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幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(3)

 其 三


 年端(としは)も行かない身で不意の(わざわい)()い、出るのは涙ばかり。好い考えも浮かばず、どうしようもなくなって、新三郎は直ちにその筋へ訴え出たが、訴えたとしても()を脱けた鳥がまたすぐに捕まえられる訳でもない。()()()()()()、この事を正直にご主人に報告するより他はないと、多町(たちょう)をさして帰ったが、店が近くなるに従い、胸は波打つようになって、一歩進むにも歩み渋った。

 ()ず第一に何と言えばいいのか。また、どのように叱られるのかと心は落ち着かず、思案たらたら思い巡らした後、ようやく意を決して店に入った。

 もし善三殿が居てくれれば、先ずこの仔細を先に話して、取りなしてもらおうと、ただそれだけを心頼みにしていたが、そのあてはまったく外れた。夜食を済ませるために、皆で奥に行ったようであり、主人の他に人は無し。

『帳場格子の中に坐って恐ろしい眼を例の通りぎろつかせて居られては、出かかった言葉も引っ込んでしまう』と、何でもない他家(よそ)の者さえ噂する旦那様に、今自分の過失(あやまち)を白状すれば何と言われることかと思うと、身の丈も縮む思いがして、生きた心地もせず、突然(いきなり)

「ご免なさい」と言いながら平伏(ひれふ)して頭を畳に(うず)めるばかりに擦りつけた。


 新三郎が想像していたのとは違い、意外にも主人は優しくて、一々顛末を聞き終わった後、

「よしよし、起きてしまったことは仕方がない。ただ、これから後は気をつけよ」と言っただけで叱りもせず、

「ご苦労だった。奥へ行って飯を食ってこい」と、いつもよりも丁寧にあしらわれ、いっそ痛い程に打ち叩かれて、耳が聞こえなくなる程叱り罵られなどされた方がましだったのに、ますます心はすまない気持ちになり、小さくなってコソコソと奥に入り、誰が咎めた訳でもないのに、自然と遠慮して飯も平生(いつも)より二椀も少なく食って済ませた。


 その日は事も無く終わり、その翌日も事無く過ぎたが、誰から聞いたのか、辨吉がそのことを何時(いつ)の間にか知り、何かにつけて、

「旦那に損をさせた腑抜け者め」と罵られるが、罵られる身の辛さ、切なさ。自分が起こした過失(あやまち)なので一言も言い返せなかったが、箸の上げ下ろしにも

「馬鹿よ、腑抜けよ、たわけよ」と、苛められては、元来気が小さく、負けず嫌いの新三郎には堪らず、助けてくれる人がいれば、此家(ここ)を逃げ出してしまいたいと(ひそ)かに思う時が多くなり、日に日にその思いは強くなっていった。

 しかし、江戸には知っている人も、身寄りもいないので力なく、未だに算盤(そろばん)で割り算もできない馬鹿の辨吉に『馬鹿、馬鹿』と言われ通しに言い罵られて、口惜しい日々を送っていたが、過失(あやまち)をしてから五日目の夜、突然、自分をここに世話してくれた清兵衛(*<7>「さんなきぐるま」其 四参照)がやって来て、奥の方で旦那と何事かを(はな)しする声が仄かに聞こえる。

 さては自分のことでか。自分の過失(あやまち)のため、清兵衛が呼びつけられて叱られているのかと、また今さらに胸を痛めていたが、奥の部屋とは隔たっているため、話は聞こえず。空しく気を揉むばかりだった。

 やがて、清兵衛から一部始終を聞かされ、吃驚(びっくり)もし、がっくりもしたが、悔やんでもどうすることも出来ず、遂に今までの奉公を無にして暇を取ることとなった。


 世間の定例(さだめ)がそうさせたのかは知らないが、あまりにも慈悲のなさ過ぎる人のようだと、新三郎は坂本屋の主人を恨んだ。清兵衛の(もと)に主人から手紙が届き、新三郎が起こした過失(あやまち)金子(きんす)を償えと言ってきたので、清兵衛は新三郎の家にそのことを話したのだが、まったく(らち)が明かず、結局は眞里谷(*新三郎が継母よりも慕っているお静)から半額だけを出してもらって話し合いをつけたと聞き、眞里谷を有り難く思うと同時に、我が家を悲しんだ。これから先、自分はどうなるのだろうと、子ども心にも心配していると、清兵衛は少しも気にせず、

「なあに、要らぬ心配はするな。坂本屋の喜蔵という奴は、金にかけては慈悲も人情もあまりない奴。眞里谷の叔母御(おばご)も今度の話で、『無理は無いが、()かない気性の喜蔵殿とやらに新三郎を預かってもらうより、私の手で好い口に()けてやろう』と言われたくらい。明日はそちらへお前を連れて行って何とか話を付けるようにと、俺がお静様から頼まれているから、決して無益(むだ)な心配をするな。お前はどういう訳だか、ああも親切な好い人を味方に持って、幸せ者だ。今度の所は今までとは全然違って、身も楽な上、お前の心掛け次第で、勉強もできようという場所だ。まあ、(よろこ)ぶが好い。お前の頭に立身出世の運が宿っているというものだ。安心しろ」と、しきりに優しく慰めてくれた。


新三郎はこうして次の奉公先へ移る。

新三郎はこの後も少しは登場するが、次章からはこの作品の本題となる話が始まる。

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