幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(14)
其 十四
一言のもとに打ち消す宗太郎の顔色を見ながら、母のお伊喜はなおも進み出て、
「若い中は誰しもそんなことを言うけれど、それをし通せた例は世間にはありません。私は愚かでも、門松の数はそれなりにくぐって来たので、お前が今言ったような考えを持った人の行く末がどうなったかも結構見てきました。その上で言えば、私の方がお前よりまだ少しは思慮があるように思う。まあまあ、よく聞いて考えなさい。今日、敦賀屋様がお前の不在に来られて、私にされたお話しでは、お前も予て知っていよう、あの西長堀の堺屋様がお前を見込んで、銀行株の四、五十枚は持参にして娘をくれるとのこと。お前は私には何も言わないが、この家もお父様のいらっしゃった時とは違っています。折角言って下さった敦賀屋様のこのお話しに乗れば、右につけ左につけ都合がいいだろうと私は思う。今時、もう二度とはなさそうな好い口の話、他所の人なら、自ら望んでもまとめたがるだろうけれど、縁談というのは他からいくら世話を焼いても無益勝ちなものだと思い、私は適当にどっちつかずの返事をしておきました。ですが、先ず私の一存ではこの話に乗ってみたら好いのではないかと思います。よく考えてみて下さい」と、我が子には少し丁寧すぎるほど柔しく言えば、ぐびりぐびりと飲みながら聞いていた宗太郎、わざと落ち着いた低い声で、
「それなら、母様は持参金があるから嫁にもらえと仰いますか」と、極めて静かに言い出した。けれど、底意には角がある言葉つきである。母は昔から知っている癇癪持ちの気に障らせまいと、
「そういう訳ではないけれど、先方では何かお前の気性に見所があって、持参まで添えて娘を遣ろうと言われるのだろうと思えば、同じことならこういう縁を結んだ方がお前のためだと思って……」と、言いかけたのを皆まで言い切らせず、手に持った猪口をごろりと膳に棄て、顔を真っ青にして、青鬼が怒ればこうなるだろうと思われるような悪相を見せた宗太郎、唇だけは『はい』と微かに動かしたが、声も急には出せないまでに怒りつめて、ややしばらくの間、母と妹とを睨んでいたが、言葉を詰まらせながら口を開き、
「は、は、母様、きたないことを仰いますな、家が曲がろうと傾こうと、持参のある女をもらい受けて、どうのこうのしようというような卑劣なことは宗太郎、死んでもいたしません。お気の毒ではございますが、明日あなたを路頭に立たせようともそれは運次第、商売に利がなければしようがないまでの話。堺屋の老耄めが、ガラス玉ほどの眼を光らせて、我輩を望むとは片腹痛い。あんな奴に積もられたかと思えば、宗太郎一生の名折れ、無念で無念で堪りません。容貌も悪く、芸事も出来ず、身分もなければ持参もないけれど、どうかもらってというのであれば、人の世に住むには無くてはならない女房のこと、話に乗らないでもないけれど、先方には親に身分があり、当人に持参があり、こっちは家に借金があり、当人には他人の信用がないとなれば、釣り合わないのがそもそも不縁、頭から話にならないばかりか、第一人を馬鹿にしている先方の心腹、歯が浮くほど厭で厭で堪らないではございませんか。それを母様がお取り上げなさるとは、一時のことであっても悲しい話。少しばかり身代が曲がったといっても暖簾を下ろしてしまった訳でも、店を閉じてしまった訳でもないのに、母様は何という卑劣なご根性におなりになったことか。なぜ敦賀屋めがその話をしました時に頭を振って、『厭です厭です、持参金の付いた嫁と、煙草入れを持った物乞いはこちらでは相手にしません』と、一言に撥ね返してくれませなんだ。妹の身体を質に入れても金をこしらえたいような時が来るにせよ、そんな忌々しい嫁をもらうしみったれた宗太郎ではございません。言いだしたが最後、金輪際、この話はご無用でございます。明日天下を取るかも知れない男児なのに、わずか四千両、五千両、指で弾けば飛ぶほどの金を恩にして牝豚一匹を一生一万何千日の間くびりつけようとは憎い奴。今に見ておけ、そんな女、釜の下をこそげさせるくらいに遣ってくれよう。お文、そうではないか、口ばかり偉そうに叩く兄ではないわ」と、眼付き鋭く大言を放った。
つづく




