幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(22)
其 二十二
自分を欺いて、卑しむべき地へ誘い入れた花岡を、憎まずにはいられないと思っていた矢先に、面厚く恥ずかしげもなくあちらから訪ねて来たと聞いて、雪雄はますます厭わしくなった。見下げ果てた痴れ者だと、心中ほとほと愛想を尽かせていたが、まだ齢若で気が弱いので、面会を断るまでには強く出られず、渋々、
「こちらへお通ししろ」と例の通りに返事をすれば、新三郎は玄関に立って出て行ったが、やがて卑しむべき花岡はわざと作ったような温和な顔付きで、少し笑みを浮かべながらやって来た。こちらの調子によって口を開こうとするように、毒にも薬にもならない雑談の面白くもないことばかりを二言三言話し、昨日のことなど何も知らないとでも言うような態度だった。
悪友とはこういう人間を言うのだと思う雪雄は、早く帰ればいいのにと願っているので、流石に顔には現さないが、言葉も自然と少なく、常のように難しい議論を持ち出して相手を困らせるということもなく、ひたすら沈黙を守っていた。そんな様子を見て取った花岡は遂に、真面目臭く、
「いや、昨日は実に、とても失敬なことをしてしまって、何とも君には申し訳がない。もちろん、大酔の上、福岡の例の磊落論の勢いに飲まれて、あの男の言うなり次第になってしまったのだが、今朝酔いが覚めて、実は僕はもう二度と君のところへ来ることが出来ないのではないかとまで弱り返った。福岡は福岡で、平生から自己一流の妙な見識を立て通して、乱暴に過ごして行く男だから、彼は彼で好い。しかし、彼が半分脅迫的に君と僕をああいうところへ連れて行ったというものの、君より年長の僕が一緒にいながら君をああいうところへ行かせたのは、どうやってもその罪を逃れることはできない。僕は決して福岡に罪を塗りつけて、我が身の潔白を主張するようなことはしない。どこまでも君に対しては罪を負う覚悟だ。いかに君に叱責されても甘んじて頭を下げる他ない。どうか許してくれたまえ。まったく僕が悪かった」と、この場に居ない福岡を悪者にして、自己はその楯の蔭に隠れる狡猾な言い廻しだったが、表面では潔く罪を背負った形であるため、その裏までは見通せない雪雄の心はたちまち解けて、言われるままに福岡を悪者にして、今は花岡を悪くは思わず、
「いや何、そういう訳ならどうして君を責めよう。つまりは僕も前後を忘れて身体が覚束なくなるほど酒を飲みすぎたのだからして、自分の意思さえ定かではない中にあのようなところに担ぎ込まれたのであると考えれば、敢えて他人をとやかく言うことはない訳だ。ただ、これからはもう無闇に酒を飲むことはお互いに慎もう。そうすれば自然と過失も生じることはないだろうと思うから、君もそのつもりで心してくれたまえ。福岡君はどんな人か、よくは僕も知らないけれど、あんなところへ出入りするのはあまり好くないだろうと僕は思う」と、他人を邪推などすることを知らない雪雄は、そう言って、打ち解けて話せば、
「そう君に言われて、真実に僕も安心した。なに、あの福岡も悪気は微塵もない男だが、大体において性格が傲慢なのか度量が太いのか、細かいことに少しも頓着せず、公然とあのようなところにも面を隠さず出入りするだけでなく、逆に外聞を憚って、忍んで通うというような者を軽蔑するくらいだ。その説を先ずは聞きたまえ。非を飾ると言えば単に非を飾る論に過ぎないが、彼自らも『俺様の説を非を飾ると言う奴がいれば、別に言わせておいてもまったく差し支えはない』と、あくまでも悪口を言われようが、褒められようが、一切気にしないという剛情一点張り。その説はどういう説かと言えば、君子にしても偽君子にしても、また倹約家にしても守銭奴にしても、賤しみ厭うところへ通うことによって、自分の品格、名誉、信用を無くすのではないかと怖れるくらい自分を軟弱な者と見るなら、あんな所へは行かない方が好い。どれ程乱行狼藉を働いても自分がそのために凋落するようにならなければ構わない。つまり、弱虫でない以上はどんなことをしても構わないという理屈を根として立てた論だが、君はその説をどう思う?」と、本当に福岡がそんな説を立てたかどうかは怪しいが、真実らしく話し出して、花岡は雪雄の気持ちを覗おうとするのだった。
つづく




