幸田露伴「みやこどり」現代語勝手訳(1)
幸田露伴「風流微塵蔵」のうち、「みやこどり」を現代語訳してみました。
本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように、あるいはずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。
浅学、まるきりの素人の私が、碩学の文豪、幸田露伴の作品をどこまで適切な現代語にできるのか、はなはだ心許ない限りですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。
(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)
この「みやこどり」は「露伴全集 第八巻」(岩波書店)に収められている「風流微塵蔵」の最後の作品となります。
「さゝ舟」→「うすらひ」→「つゆくさ」→「蹄鐡」→「荷葉盃」→「きくの濱松」→「さんなきぐるま」→「あがりがま」からの続きです。
実際には題名に<9>の表記はありませんが、話が次々と連続して行くので、つながりが分かるように便宜的に付け足しました。
本当は最初から、読んでいただければ、流れも分かりやすいと思います。しかし、この作品はこのままでも充分理解出来ると思います。
なお、「風流微塵蔵」として、他に「もつれ絲」という作品がありますが、露伴の作ではなく、田村松魚が露伴からの構想を聞かされて書き上げたもののようで、露伴全集には収められていません。
この現代語訳は「露伴全集 第八巻」(岩波書店)を底本としましたが、読みやすいように、適当に段落を入れたり、(*)において私なりの注釈を加えたりしました。
また、これまでの人間関係がわかるように、私の理解している限りではありますが、ファミリーツリーをあげておきますので、参考までにご覧いただければと思います。(もし、誤りがあればご指摘下さい)
※ 風流微塵蔵の主な登場人物のファミリーツリー
其 一
災難は何日何時起こるか分からないもの。いまさら愚痴をこぼしても何の役にも立たない。逃れようとしても逃れられるとは思えないから、先ずはこれだけで済んだのを、大難が小難で終わったのだと諦めて、平生通りに変わらず稼ぐのが一番である。
元を言えば、裸一貫で江戸へ来て、今なおこの家があり、この蔵があり、この顧客があり、この妻子があって、満足に暮らせている。そう思えば幸福と言える身ではないか。働いていれば、それに追いつける悪魔も貧乏神もいないはず。強盗に奪られた凹みは自分の心の一部に加えられた一ト鞭の好い刺激なのだと、劫って気に張りを持って、勢い強く自らの商売に励めば、これまで以上に大きい凸まりができるに決まっていると考えた。
流石は一身代築いて立てた程の坂本屋喜蔵、大金を失っても弱気な気持ちは持たず、商売三昧に身を委ねて、昼は覚悟の眼付き鋭く、夜は夢の中にも売り買いの掛け引き、相場の跳り崩れを考えて、百二郎、千三郎、善三の三人の手代をあたかも弁慶か一来法眼が長刀を扱うように追い回して使った。麦が糯が、大豆が小豆が、為替が仕切り(*決算)が判取り(*代金を領収した時などに相手から印をもらうこと)がと、一日中、雷のように怒鳴り通して、自身もさいみ(* 織り目の粗い麻布)の前垂れを外さず、石さし、斗掻(*枡で穀類などを量るとき、盛り上がった部分を平らにならすのに使う短い棒)、帳付筆と、手に隙も無く営業道具を握って、帳場に坐るやら蔵に出入りするやら、問屋廻りをするやら、どこの河岸に荷が上がるぞ、そこの市場に取引があるぞと、身体を遊ばせることなく真っ黒になって稼ぎに稼ぐ。あの汗の一滴一滴が一文ずつになって、めきめきと身代が肥えて行くんだなと、近所の者の口の端にもかかるほど稼げば、気立て好しの女房のおえつを初めとして、その実家から従て来たお類、主人の妻より早くからこの家に使われているお重、炊婦のお熊、三人の手代、小僧の辨吉、新三郎に至るまで、皆勤勉風に吹き廻されて、過般の夜の厭なことに落胆したのも忘れ果て、ため息をつくこともなく、その日その日の忙しさに追われて暮らしていた。
主人がこのようであれば、家の者も同じようになって、坂本屋は店も奥も、あの大男と榮太郎とが被らせた迷惑の影もささないくらい勢いはよかったのだが、丁稚の新三郎が自分にも告げずに賊が残したものを警察に届け出たことから、思いもかけない元の主人筋のおこのに、殊更その愛し子の榮太郎を辛い目に遭わせたように思い取られて、散々の厭味を言われたその胸悪さが今も主人喜蔵の腹の底にあった。そして、新三郎の齢に似合わない利発そうな顔を見る度に、こいつが出過ぎたことをしたために、俺は一生忘れられない蔑みと卑しみを受けたのだと、不快の感を呼び起こせば、自然と新三郎を見る眼の奥には怪しい憎みの光りが閃くのだった。それほどでもない過失でも、新三郎がしたといえば、叱る声もどことなく棘を含みがちになった。事情を知らないので理由はよく分からないが、子どもながらも勘の鋭い新三郎、早くも、この頃は主人が自分を苛めるようだと感じていた。ご主人ではあるが、何がお気に入らなくて、いつもこんなに自分ばかり睨み付け、叱りつけになるのか、あまりと言えば依怙贔屓な。同じ丁稚の辨吉殿が言い付けられた用事もせずに甚吉様(*喜蔵の息子)の遊び相手となり、箒を振り回して障子の骨を二格折って壊した時には叱りもなさらず、使いの途中で下駄の鼻緒が切れたので、少しばかり遅くなった自分のことを、多分七色唐辛子の口上を馬鹿な顔をして聞いていたか、でなければ、銀流しの粉を売る奴が真鍮の煙管を鍍金するのを見てでもいたのだろうと、頭からお叱りになるとは、あまりにも不公平が過ぎると、口には出さないものの、胸の中で思っていた。
しかし、奉公は辛いもの、よくよく辛抱しなくていけないと、自分の母のように有り難く思っている眞里谷のお静に諭され、訓えられたのが、なおも昨日か一昨日のことのように耳に残っているので、何も辛抱、彼も辛抱と堪えに堪え、辨吉と列んで寝る蒲団の中で、自分と自分の顔を抱いてしくしく泣きに泣きながら眠る夜も少なくなかった。
眞里谷の家の林檎の樹の陰で、お静からもらったものをお小夜と一緒に根方の捨て石に列んで腰掛けながら、あの白犬を嬲りながら心穏やかに食べて、その余剰を犬にくれてやったことなどを時々思い出しては、『ああ、どんなに継母様の無慈悲に意地悪くされても、眞里谷の叔母様の家の近くに居たらよかったものを』と、江戸に出て来たことを今更ながら悲しく辛く感じていた。
そうこうしている中にも一日、二日と過ぎて、堪えるには長い月日ながら半年程経ったが、主人の喜蔵が『癪に障る小僧め』と思えば、新三郎は『依怙贔屓をする主人』と思うようになって、徐々にお互いの関係は好くなくなり、喜蔵から話し掛けられることさえ遂に少なくなった。
つづく
本作品の主題となる内容は「其 四」から始まります。