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幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(12)

 其 十二


 大阪江の子島の(きた)(そう)といえば、六十余州の津々浦々、船の入るところで知らない者はいない廻船(かいせん)問屋(どんや)であるが、主人(あるじ)(そう)兵衛(べえ)は、六十の坂を越すか越さない(うち)に、日頃の大酒の報いで卒中に倒れ、先年黄泉(あのよ)の人となってしまった。後は(せがれ)の宗太郎、その時わずか二十三。親さえ居てくれたら大船(おおぶね)の船頭衆の相手をして、北浜辺りの酒の席、あるいは南の三味線の音が聞こえる場所と、そこら中遊び廻るより他、何も知らない年格好であった。

 上品なだけで、商売柄には似合わず、世事には疎い母のお伊喜(いき)を助け、また、和歌、書道、香道、華道、茶の湯と、すべて一流の教育でもって育てた母の秘蔵ッ子である妹のお文を抱えて、財産(しんだい)と商売を両方の肩に『エイヤラヤッ』と(かつ)ぎ初めた宗太郎、昨日は息子として、今日は親父として、随分一生懸命になって働くが、どうしてもこうしても(とし)(こう)という『さび』が付かない悲しさで、無益(むだ)なところに気が(はい)って、肝心なところに手脱けがあるようなことも無きにしも(あら)ずであった。


 人の扱いにも充分気をつけていたつもりであったが、そのわりには上手く行かず、『()しい老爺(おやじ)を亡くしたものよ』と陰口を言われるのは、子の身としてはうれしいけれど、『倅が若いから後が上手く行けば好いがな』などと噂されるのが耳に入っては、脇の下に冷や汗が流れる程に心苦しく感じていた。

 気は(はり)(ゆみ)が張りに張って、一絲(いっし)の隙もなく、少しの油断もなくやって退けたつもりであったが、店に中年くらいから使い始めていた半次という知工(ちく)(*原文では「チク」。近世の廻船乗りの職制の一。船頭を補佐して積み荷の出入りや帳簿づけなど、船内会計を担当する役職のことだと考え「知工」とした)上がりの渡り者、家の不幸のどさくさに乗じて、帳面に付け掛け(*実際の支払い金額や品数よりも多く記入すること)の魂胆を巡らせ、無法の手形を振り出して、相方(あいかた)悪漢(わる)に取らせ、家の名義で掛買(かけが)い(*代金を後払いで購入すること)したものを自分の手でバッタ屋(*正規のルートを通さず、仕入れた品物を安く売る店)に売り、種々(さまざま)の悪行をし尽くした後、適当な時期を見計らい、『故郷の兄が死にまして、跡取りが居りませんので』と、(にせ)の手紙を巧みに使って、手当の金までせしめ、身を退()いたのだが、しばらくして、その悪行が一つ一つ現れた頃は、どこで好い暮らしをしているのやら、影も無く、『これは!』と宗太郎も母のお伊喜も仰天したが、悔やんでみても後の祭り。この尻ぬぐいに流石の北宗も、手広くしている割には土台はそれ程しっかりしていないのが廻船問屋という商売の常で、身代(しんだい)は大きくがたつき、半分程傾きかかった。

 眼鼻の利く者にはこの状態を隠していても知られてしまい、馬脚(あし)を出すところを時々取って押さえられ、宗太郎はしばしば熱湯を飲み、(やき)(がね)を当てられる思いをしていた。


 (やまい)と言えば相想(こい)の病、苦しみと言えば貧の苦しみ。これは昔から一番辛いものだと言われてきたものだが、宗太郎に恋の病があったかどうか。今は頼みの父に逝かれ、相談相手にもならない母と妹を抱えて、半次の詐謀(たくらみ)にかけられた後の難しいやり繰りを一人で背負い、下り坂の車を踏み(とど)め、(むか)い潮に船を出そうとする心労の苦しさ。体裁(うわべ)だけを繕えば赤字となり、今まで通りにやれば荷主、船主、取引先の信用も落ちてしまうと、食い込むのを知りながらも一日一日を送る辛さ。肉を一片づつ剥がされ、骨を一分づつ削られるように、日の出月の出を見れば、花は咲いていてもそれは世間の人が見るだけの花で、我が家は花を見て楽しむような時ではないともの悲しく、芝居小屋が開こうがそれも世のもの、我が家で噂をするのは一昨年(おととし)一昨昨年(さきおととし)の古い話。

 何かにつけて心配顔の眉の間に『王』の字のような皺を寄せては、若いに似ず、必死となっている宗太郎、世間に向けて智恵賢く眼を配り、好い儲け口はないものか、我が家が落ちぶれていくのを止め、盛り上げ返そうと殊勝に心を砕いていたが、梅は咲こうとする時、先ず香りを(ほとばし)らせると言われるように、その一念の置き所は早くも他人(ひと)に知られるところとなった。

 宗太郎のこの頃一年ばかりの普段の行い、気配りを近くで見ていて感じたのか、西長堀の人にも知られた富家(ものもち)の堺屋の隠居の(なにがし)、どうしても娘を宗太郎に遣りたいと考えた。もちろん、容貌(きりょう)も悪いと言うほどでもないが、少しばかり額が出過ぎて、鼻が控え目に備わっているだけで、銀行株四、五十枚は持参させるとの考え。何とかこの縁談が整うようにと、宗太郎の同業者である敦賀屋(つるがや)に頼めば、敦賀屋はこれを了承して、

「どうでございしょう、この嫁をおもらいになっては? 堺屋と親類におなりなされて悪いことは決してございますまい」と、宗太郎の母に話し掛けた。


つづく

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