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幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(23)

 其 二十三


 雪雄は花岡が道理(もっとも)らしく話す福岡独特の(かたよ)った説を聞いて、フフ……と笑い、福岡の言葉にかこつけて、その(じつ)は花岡が遊びを勧めているとは思いもしなかったが、ただその説を哀れむべく、また甚だしく間違っていると思うことから、昨日今日の実際のことに関係していることも忘れて、一ト通りの学説でも攻究(こうきゅう)するような調子になり、他人(ひと)に聞かれても構わないような大きな声で、

「君はそれを聞いてどう思う? あまりにも(あやま)った説ではないだろうか。自分さえ傷つかなければ何をしても(よい)のだという前提がなければ、そんなことは言えないに決まっている。とすれば、それは利己主義に凝り固まった卑しい、しかも下品で、甚だしく了見の狭い説だと言わねばなるまい。とかく気を負い、才に(おご)る人には、そういう恐るべき謬説(びゅうせつ)を公言して恥じない者がいるのは僕も見て知っている。僕は断言するが、そのようなことを言っている人が、やはり婦人に対して決して愛を持たないのなら、その人は本当に忌むべき人だ。また、もし愛情を備えないでもなく、麻痺してもいない人なら、その人が愛に堕ちた時にはその人は、自分の説を取り消すと共に、危険極まる愛慾の奴隷となって、自ら自己(おのれ)を破壊し尽くしてしまうだろうと思う。福岡君は磊落な人のようだと思っていたが、冗談でなくて、真にそんなことを言っているのなら、僕は今後交際はしない。君は例によって僕のことを人の意見を聞かない頑固者だからいけないと言うかも知れないが、狭量でも孤立主義でも僕は構わない。そのようなことを言っている人が僕の旧友なら必死になって、争ってでも(いさ)めもするが、徳力もないのに交際の浅い他人(ひと)の善し悪しを言うことは出来ないから仕方がない。交際(つきあ)わないのが自分を欺かない一番の道だと思う。福岡君は実に恐ろしい人だ。僕は到底交際して行くには堪えられないと自覚する。君、聞きたまえ、先ず第一に需用者があって、供給者があるのか、ないしは供給者があって、従って需用者があるのか、それは論じないとしても、およそ人間界で一番残忍で軽薄な業体(ぎょうたい)はあの遊郭の娼家(しょうか)ではないだろうか。賤業婦(せんぎょうふ)になったとはいえ、元は良家の女であるのに、一度堕落すれば助かる瀬もなく、肉も血も節操も道徳も、つまりは皆あの娼家の餌食(えじき)となってしまう。実に哀れむべき(きわみ)ではないか。正当に評すれば、賤業婦は人間としてまったく捨てられた者で、神とか仏とか言うべき人間以上のものに救われるより他に救われる道さえ絶え果てている。形骸(かたち)の上の苦しみなら、痴れ者によっても救われ助けられるかも知れないが、真の救いは神仏か、あるいは神仏ほどの大きな熱情を持った人によって救われるより他にはない。それ程の不幸は何によって与えられるのか。それは、つまりは世間の組織の幼稚な罪だとは言うものの、あるいは当人が人生の禍福(かふく)の圧力に()えられない弱さの罪だとは言うものの、遊郭というものが成り立っていて娼家というものに租税を納めるほどの名誉が与えられているからである。人がましい顔をして娼家というものが商業家みたいなことをして行くから、弱い者はその店の商品となり、その俎板(まないた)の肉となってしまうのではないだろうか。それが売り物、買い物となっているから、これを自分のものとして自己の慾感を満足させるために、福岡君のような説を抱いて遊びに行くのだ。不幸な女を品物と見るのならいざ知らず、人間としてみれば、ちと酷すぎる論ではないか。娼家は客によって利するところがあるかも知れないが、不幸な者は何を利するところがあるというのか。僕が思うに、不幸な者たちは客が来る度に怒りに堪えず、悲しみに堪えないに決まっている。でなくては良心が麻痺していて、常人とは違った者になっているのだと思う。だから、ああいう中に居る者と良家の子弟、たとえば君なり僕なりとの間に愛情が()えたりなどした時には、ああいうところの成立(なりたち)の要素となっている陰険、酷毒、無惨、無道理等の一切の悪徳と愛情とは勢い衝突するから、甲者が乙者を圧伏し尽くすか、乙者が甲者を破壊するか、あるいは事情が一変して消滅、即ち死ということになって不幸に終わるのが世間には好くあることで、そんな例も少なくない。僕はもう決してあのような悪い空気の場所に出入りすることはしない。だから、花岡君、君も足を踏み入れてくれるな。僕は君を良心も愛情も欠損していないと信じるから敢えて忠告する。君は必ず僕の言葉を()いてくれるに違いない。君と福岡君とが古くからの交際(つきあい)なら、君、願わくば僕の言葉を君の言葉に直して忠告してやりたまえ」と、世事にはまだ疎いけれど、言っている中身はなかなか筋立っていて、あくまで頑固な定規論を通そうとするのは、齢が行かない者にしては見上げた覚悟である。

 孔子くさい顔で説きつけられて困った花岡は()()()()した胸の(うち)で、

『こいつ、食わず嫌いで、何を()かすか』


つづく

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