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幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(27)

 其 二十七


 丸めて仕舞いはしたものの、読んでいないだけに、なおも心に引っかかった。そもそも誰が寄こしたのか、どんなことが書かれているのかと疑う(うち)、ふと()の女のことに思い至った。もしかして彼処(あそこ)から自分の住所と氏名を知って寄こしたのではあるまいか。いやいや、名乗りもしなければ、自分がここにいるこの人間だと知られる訳もない。どうやって自分の許に手紙を出すことが出来よう。たとえ知ったとしても、ただ一度だけ、たまたま会っただけの自分に、どうして馴れ馴れしく手紙など送るのか。これは、絶対彼処(あそこ)からの手紙ではないだろう。とは言うものの、他に心当たりも無い。一体、どんなことを書いて寄こしたのだろう。やはり()の女が、自分が行くと言って欺いたのを恨んで手紙を送ったのか。思えば、虚偽(うそ)と分かりながら根拠もない約束を(のこ)して以来、自らを咎めて精神(こころ)を騒がすことも免れず、自分を責めていたので、遂には、どうしても読まずには済まされない気持ちになった。一旦(かく)した机の抽斗(ひきだし)から出して来て、丸めていた手紙を()ばし、人に見られはしないかと気遣いながら、(ひそ)かに読み始めた。

 文面(ふみづら)が醜ければ恋も()めるが、文章が整い、筆跡も麗しければ、見知らぬ人でもゆかしく思われて、そぞろに(こころ)を惹かれるものである。

 雪雄はどうしても読まずにいられない気持ちになって、今来た手紙を読んだが、乱れて落ち着かない心は、この手紙によってたちまち怪しいまでに狂い(さわ)がせられた。



 お眼の汚れになると、破り捨てなさるかもしれないと(うれ)いつつ、一筆(ひとふで)(したた)める次第でございます。

 過日は偶然にもお(はい)りただきました際、初めてお目にかかりましたが、()ずかしい場所での(はず)かしいこの身は、顔を見られることさえ恥ずかしく、ただただ、うろうろするばかりでございました。(つい)に何の風情もなくお帰し申し上げてしまい、何となくつまらなくお感じになったのではと、お帰りの後も、僭越ながら、貴方様のことばかり思い続けておりました。その折のお話で、お閑暇(ひま)さえあれば、またお()でいただけることもあるとのことでしたので、心楽しみに、お入りいただけることをお待ち申しておりましたが、未だにお入りがなく、悲しい思いをいたしております。何事もお変わりなくいらっしゃるのであれば、何卒お入り下さいますように、とは浅ましい身で、浅ましい所から申し上げかねるところではございますが、吹く風がそよとなびくほどのお便りでも賜りたく、お願いいたすところでございます。花岡様、福岡様は昨日(きのう)も、一昨日(おとつい)もお揃いでおいでになりましたが、貴方様だけはお入りがないので、心難しい()の肥っておりますご存じの者から、言葉の針するどく痛い目に遭わされて、胸を痛めております。私の不束(ふつつか)で、お気持ちを受け止める(すべ)さえ知らず、愛想もなくお帰し申したので、お心に沿わなかったとお思いになられて、お入りがないのであれば、何とも申し上げる言葉もございません。ただただ、身の不幸せを歎いて、今の(くる)しみに()えるより他はありません。まったくお恨みなどはいたしませんし、何時何時までもお入りがなくても口惜しくはないと考えております。あまり、くどくどと気持ちを申し上げて、()れ狎れしいとお感じになるかも知れませんので、この上もなく苦しんでいる身の上をも申し上げないままでございますが、ただただ御気高いお慈悲(なさけ)(すが)って、万に一つでもお憐れみを賜りますならば、お足を運んでいただきますようにと、罪あって、(ことわり)もない願いでございますが、ひそかに願っている次第でございます。 かしこ



 と、書かれていたが、捉えどころもなく、締まりもなく、恋の手紙でもなく、しかし、愛情がない文章でもない。いわば心(ひろ)く、筆(ひろ)やかに、ぽつと書き流したもののようであり、その最後には、自分の名を(しる)す代わりに、「わが名を(しる)せないもの」と書かれてあった。


つづく


今回だけに限らず、お文(墨染)の手紙は原文では候文で書かれており、名文だと言われているが、私の拙い現代語訳にしてしまうと、その良さが飛んでしまったようで、恥ずかしい限りである。読者は機会あれば、是非原文に触れられ、味わいのある文章を堪能していただきたい。

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