定めし狎々(なれなれ)しきものと、(これ)だけ申し上げたるにてさえ御思(おぼ)しめしあるべきかと心に怖れを抱き申候。さは候へど、行くに車を(おなじ)くし坐するに(しとね)を分かつといふほどにまでせざるも、人と人との交情(なからひ)は不思議なるものにて、縁あれば千里も合壁(がっぺき)とか、囘頭一顧 無言一笑の(うち)にも意気相投じ肝胆相照らし候やうの間となる事もあるものと(うけたま)はり及び申候が、申すも無礼気(なめげ)なれど如何にしてか御許(おんもと)様を(ふる)くよりの御馴染のやう思ひまゐらせては(はし)()きことまで打明け御話し申したきなる心地(ここち)いたし、我ながら幾度(いくたび)か我を叱り(とど)め申候。御文には文をも遣はすなとありしを存じながら、おもふことの(とお)が一つ御叱り受くべきとは予てまづ心にして如斯(かく)おさなき筆もて申しあげまゐらせ候。おもひあまりしばかりのわざ、御眼わづらはしとてまげてまげて御読み取り下さるならば如何(いか)ばかりか嬉しく存じまゐらすべく候。









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