幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(15)
其 十五
母のお伊喜も妹のお文も宗太郎のあまりの威勢に恐れをなして、そのまま話は途絶えてしまったが、母は母なりに老功の機転を利かせ、話を他所に紛らわせて、関係の無い世間の噂に移したが、宗太郎は口も開かず、ただぐびりぐびりと飲みに飲んで、遂にそのまま動けなくなってしまった。そんな宗太郎の心の中にはどんな不快なことがあるのだろう、よくよくのことがあるのではないかと母の眼にも見えて、お伊喜は深く気遣った。
宗太郎が大いに怒ったのも無理はない。堺屋の娘と言えば、ただ単に聞いているだけでは何事もないけれど、今時の娘は十人が十人とも、必ず碌な者ではなく、この娘も知った人には知られた曰くのある者で、それも不思議なことに、宗太郎は昨日、その噂を思いもかけない場所で聞いたのだった。
商用で西横堀のある家に行き、用事を済ませた後、店頭で日頃顔を知った若い者に老人も交じって、世の中が段々行き詰まり、面白い商売が出来ないことなどを語り合っていた時だった。話も最後の方にになると皆、何かいい儲け口はないものかと、慾にかかって各自言い出したが、その時、老年の男が物知り顔で、
「何で世間に好い儲け口というようなものがあるものか。もし仮にあったとしても、そんな簡単なものじゃない。賑やかな町中で五百円札を拾うより難しいことだ。金山の、あるいは新田の、石炭山の、外国貿易のと、賢げに跳ね廻る野郎達も世間に多く居るには居るけれど、馴れないことをして火傷をするのがオチだ。銀相場、米相場などは、甘いことばかりが続けば好いが、一夜大名はあまり見かけず、一夜乞食は沢山いる。これなど何も不思議なことではない。それよりもここに一番確かで、きっと四、五千両は握めるという話があるが、今この場を見渡したところ、皆相応に家を持っている若い衆だから、望みさえすればきっと大金が手に入るぞ」と言い出せば、誰しも耳を長くする中、宗太郎は、好いことなら少しのことでも聞き逃すまいと気を張って乗り出し、
「それは一体どういうこと? 何か新しい会社でも出来るのでございますか」と意気込んで尋ねると、
「いや会社などという訳ではないが、西長堀の堺屋と言えば誰もがご承知の大家だが、四、五千両手に入れさせてくれようというのが彼家のこと」と言いながらじろりと宗太郎を賤しむように横に見て、
「他でもないが、彼家の娘、容貌も美いというほどではないが、七難隠す色白で、琴は生田流、茶は石州、歌なら筆道なら三味線ならと、芸はすべて金にまかせて習わせただけに出来ないものはないと、身内のものが誇るくらい。それがどうだ、その娘に四、五千両添えて遣ろうと親が言い出している。先方の望みは家柄さえ悪くなくて、怠け者でないなら誰でも構わないと言うから、難しい条件などは他に一つも無い。誰かここに居る者で、もらおうという気のあるのはいないか。オオ、宗太郎様が乗りそうな顔付きだな、宗さん、私が橋渡ししようか。しかし、媒酌口で押し付けて、後で何かと言われても好くないので、念のために言っておくが、実はその娘、十六の時に堺屋の店の者と乳繰りあったとやらで、えらく内輪もめがあったそうな。今の主人はその娘に配わせられるはずだったのだが、そんなことがあったので、他から嫁を入れて、結局は堺屋の真の血筋は絶えることになっている。娘は寮に押し込められていたが、またその寮番の老爺と昵懇したとか、植木屋と何とやらしたとか、他人の噂では淫乱なのだろうとのこと。何と、瑕疵はこれだけだが、その代わり持参金がまんとあるのだ。宗さん、どうだもらってみては?」とまたあらためて顔をさし覗きながら言えば、皆どっと噴き出して、
「たった一つの疵だが、何とも有り難い瑕疵だ。我慢出来る者はもらった、もらった」と囃し立てて笑い、何の気もなしに大笑いに笑い崩れてその日はお開きとなったが、これだけでさえ、自分が一杯担がれたと癇癪の強い宗太郎は非常に忌々しく思っていたのに、昨日の無駄な茶話が思いもかけず、今日は真面目な話になって持ち込まれたのだから、頭の天辺まで怒るのも癇癪持ちなら無理もないところだろう。
つづく
※ 露伴の作品の中で、貨幣の記述については、いつも円と両とが混在しているのが気になるが、
https://manabow.com/zatsugaku/column01/
によれば、円が生まれた時、1円は1両だったとのこと。
だから、五百円と書こうが、四千両と書こうが、意味は通じるのだ。




