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幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(19)

 其 十九


 その年、相場は天候だけで乱高下する秋の季節、素人も気遣う二百十日(*台風、強風が多い日)を宗太郎はどうやって感じ取ったのか、今年は頭から無事平穏だと見定めて、思い切り、一挙に売るわ売るわで、今まで勝ち蓄えていたものは言うに及ばず、今住んでいる家、土地、今使っている家財道具以外は残らず何もかも皆打ち込んで、津波のように売り出した。日頃宗太郎の向こうに廻っている者達がこれを見て、『今に見ていろ、破竹の宗も今度ばかりは自分の身代をその名の通り破竹の勢いで、木っ端微塵にしてしまうだろう』と(うなず)き合って噂した。それを聞く度、宗太郎は笑みを含んで、言わず語らずの心の(うち)、『堂島雀ども、今に見ておれ、天に舞い上がる大鳥の後ろ影を見て、開いた口が塞がらず、ぽかんと呆れ、羨むようになるぞ』と、自分を信じて独りほくそ笑んでいた。


 思った通り、その日が近づき、(そら)の雲の流れが早く、怪しい風がそろそろと吹き出したけれど、正午(ひる)になるといつしか曇りもない青空となって、吹く風は女の(びん)も乱さないほど静かになった。買いに廻っていた者どもは予想していたのとはまるで違ったので、急に腰が砕け、足が浮き、しどろもどろとなって、落武者の醜態を露呈(あらわ)した。

 時は来たと、充分に売り煽って、今が底だと見ると、手じまいした宗太郎、懐中(ふところ)豊かにして家に帰ったが、嬉しさも昂じると人の睡眠を奪うもので、夜中過ぎまで寝付かれない床の中、様々なことを思い巡らしていたが、ふと心に生じた『(うら)』を得て、今度の二百二十日(*二百十日とともに、天候が悪くなるとされる農家の厄日)も又売りだと考えを定め、これがもう一度上手く行けば、長くはするべきではないこんな危ない相場とはきっぱり手をきって、地道な生き方をしようと自分で勝手に心づもりをした。


 宗太郎はなおも売り方に出ようと、タイミングを図って高値から売りに掛かった。利運はいよいよ自分に味方するように思えて、乱高下は無いでもなかったが、大勢はまた勝利に決まったように見えた。しかし、お天道様は好い眼ばかりを見せてくれず、人間風情の注文通りになって堪るものかと言わんばかりに、それ行け風の神、雨もついて行けと邪険な命令でもしたか、目指した日の前の日から、樹が抜けるほどの大風、銀河(あまのがわ)の底がぬけたような大雨。散々の大暴風雨(おおあらし)にあちらこちらの家、蔵の損害も少なくなく、相場はたちまち大荒れに荒れて、手も足も動かす間もなく、宗太郎が今まで苦辛して儲け貯めたものは疾風(はやて)に遭った木の葉のように吹き飛んでしまった。


『千日かけて蓄えた(かや)を一日で焼く』の喩えの通り、流石に早くから覚悟はしていても、今更ながら落胆(がっかり)して、筋も力も脱けてしまい、宗太郎は自ら(おのれ)冷笑(あざわら)って、美味くもない酒を強飲し、大酔いに酔ってその日を過ごした。

 それから、宗太郎がどうやってなおも賭博的な商売をし続けたかは知る由もないけれど、母は京都の知った人の(もと)に託せられ、妹は下女代わりになって、兄と共に谷町あたりの借家に住み、琴爪をはめた指先も、たわし、ささら(*炊事の洗浄に使う竹でできた道具)を持つ台所仕事に荒れて、紅をさした爪も糠味噌の移り香が取れない悲しい境遇に落ちてしまった。こうなっては一層()められないのが相場という博奕道、宗太郎は意地強く、なおもそのまま続けて牙を咬みながら口惜しい日を送り迎えていたが、ある夜更け、兄妹の悲しみ泣く忍び声が聞こえてから三日目、お文は近所の人も気づかない間に忽然と姿を消した。


つづく

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